>無意味なミサイル防衛訓練を笑う 17・9・22
 白井聡(京都精華大学人文学部教授)が神奈川新聞8月26日に「頭を抱えればミサイルから身を守れるのか?」という論稿を載せた。全く同感である。以下にその要旨を紹介したい。
◆無意味な訓練の意味  
 北朝鮮から日本に本当にミサイルが飛んでくるのか、現在のところ可能性は低いと見るが、究極的には分からない。だが仮に本当に飛んでくるとしても、こうした訓練は意味がない。小学校の体育館に逃げ込んで身を守れるのか。体育館に集まった方が安全だと判断する根拠はどこにあるのか。頭を抱えたところで、落ちてくるのはミサイルであり、対処法は基本的にない。政府は、グアム方面に発射されたミサイルを日本上空で迎撃すると言い、島根、広島、高知の3県に地上配備型迎撃ミサイル「PAC3」を配備した。だがこれも無意味だ。日本上空を通過するときにはミサイルは高高度を飛んでいるためPAC3で撃ち落とせない。北朝鮮が米本土に向けて撃つミサイルを日本が撃ち落とすなどと言っているが、これもばかげた話。この場合、ミサイルは日本上空を通過しない。 これらに共通しているのは危機認識の前提や、その対処方法に「全く合理性ない」という点だ。太平洋戦争末期に政府が「竹槍(たけやり)で爆撃機B29を落とす」と言っていたのと変わらず、見ているこっちが恥ずかしくなる。戦時中、竹槍でB29を落とす訓練に「そんなのは無意味だ」などと言おうものなら、「お前は何を言っているんだ。非国民だ!」と爪はじきにされた。いま行われている弾道ミサイル避難訓練はこの構造とよく似ている。
◆朝鮮戦争にこそ原因  
大いに懸念されるのは、こうした訓練を繰り返すことで、人々の心が「とにかく頭を抱えるべきなんだ」となり、同時に「なぜ、こんなことになっているのか」という問いが消えてしまうことだ。なぜ日本がミサイル攻撃を受ける可能性があるのか。なぜ私たちはそこまで憎まれているのか。なぜそれほどの犠牲を強いられるのか。こうした根本的理由を問うことをやめ、せいぜい「あの国は理解できない」などという説明で納得した気になってしまう。だが当然ながら問題はそんなに単純ではない。もつれた歴史の糸をほぐしながら考えなければいけない。 これは朝鮮戦争が終わっていないことに起因している。国際法的には今も戦時であって、一時的に休戦しているに過ぎない。この状態が60年余り続いているのは異常だ。米国はこの戦争の当事者であり、だから北朝鮮は、米国に対抗するために核開発とミサイル開発をやめない。60年以上続くこの異常な状態を解消しなければいけないと考えるべきだが、日本人の多くにそうした発想はない。
◆本質から目そらすな
 「東アジアの安全保障環境が厳しさを増している」という理由づけで、安倍政権は2014年7月に集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、翌年安全保障関連法制を成立させた。このとき、集団的自衛権行使の前提として「存立危機事態」にあることが条件とされた。「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」事態だ。では、その「存立危機事態」はなぜ生じているのか。原因は明らかに米朝関係と日米安保体制に求められる。この現実から目をそらしてはいけない。こうして全体を俯瞰(ふかん)して分かるのは、解決しなければいけない問題は別の次元にある。頭を抱える練習をしたところで、何も守れはしない
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洲崎美子さん96歳の死 延命拒否の遺書 17・5・5
 このブログでも何度か紹介した、松本市の郵便友達の洲崎美子さんが逝去された。大正9年(1920)3月17日生まれで、昨年12月13日没、享年96歳。初めてお会いしたのは2013年の5月、娘の木島知草さんが長年続けている人形劇の例会に参加した時だった。以来まる3年余手紙のやり取りをしていた。25歳でブーゲンビル島で飢え死にした叔父と同年代の人だった。筆字で時には水墨画を交えたお便りを楽しみに文通していた。人形劇で全国を歩いている娘の知草さんの留守を一人で守り、後顧の憂いなく活動をさせた。そして以下の遺書を千草さんの『風知草通信』で見せていただいた。
 洲崎美子のリビングウイル(遺書)
 私は現在95歳6ヶ月、長い人生を生きてきました。43歳で夫卓夫を亡くして中三の長男と小五の長女二人の子供をかかえて悲しむ暇もなく、如何に生きるか、それのみでした。でも二人の子供は立派な社会人として自分の生きたい道に生き、私も私なりに多くの方々の友愛と支援に包まれて私らしく仕事に喜びを見出して、72歳まで現役で働き、充実した人生を生きて参りました。今はとても倖せです。
 それ故に人生の最後は、いえ最後も自分らしく終りたいと思っています。誰にも御迷惑をかけず生命がつきるのを願っております。でも世の中そう思う様にはなりませんね。でも意思を失なっているとか、呼びかけても少し反応するだけの状態でしたら決して救急車を呼ばない事。既に病院にいるなら人工呼吸器をつけない事。但し苦しんでいる様でしたら痛みを柔らげるケアはしてください。延命のための治療は何もしない事。今私の命を少しでも延ばそうと力を尽くして下さっている方に感謝を致しますが恐れ入りますが、私の願い通りにして下さい。この事は二人の子供にも話して承知して了解を得ております。
 最後の今一度、延命治療はなさらないで下さい。私の最後のお願いです。どうかかなえて下さい。 平成二十七年 松本市井川域3町内7-6  洲脇美子
証人 木島千草 木島恭
 千草さんの『風知草通信』には以下のように書いてあった。
―島根の海の町から信州の山の街に住み(72歳から仕事をやめて24年間)96歳と9カ月生き抜いた母でした。死を意識して遺言書、日記もつけ続けていて、家族でよく看取りの話もしていました。私のとなりの長屋で元気な時は畑、花、お茶を点て、水墨画、老人大学、地域の老人会にも出ていき、愛犬と散歩したり、料理も好きで梅干、ぬか漬け、らっきょう、からし漬け、掃除、洗濯など、自立した老後の生活を楽しんでいました。新聞も隅々まで読み、政治や社会の話も意見交換しました。(中略)余命2カ月を宣告されてから、家で看取ってほしいという願いどおり・・苦しむこともなく私の胸の中で息を引き取りました-

会津田島の蕗のトウを九段で 17・4・13
 先週末から今週はじめまで、雨が降り続いて寒い日だった。桜が咲いているというのに、菜種梅雨ともいうべきか、暗いじめじめした憂鬱な日々だった。その11日火曜日の夜、行きつけのカレーの店ベルで、九段近辺に住むベルの常連が集まって、蕗の薹を食べることになった。これは、わが友文学さんが所有する会津田島の800坪の旧家の庭に生えた蕗の薹だった。話は昨年に溯る。九段のラジオ体操の仲間たちは、達磨さんや山ちゃんの先導で、北の丸公園の梅を落として梅酒をつくたりしている。さらに昨年は田安門の石垣の上に蕗の薹がたくさん生え出た。それを採って持ち帰って食べることにした。徘徊も石垣の上を必死の思いで、蕗の薹取りをした。
 その蕗の薹を九段のカレー屋ベルに持ち込んだ。30年間通っているベルのママに頼んで天ぷらに揚げてもらった。それがまことに美味であったので、今年もと狙ったが、取り過ぎたせいか、今年はまったく蕗の薹にお目にかかれなかった。文学さんがようやく雪の消えかけた会津田島町の旧居の雪囲いを外したり、住いの周辺を整備するために会津に行っていることを知った。そこで彼に電話した。「旧居の庭に蕗の薹は出ていないか。出てゐたら食べたいから持って帰ってほしい」と頼んだわけである。ところが、ことしの春はまだ遠かった。「まだ庭の雪が消えていないので蕗の薹にはお目にかかれない」という。東京ではとっくに蕗の薹の季節は過ぎ去っているのに、会津の春はまだ遠いのだ。    
先週の末に文学さんから電話があった。「先日来の雨のせいで800坪の庭の雪が消えてきて蕗の薹が顔を出してきた。帰るまでには蕗の薹を摘んで持ってかえります」いうのだ。バンザイ。近隣のベルの常連に声をかけた。蕗の薹の天ぷらをご馳走するからいらっしゃい、と連絡した。近く都営マンションで急死した南さんの知り合いの女性らもかけつけた。渡辺夫妻他数名のメンバーで南さんを偲びつつ、ベルのママのお陰で、揚げたての蕗の薹天ぷらを心行くまで賞味した。文学さん自身も「揚げたての蕗の薹は実に美味しかった。会津では近所の方から蕗の薹の天ぷらを頂いたが冷えていた。今夜のような揚げ立てをすぐ食べるというのでは全く味が違う」という。
 南さんが居たらカラオケの一曲も出る筈だが彼は居ない。替ってウクレレを持参した文学さんがお得意のハワイアンやロシア民謡などを独演二回。大いに盛り上がった「蕗の薹を食べる会」だった。これに味を占めて、来年も何とか会津田島の蕗の薹をと思って居る慾張りの徘徊である。昨夜12日は、定例の九段二水会の句会だった。互選句は以下の4句。  
 郷の春隣家の猫も挨拶に 文里 残雪が溶けて顔出す蕗の薹 文里
 菜の花や街の外れを川沿いに 游子 菜の花の散るを待たずに君逝けり 漫歩



90代健康長寿の先達 清水美知子さん 17・4・3
 昨年も多くの先輩知己があの世に逝かれた。徘徊老人も84歳にして、ようやく生きるということの意味をより深く感ずるようになった。寝たきりで数年、あるいは十年以上病んで亡くなった方もいるし、ポックリと病むことなく逝った先輩もいる。だが仔細に観察してみると90代になると案外ぽっくりと逝く方が多い。願わくばポックリと逝くことを念願しつつ日々を送っている。
 一昨日、4月1日は、浦和に在住されている清水美知子さん96歳を、友人の初岡昌一郎氏と二人でお訪ねした。美知子さんの夫君は故清水慎三元信州大教授で、われわれと同郷の岡山県出身ということもあり、旧社会党青年部時代の1955年以降、1996年83歳でお亡くなりになるまで、ご指導をいただいた。夫人には、数年間ご無沙汰していたので、久しぶりにお会いしようと北浦和駅で待ち合わせた。タクシーで数分のところに美知子さんの自宅があり、清水さん亡き後、一人でお住まいである。息子の清水克朗さんが出迎えてくれた。彼は私たちが、祖師ヶ谷大蔵にあった清水さんのご自宅を始めて訪ねたころはまだ生まれておらず、翌年1956年に生まれた。
 初岡氏によると、清水さんはそのころは高価だったバナナをよく買って行かれたそうだ。バナナは栄養価が高いといわれていた。「清水先生、バナナがお好きですね」と彼が言うと「いや、これは息子に食べさせるんだよ」と言われたそうだ。その克郎くんも、もはや60歳で岩波書店の古参社員である。初岡氏も82歳だが、同郷の友人としては最も長生きして今なお健在である。一時は膝を痛めたこともあるが、今なお毎日歩いたり、プールに行ったりしている。
 清水美知子さんは、96歳で、毎日近所の老人通所介護施設のデーサービスに月曜から金曜まで通っていらっしゃる。最高齢だが体操をしたり、会話をしたりけっこう楽しいとおっしゃる。デーサービスを嫌がる高齢者も多いが、女性はけっこう楽しんでいる人が多いようだ。いま生き残っている先輩知己のなかで女性の最高齢者は清水美知子さんである。美知子さんは短歌も若い頃はじめられていて、帰りに短歌集「みぞそばの花」をサインして一冊いただいた。2011年の東北大地震の時は、部屋の荷物が落ちてきて胸骨骨折、その後も転んだり、けつまずいたりで数回の骨折をされたが乗り越えられた。いつも明るく愚痴を言わない。人の悪口など聞いたことがない。その屈託のない明るさが、健康長寿の秘訣かもしれぬと思う。お会いして学ぶべきところ多い健康長寿老人である。
 以下は生方たつゑ氏の指導による短歌教室の成果としての清水美知子歌集『みぞそばの花』の掲載歌である。
 みちのくおの旅 六月の晴れたる空に浮き出でて飯盛山の連峰白し
            秘話もちし飯盛山を訪ねきて若き隊士ら偲ぶひととき
 吉備路・後楽園 夫の生まれしふる里にきて胸熱し園より城を眺めつつゐて
            海紅豆の紅き花も咲きてをり瀬戸の見放くる山の斜面に 

矢崎泰久氏の短絡的発想 タバコ値上げは戦争への道か 17・3・23
 週刊間金曜日の2017年2月24日号に矢崎泰久氏の「話の特集」今日も元気だ煙草がうまい!と題するエッセイが載っている。そこに以下のような替え歌を披露している。―金鵄上がって十五銭 栄えある光三十銭 朝日は昇って四十五銭 (いまこそあがる煙草の値) 紀元は二千六百年 あゝ、一億の金は減るー。ここで矢崎氏が強調しているのは「当時の軍事費は煙草の値上げによって調達されている。誰もが唯々諾々と従った訳ではない。庶民は替え歌を作って抵抗を試みたのである」と述べている。 そしてさらに「今、また煙草の値上げが取りざたされている。安倍内閣は戦争への道を突き進んでいる。歴史はその事を証明しようとしている」と述べている。
 たばこの値上げに抗議するのは自由だが、それが戦争への道につながる、というのはいささか短絡的ではないか。煙草愛好者のなかでは、なんとかやめたいと思いつつも吸っている方が多い。すでに喫煙率は20%台へと戦後最低にまで落ち込んでいる。受動喫煙による死亡者数は年間約1万5000人と推定される。一年間の交通事故死数約4000人をはるかに上回る。さらに3年後のオリンピックを控えて、国際的にも各国が実施した建物内や屋外における受動喫煙を防ぐための対策は喫緊の課題だ。中国やアルゼンチンなどのオリンピック主催国すら実行した屋外、屋内における対策を日本も同じレベルでやりましょう、ということだ。この点に関しては厚生省の対応はまともである。これに反対しているのは東京都議会の自民党を中心とするたばこ業界と飲食店の意向を受けた政治集団だ。国会議員も自民党と民進党のたばこ業界からのパーティ券などで世話になった議員集団であることは誰の眼にも明らかになっているのだ。
 ましてや、矢崎氏の言う「当時の軍事費は煙草の値上げによって調達された」というのはいささか言い過ぎではないか。日本における租税の歴史では1899年(明治32年)には、酒造税が税収に占める割合がトップに立った(28%)。また、消費税や課税等を合せた広義の消費税は、1907年には過半数を占めるまでになった。すなわち、明治年間を通じた税収の変化は、地租優位から間接税優位の時代への移行によったものである。煙草税導入もその一部部分ではあったがたばこ税のみで戦費調達がなされたわけではない。矢崎氏だけではないが、喫煙派の学者や評論家の一部には、自由にタバコが吸えないことに苛立ちを覚える傾向がある。そして彼らに共通しているのは、左右を問わずその苛立ちや怒りを感情的にぶつけたくなる。しかし、表向きはそれを論理的に解説したいということで何かと屁理屈をつけるのだ。その好例が矢崎氏のように「タバコ値上げは安倍内閣の戦争への道に通じる」とか「禁煙ファシズム」などという極論に到達するのである。(酒税の課税額は2009年度約1兆4千億円、煙草は2009年度で約6千億円)
 煙草依存症の特徴は、きわめて感情的にタバコが吸えないことに反発するところがある。私の親父もヘビースモーカーだった。晩年「もういい加減に煙草を止めたらどうか」と言ったとたん、日ごろ温厚な親父がカッとなって叫んだ。「タバコを止めるくらいなら死んで方がましだ」。以後私はタバコ吸いに絶対たばこをやめろなどと言わない。戦後の煙草のない時代に山野のヨモギなどで紙巻煙草をつくらせて吸い続けた人生なのだ。親父もヘビースモーカーのわが師江田三郎も肺ガンであっという間にあの世に逝った。好きなものを飲んで吸ってあの世に逝くのは自由だ。せめて吸わない妻や子供を巻き添えにする受動喫煙だけは避ける工夫をしていただきたいだけなのだ。
ようこそ!「老人はゆく」へ
「老人はゆく」へようこそ

徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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