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命の恩人内科医林次郎郎先生 岡山社会党の時代 21・3.30

貧しい時代だった。戦後の一九五一年から五五年までを岡山の社会党県連の書記として過ごしたが、医者にかかることは大変だった。もちろん医療保険制度もなく、ましてその日暮らしの身では、身体が少々悪くても医者にかかるなぞ、できない相談だった。ところが大病をした。五六年から一年間、岡山の社会党県連の専従で働きすぎたことや、年上の女性との恋愛、失恋とお定まりのコースで、心身ともに衰弱した。十九才の春、急性腎盂炎という、むやみに身体がむくんでくる病気になった。体重が急激に四、五キロ増えた感じになる。石原元夫という社会党の先輩が心配して、金のない私を津山の林内科医院というところに連れていった。林次郎先生に「この青年は金がありませんから、タダで治してやって下さい」と頼んでくれた。先生はニコニコして「わかりました」と引き受けてくださった。どうやら社会党のシンパ的な存在だったらしい。
 林先生にいわれた。「あなたの腎臓はかなり悪い。ほっておくとあと十年の寿命だ。まじめに食事療法でやるしかない」と宣告された。若さというのは不思議である。後十年といわれたときにさほどショックはなく、後十年は生きられるのかと、ほっとした。おまけに失恋の痛手でいささか厭世的となっていた。「このまま美しい思い出を抱いて死にたい」などとバカなことを真剣に考えたりしていた。しかし林先生の人柄と、やさしい美人の看護婦さんに救われた。まじめに治療しようと、一時的に岡山の社会党を辞めて、故郷に帰った。そこで祖母が減塩食をつくってくれた。塩気のない鯉のエサの麩を浮かした味噌汁や、利尿作用があるいう西瓜を毎日食べた。半年ばかりの休暇と治療でほぼ全快した。また秋には社会党岡山県連に復帰した。
 一九五五年秋に、わたしは命の恩人に挨拶もせずに東京に旅立った。いつも心の中には林次郎先生とやさしい看護婦さんのことがあった。星霜流れて四〇余年、九七年に津山市まで帰ったときに、思い切って林内科病院を訪ねた。すでに病院は先生のご子息の時代となっていたが、先生は八十七才でご健在と聞いた。先生に電話して「四十五年も前に、お世話になった仲井です」といったが覚えているはずもない。だが「僕の書いた本をもらって読んでくれ」といわれた。「鴉の置き石」という林先生の本が、いま手元にある。あのころ十九才のわたしに「後十年だぞ、気をつけろ」と忠告した先生は当時、四十代まだ前半だった。そして「金がないからタダで診てやってくれ」とわたしを連れていった石原元夫先輩は能ある故にあちこちに事業をひろげ、ついには倒産したりして苦労の末、三十代でこの世を去ったと聞いた。二十代後半と林先生にいわれて、すこしは気をつけて過ごしてきたわたしは、ときどきむくんだり、蛋白が出たりしながら一病息災で古希まで生き延びた。
 「鴉の置き石」はいま流行の明るく楽しい元気な老人の物語ではない。逆に暗く、陰鬱に、この地球と人間存在の根底に触れるうめき声を発しているようだ。以下に一端を紹介する。はしがきの中で先生はいう。「八六才にもなる爺さんは毎日どう暮らし、頭の中で何を考えているのか。人のことは知らないが、私は頭の中でつぶやき続けている。人に通じることは全く考えないで、自分自身がこの人生に納得するために考えている」と。また先生は散文詩「願わざるにこの生を受く」のなかで、「万物進化は滅びるものを創ることである。その進化から生じた意識は宇宙の悲劇である。神は存在するかも知れないが、それは救いを与えるものではない。それは絶体絶命を教えるものだ。医学は生命の一部を救うが、後は治療という名で、絶望を引き伸ばすだけだ。科学も宗教と同じく、絶体絶命を教える。念仏三昧とか、神への絶対服従とかは、人間自由の放棄、人間願望の拒絶といえる」。先生は「おことわり」という項で「私の散文詩は多くの人の反発を買った。つけ加えれば、医師として、余りにも悲惨な死を見続け、人生の暗い面を知ったことである。そこから人間を眺め(人間の立場からでなく、一つの生物に過ぎないという立場から眺め)人類を必ずしも高等で喜ばしい存在と思うことができないのである。・・それぞれ自己中心的に生きざるを得なくなったこと、生物の宿命として他の生物を殺して生きる糧とせざるを得ないこと。人間は奢りすぎていないか、人間を地球の支配者、神の子としてすべての人間横暴を隠しているのではないか」と結んでいる。
林次郎、平成十七年(2005)8月12日没、94歳、
津山市伏見町本、玉林寺、智徳院釋眼正數聚、2006年9月帰郷、墓参
『鴉の置き石』1997年1月発行、当時林先生86歳
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助川さんの教え 歩けなくなってテレビだけを見ていると呆けが始まる 21・3・5

◆知能指数が高くても歩けなくなってテレビだけを見ているようになると三ヶ月で呆け
私の公害問題の師 助川信彦横浜市公害局長は2010年10月11日、92歳で大往生された。助川さんの教えで今でも覚えているのは、呆ける人と呆けない人の話である。助川さんに話しを聞いたのはそれ以前の老人ホームの医師のころだ。    
助川信彦さんはかつては飛鳥田市政の時代に「横浜方式」なる公害対策を樹立し、公害局長を最後に六十歳で定年退職、並みの役人なら天下りでどこかへ行くところだ。だが助川さんは医師という天職に忠実な生き方を選ばれた。横浜にある特養老人ホームに併設されている「天神診療所」の医師となり、身寄りのない老人らを十余年診察された。あるとき、呆ける老人と呆けない老人を観察していると面白い発見があるといわれた。
「呆ける人を診ていると、まず脚がだめにになって寝たきりで、テレビだけ見ているようになると三ヶ月で呆けが始まる。手が不自由だろうが、耳が遠くなろうが関係ないが、足がダメになるのが一番怖い」
◆呆けない老人に共通の特徴 足腰がしっかりして遊び心と趣味
 また呆けない老人には共通の特徴がある、として、老人ホームで呆けないで居る女性を観察した結果を話された。「まず足腰がしっかりしていることと、そのためには体を動かす能動的な趣味を持っていること。つぎに適度なストレス、心配事があるということも呆け防止につながる。頼りない息子があちこち放浪している。いまはあの子はどこにいるのかしら、と地図をひろげて案じている」
助川さんはさらにもう一つ、呆けないための秘訣として、つねに精神的明るさ、お色気、ちゃめっけが必要と言はれた。「昔は色町で働いていた老女が、診察室に来て、ハイ、先生、ラブレターなどとおどけて、和歌や俳句、都都逸などを書いて渡す。そういう色気というか遊びごころのようなものを失はないことがとても大切だ」
『心に花を持て』ということだろう。

コロナ禍で健康を維持するにはどうすべきか 20・2・1

高齢者の健康管理に詳しい長野県・諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師(72)に聞いた。【聞き手・熊谷豪】毎日新聞2020年12月1日
――自粛生活が心身に与える影響は。
40歳以上で介護が必要になった人の主な原因

◆外来患者を診ていると、大きく三つのことが起きていると実感
まず、これまで介護を必要とせず自立して生活していたのに、「何かにつかまらないと立ち上がれなくなった」と訴える高齢者が出てきた。介護が必要になる一歩手前のフレイル(虚弱)の状態だ。
 二つ目は、認知機能の低下だ。人間は、社会とつながらないと認知症になりやすい。感染予防のための「ソーシャルディスタンス」(社会的距離)という名目で、社会参加が抑制されている恐れがある。重要なのは、「フィジカルディスタンス」(身体的な距離)を保ちながら社会的につながることだ。
 三つ目は、コロナうつだ。多くの場合、うつ病というほどではないが鬱々とした精神状態だ。日本の家は広くないので、自粛生活で親子や夫婦の関係がぎくしゃくしがちと言われている。ストレス解消には体を動かすのが重要だ。外を散歩し、リフレッシュすることが必要だ。
 他にも、自粛生活の運動不足による「コロナ肥満」など多様な問題が起きている。血糖値が高い状態が続けば、将来的に脳梗塞(こうそく)や心筋梗塞が増える恐れがある。コロナに感染しなくても、介護が必要な状態になるのでは元も子もない。現在の食事や運動習慣などの生活状況が将来、大きな差となって表れる。
◆中年の人は、野菜の摂取を増やし適度な運動をする
働き盛りでもあるので、会社や自宅、通勤途中の道をジムだと思い、早めに歩いたり、テレビを見ながらスクワットしたりすることを心掛けてほしい。高齢者は肉などたんぱく質を積極的に摂取するのが良い。 ――コロナは健康管理を見直す機会になりますか。
◆感染防止対策を確認したうえで、医療機関で検査や人間ドックを受け、血圧や血液、筋肉量、脂肪量の変化などのデータをコロナ前と比べて今の生活を見直すきっかけにしてほしい。自分自身が健康の「管理者」になる自覚を持ち、医師ら専門家を利用する側に回るべきだ。そのため情報はあふれるほどあるのに、きちんと理解し行動に移せていない。
 かまた・みのる 東京都出身。東京医科歯科大卒。30代で諏訪中央病院の院長となり、地域住民の健康作りに力を入れる。代表作はエッセー「がんばらない」

コロナで蟄居老人の日々 財布・鍵・保険証など紛失事件 20・12・27

 先々週の12月17日金曜日の午後3時ころに飯田橋の駅のビルにあるスーパーで買い物をした。それから神楽阪を上がって、毘沙門天の先にあるお赤飯の店で買い物をしようとしたら財布がない。一瞬、先ほどのスーパーで買い物をしたことを思い出して、どこかで落としたと判断した。
慌てて坂を駆け下りて、まずスーパーの向かいにある三井住友銀行に駆け込んだ。まずは銀行のカードを紛失したので使用中止を届けた。それから向かいにある駅構内のスーパーに直行した。レジ係りに、先ほど買い物をしたが、財布は落ちていなかったと聞いた。落ちていませんという。更に飯田橋駅の入り口の交番に財布紛失届けをした。やれやれまたやったと悔いても遅い。
財布の中には現金数万円と、銀行のキャッシュカード二枚、それに保険証など重要書類がはいっている。おまけに保険証は一週間前に紛失して区役所で新たに作ってもらったばかりだった。それに加えて部屋の鍵もなくしてしまったが,やっとマンションのゴミ捨て場の流しにおいてあるのを発見したばかりだった。
これはもう完全な呆け、認知症の進行だ。認知症検査を受ける以外ないと思いつつ部屋に帰った。しかしふと気づいたことがあった。スーパーの買い物では現金ではなくてパスモで支払いしたことを思い出した。そこであるいはと思って、朝のうちにマンション11階の諏訪長生館というマッサージに行ったとき着ていたオーバーコートのポケットを探した。あった。なんという迂闊さだろう。大慌てに慌てたがすべて自分の幻覚に振り回されていたのだ。
息子に電話をして、この大失態を報告したら、息子は呆れた様子で、自分だって財布とか大事なものはすべて紐をつけて入れる鞄一つにして出歩いている。もう現金や保険証を持ち歩くことをやめてスマホ一本にして、大事なものは紐をつけて持ち歩くようにしたらどうだと言う。
10年位前も同じような事件を起こして、すべてキャッシュカードなど閉鎖してもらった。この時もトイレの中に財布を置き忘れていたという大失態を冒したがその再現である。老いてますますその兆候がしばしば起こるようになった。どうも、どこかで上の空で呆然としているアホな老人の姿になってしまった。それでもバカみたいに一日二食の玄米菜食のために、朝夕二回の買い物にせっせと歩き、一万歩歩いた、八千歩歩いたと喜んでいる救い難い老いぼれ米寿老人なのである。 
冬陽背に わが影長き 九段阪 漫歩

寒中お見舞い申し上げます

寒中お見舞い申し上げます 21・2・6
早々に賀状及び年末は喪中のお知らせなど拝受。老生は一月に八七歳となりました。呆け物忘れ一層甚だしく一日の三分の一は忘れ物捜し、三分の一は朝夜の玄米菜食の食事作りの野菜などの買い物。ついでに散歩して、なんとか一日一万歩の散歩で終わります。昔の老人はもう少し悠々としていた。わたしの祖父は孫に詰め将棋を教えたり、川に魚を釣りに行ったりして持ち物は腰に挿す煙管だけでした。入れ歯などなくすべて歯茎で食べました。入れ歯探しにウロウロして、ますます使いにくくなったパソコンとメールにしがみついている。おまけに携帯電話を持ちこれも失くしたと大騒ぎの日々。
とりわけ友人の名前が思い出せない。先日も友人をナカムラさんというところをナカタニさんと言って「すぐに認知症の検査をしなさい」と忠告されました。不整脈しばしばで心臓弁膜症とのこと。なにはともあれ長患いせずにコロリと逝ける見通しも立ちました。ご健勝を祈ります。

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徘徊老人

Author:徘徊老人
88歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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