ネット右翼とSEALDs奥田愛基氏への殺害予告

ネット右翼とSEALDs奥田愛基氏への殺害予告 15.10月4日
 安保法案に反対するデモなどを行い注目を集めた学生団体・SEALDsの奥田愛基氏が、28日、自身のツイッターで「殺害予告」にあっていたことを明かした。〈学校の方に、僕と家族に対する殺害予告が来ました。なんか、僕だけならまだしも、なんで家族に対してもそうなるのか…。何か意見を言うだけで、殺されたりするのは嫌なので、一応身の回りに用心して、学校行ったりしてます。被害届等、適切に対応してます〉(奥田愛基氏のツイッターより)。金沢の友人hirano氏のメールに要旨以下のような記述があった。安倍法制に対する保守リベラルを含めた批判が多い中で、ネット右翼と週刊新潮などの攻撃である。
―朝日新聞の報道によれば、今月24日に、手書きで「奥田愛基とその家族を殺害する」という旨が記された書面の入った封筒が、奥田氏が在籍する明治学院大学へ届いたという(間違って別の大学に届いていたという情報もある)。いずれにせよ、現段階では差出人等については報じられていないが、なにより卑劣なのは、SEALDsの中心的人物として国会の中央公聴会に出席するなど、世間の耳目を集めた奥田氏自身だけでなく、その家族も標的とされたことだ。ネット右翼や右派メディアはSEALDsバッシングに熱を上げていたが、じつは、ここのところ奥田氏の父親を叩く動きが表面化していた。奥田氏の父親は、ホームレス支援や貧困者支援を行なっているキリスト教の牧師で、2009年にはNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演経験もある人物だ。ネット右翼はもちろん、最近、「週刊新潮」(新潮社)10月1日号が、こんな見出しをうって奥田氏の父親のバッシング報道を行なっていたのである。
◆父親まで引き合いに出して反天皇主義者と誹謗 奥田氏は黙るのはイヤと反論
 〈「SEALDs」奥田君の父は「ホームレス支援」の反天皇主義者〉「週刊新潮」は、奥田氏の父親が小泉純一郎首相(当時)による靖国神社参拝に反対していたことなどに触れ、「反天皇主義者なのである」と一方的に断定。さらにホームレス支援に関しても、「近所で迷惑だと思っている人は少なくありません」などという「実家近くの住民」なる人物の証言を恣意的に選択・掲載し、記事の最後では「親の背中を見て子は育つ」とまとめた。
 安保法制反対派に対して一貫して批判的で、反安保デモへのネガティブキャンペーンを行なってきた「週刊新潮」だが、奥田氏の父親まで批判の道具に使い完全に“学生デモは父親の影響を受けた「反天皇主義者」が行っている”と言わんばかりの露骨なバッシング記事を出した。「る。実際、奥田氏のツイッターにはさっそくネトウヨたちが詰めかけ、〈表だって政治活動をするなら、それくらいの覚悟があって当たり前だろwwwやっぱりただのヘタレ学生集団だな。しかもテレビにまで露出してるのに。そこまで想定して覚悟できてないんなら、デモもテレビ露出もするな〉などと中傷している。これに対する奥田氏の返答は、立派なものだった。〈こういうマインドで殺害予告とか書いてるんだろうな。嫌だったら黙っとけって言いたいんだよね。嫌だし、黙らない。ごめん。そんな当たり前知らない。〉―
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沖縄は停電でローソク生活 台風余話

沖縄は停電でローソク生活 台風余話 14年10月12日
 今夜、沖縄に移住して、沖縄問題を国際法の観点から分析している研究者のKさんから電話があった。一昨日、沖縄県知事選挙に関する資料や原稿をメールで送ったのにまったく返信がない。どうしたのかと思っていた。Kさん曰く「台風の難を逃れて海岸近くの住居から避難していた。昨日帰って来たとたん、次の台風19号が襲来して停電してローソク生活だ。戦後都内でも停電でローソクの経験はあるが、沖縄では台風が日常茶飯事。今夜もスーパーに行ったが品物が全くない。カレーを一袋見つけて買って来て玄米の上にかけて食べているところだ」。
 「メールは見たがその直後に停電、返事のしようがないので電話した。沖縄では台風の時速15キロだから、昨日から延々と暴風雨のなかで停電生活を余儀なくされている」という。なるほど本土の台風は時速50キロくらいで通り過ぎるから、あっという間に駆け抜けてくれるが、沖縄、奄美の段階ではそうはいかない。だから4万所帯とか5万所帯とかの停電が継続するわけだ。
 2週連続の台風襲来であちこち大騒ぎだ。先週7日の月曜日の台風は、関東では午前中は風雨強かったが、あっという間に通り過ぎて、午後には青空が見えるようになった。ところが、新幹線や東海道線は、大幅遅れが続出した。7日は、岡山の83歳の旧友と、三島駅で待ち合わせて、伊豆修善寺の温泉に泊まり、翌8日は伊豆稲取温泉に行く予定だった。ところが岡山の友人Tは大阪まで来て新幹線がストップ、ここで引き返そうとしたが列車が動き出した。上りの新幹線で何とか三島駅近くに来たという連絡がきた。
 こちらも、それではと東京駅に向かったが、下りは大幅な遅れで電車が出ない。このままでは宿の夕食にも間に合わないから、やむを得ず三島行きを諦めて、翌日の伊豆稲取で合流することにした。8日の朝早く東海道線に乗って熱海から伊豆急下田行きに乗った。車内で向かいに座った70代くらいのご婦人は伊東市に帰る所だという。伊東市は前日の7日には全市民8万5千人に避難指示が出たところだ。「一体あんな狭い街で全市民が非難できる場所があるんですか」と聞いた。ご婦人は「そんな場所ありませんよ。避難指示を出せば責任を逃れるという役所の無責任」とおっしゃった。
 順調に伊豆稲取駅に到着して、友人と合流。KKR稲取荘という公共の宿に泊まって、名物の金目鯛のシャブシャブ料理を食べて、滔々たるお湯の流れる温泉を満喫して帰京した。伊豆稲取は、1970年代の終り頃、何回か訪れたが、昔日の賑わいはない。甘党の店で一服。店の女主人は「大きなスーパーができて、中小の商店は立ち行かなくなって廃業した。ほんとに寂しい街になった」と嘆いていた。
 安倍政権は、地方再生に力を注ぐと臨時国会で明言しているが信じる者はあまりいないだろう。なぜなら、県庁所在地のメインストリートの商店街すら、とっくの昔に人通りなどなくなって久しい。地方選挙用のうスローガンで目くらませしても、これは竹下政権の「ふるさと創生」や小渕政権の「地方振興」とおなじく、バラマキに終わるだろう。地方、地域の実態は少子化高齢化で活力はなくなっている。さびしい街の商店街や海岸通りを歩いて、ため息が出てきた。
    (写真 樹齢750年の伽耶(かや)の木 伊豆稲取済広寺)

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物くるるよき友

物くるる友の存在に感謝 14年7月7日
 昨日は福島県南会津町から帰ってきた友人文さんから、思いがけない土産を頂いた。それは、子どもの頃に、岡山県の山村で、いつも食べていた茱萸(グミ)の実った小枝だった。彼は、南会津町に築200年を超える旧家を6年ほど前に相続した。晩年はそこで過ごすことを目的とした改修を行ったり、近所の農家の方々との付き合いを深めている。八百坪を越す敷地の中には梅の木や胡桃の木、グミの木などがあり、季節ごとに実っている。
 グミの実などというものは、季節を過ぎると食べられない。昨年はダメだったが、一昨年はちょうど実った時期にあたって土産にもらった。少年時代から70年近くたって、茱萸の実を食べられたことに感動した。定例句会に「茱萸食べて少年恋を知らざりき」の一句を提出した。幸い先生の目に留まって特選の栄に浴した。今回は二年ぶりに茱萸の実を食べる幸運に恵まれたわけである。
 わが岡山北端の生家は貧しい三反百姓だったが、山野には自然の果実が溢れていた。雪解けとともにフキノトウが現れ、春先にはウド、蕨、タケノコなどが群生し、貴重な食料資源だった。そして梅の実を漬ける。秋には栗拾い、バナナに似たアケビなどに少年たちは夢中になった。夏には川泳ぎに行って、川魚を水中眼鏡で潜って射とめるたのしみもあった。父親が冬場は猟師をしていたせいで、兎、ムジナ、タヌキ、山鳥など蛋白源は豊富だった。そういう故郷の懐かしい風景を、グミの土産が思い出させるのだ。
 長く生きること、必ずしも良しとはしないが、80歳を過ぎてなお、友の情けに浴している幸せを思う。わが愛読書の徒然草第百十七段に兼好法師はいう。「友とするに悪き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身強き人。四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇める兵。六つには、虚言する人。七つには、欲深き人。よき友、三つあり。一つには、物くるる友。二つには医師。三つには、知恵ある友」。これは兼好の人生経験がもたらした言葉だろう。よき友三つはうなずけるが、悪き友については多少の異論がある。
 とくに、若き人、酒を好む人については、友とするに若き友がいて何の不思議があろうと徘徊は思う。また酒を好む人、徘徊は酒席は好きではないが、概して酒飲みの友人は人が良くて面白い。呑むほどに酔うほどに人格が変わって、日ごろおとなしい友が急に「何だこの野郎」などと人格が一変するのも興味深かった。酒飲みはおしゃべりしても面白い。そういう酒飲みで面白かった連中は、大半あの世に逝ってしまった。実に身辺物寂しい。「おい、たまには幽霊にでもなって、あの話をもう一回聞かせてくれ」といいたい気分だ。
 兼好法師がよき友の筆頭に「物くるる人」を挙げたのは頷ける。徘徊もまた、物くれし友のおかげで現在がある。いま着ている背広上下のほとんど,そしてマフラー、Ýシャツ、帽子から靴に至るまで、亡くなった先輩友人の遺したものである。もはや死ぬまで着るもの履くものにまったく不自由はない。グミの小枝に友よりの一句あり。
 茱萸の枝折って都の友の手に 文三
 掌に故郷の山河茱萸実る 漫歩
    (写真 グミの実 渡辺文学撮影)


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サッカー日本敗退を歓迎

サッカー日本敗退を歓迎 14年6月25日
 今朝は曇りだったが、ラジオ体操の途次、面白いことがあった。九段下交差点を交番の方向に渡ると、巡査二人が立ってこちらを見つめている。日頃交番の巡査とは顔なじみだが、真剣な表情である。そして徘徊が交差点を渡り切った途端、2人の巡査が、こちらに向かって敬礼した。どぎまぎしたが会釈を返した。しかし彼らの表情を見ていて、とんでもない誤解とわかった。彼らは上司の車を見送っていたのであった。まさか、2人の巡査が並んで徘徊老人に敬礼するはずはないもの。
 サッカーのワールドカップも公園内まで騒ぎだった。友人のⅯさんはサッカーファン。携帯に中継されているとかで、音声と画像を見ながら興奮している。日本が前半一点を返して1対1の同点で望みをつないだ。後半に入った直後、大歓声が響いた。アナウンサーが興奮して絶叫している。日本が入れたのかと聞くと、Ⅿさんは「入れられちゃったのよ」とがっくりしている。彼に言わせると、コロンビアは、前半はすべて今までのメンバーを入れ替えた。いわば二軍で前半をこなした。そして後半に入って、本格的に一軍メンバーに替えてたちまち一点勝ち越し。さらに後半の終る数分前に、立て続けにゴールに入れた。「二軍相手にやっと互角。後半は一軍に代ると手も足も出ない」とⅯさんは、コロンビアの強さに驚嘆していた。
 私は個人的にはワールドカップにまったく興味がなかった。オリンピックもずいぶん前から興味をなくした。大国のメダル争いだけが中心の、金をかけたところが勝つという現状は、五輪の精神にも反するものだ。アマチュアスポーツもそういうカネ食い競争と化した。それに拍車をかけるのがマスコミの大騒ぎだ。サッカーファンで、朝日新聞読者のⅯさんもさすがに怒っていた。「日本が試合をやる日の朝刊は、1,2面サッカーの大見出しですよ。昔の朝日ならこんなひどい紙面はなかった」と苦々しそうだった。試みに九段図書館で朝日の夕刊を開いてみた。
 全部で16ページの夕刊の一面がすべて日本敗戦の活字が躍っている。そして、後半の6ページは、すべてサッカーの記事で埋め尽くされている。政治関係の記事でも、こんな7ページの記事など見たこともない。ワールドカップに日本中が浮かれている中で、いつのまにか「限定的解釈改憲」は閣議決定しそうな状況となった。こういう自民一党独裁体制の責任を、連立与党の公明党に押し付けて平然としている野党や野党支持者もいるが、これもちょっとおかしい。
 こういう政治状況を作ったのは、民主党政権のマニフェスト裏切りと、これに対する失望が、棄権と自公政権の復権につながった。それに加担したのは、読売新聞を先頭に朝日、毎日、日経と四大紙が、「決める政治と消費税値上げ」のキャンペーンで、はやし立てたからではないか。もちろんこれに乗った、菅と野田両政権の政治責任が最大だが、マスコミにも責任の一半はある。民主党がいまだに立ち直れないのは、こういう政治状況を招いた自らの責任を総括できないからだ。戦争の出来る国にしたのは、自公政権のみならす民主党政権の失政にあるという認識が必要だ。
  虚子の墓紫陽花溢るるばかりなり 漫歩
      (虚子の墓 鎌倉寿福寺墓苑)

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きけ わだつみ 木村久夫の遺書

きけ わだつみ 木村久夫の遺書 4月29日
 『きけ わだつみのこえ』は軍国少年のわたしを平和少年へと転向させた一冊である。滂沱たる涙で読んだ記憶は今も忘れない。今朝の東京新聞の記事は、一面と二、三面、それに六、七面と二七面とじつに6ページにわたって、『きけ わだつみのこえ』に掲載された木村久夫元陸軍上等兵の遺書が、ほぼ全文掲載された。木村久夫は、戦争中拷問で住民を死なせたとして、1946年㋄、シンガポールで死刑となった。享年28歳。木村の遺書は重要な陸軍批判が削除されており、さらに、もうひとつ遺書があったというものだ。これまでは、彼の愛読書であった『哲学通論』の余白に書かれたものとされていたが、実は、余白の書き込みのものと別にあった遺書が合成・編集されたものだったという内容である。東京新聞にはその両方、遺書と『わだつみ』で削除された陸軍批判部分が掲載されている。以下削除された部分の要旨を以下に転載する。
◆軍人は正直に反省せよ、見るに耐えない東条英機の自殺未遂
 日本の軍人、ことに陸軍の軍人は、私たちの予測していた通り、やはり国を亡ぼしたやつであり、すべての虚飾を取り去れば、我欲そのもののほかは何ものでもなかった。大東亜戦以前の陸海軍人の態度を見ても容易に想像されるところであった。陸軍軍人は、あまりに俗世に乗り出しすぎた。彼らの常々の公言にもかかわらず、彼らは最も賤しい世俗の権化となっていたのである。それが終戦後、明瞭に現れてきた。生、物に吸着したのは陸軍軍人だった。連合国の看守から、まったく不合理と思えることが、日本では平然と行われていることを幾多指摘される。真赤な不合理 が平然と横行するまま許して来た。単なる撲るということがらだけでも、われわれ日本人の文化的水準が低いことがが思い出され、また指摘されるのである。
 ことに軍人社会、及びその行動が、その表向きの大言壮語にもかかわらず、本髄は古い中世的なモノそのものに他ならなかったことは、反省し全国民に平身低頭、謝罪せねばならぬ。この見るに耐えない軍人を代表するものとして、東条英機前首相がある。さらに彼の終戦における自殺未遂はなんたることか、無責任なること甚だしい。これが日本軍人のすべてであるのだ。
 軍人が今日までなしてきた栄誉栄華は誰のお陰だったのであるか、すべて国民の犠牲のもとになされたにすぎないのである。労働者、出征家族の家には何も食物はなくても、何々隊長と言われるようなお家には肉でも、魚でも、菓子でも、いくらでもあったのである。変わらなかったのである。天皇崇拝の熱の最もあつかったのは軍人さんだそうである。いわゆる「天皇」の命と彼らの言うのはすなはち「軍閥」の命に従わざる者を罪する時にのみ、天皇の権力というものが用いられたのである。精神的であり、また、たるべきと高唱してきた人々のいかにその人格の賤しきことを、我、日本人のために暗涙禁ずあたわず。
 木村久夫 辞世の歌二首
  風も凪ぎ雨も止みたり爽やかに朝日を浴びて明日は出でなむ
  心なき風な吹きこそ沈みたるこころの塵の立つぞ悲しき
     (写真 きけわだつみのこえ 岩波文庫反)

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徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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