むのたけじ『99歳一日一言』を読む

むのたけじ『99歳一日一言』を読む 15・7月18日
 一年前くらいに九段坂上の靖国神社の近くに、先輩のKさん90歳が引っ越してきた。旧社会党本部に居た1955年以降、濃淡はあったがお付き合いがあった。10年くらい前から、「メールマガジン・オルタ」なる電子メール雑誌を創刊され、現在まで続いている。恐るべきは、日本全国の友人たちは、ことごとく手紙が電話でなければ連絡が着かないのにK先輩のみはメールや携帯で連絡が取れる。有難い先輩である。おまけによく本を買って読まれる。私は滅多に新刊本を買わないが、K先輩の部屋に行っては、面白そうな本を借りて読んでいる。
 最近、むのたけじの『99歳一日一言』岩波新書を借りて読んだ。全編、さすがに99年を生きぬいた人生の大先輩の、示唆に富んだ言葉が並んでいる。興味のある方は720円の本だから買って読まれることを推奨する。私が、この本の中で興味深く読んだ一点を紹介したい。それは地域の保守派の方々に対する、むのたけじの評価である。
 8月29日の項に要旨以下のような一文があった。―政治の立場を世間では保守対革新と分断する。私は一貫して革新の側に立ってきて、死ぬまで貫きますが、保守を軽蔑したりする気は毛頭ありません。それどころか、「学習する保守」を尊敬し、心から感謝している。敗戦直後のことです。朝日新聞社にサヨナラした私は、秋田県南部の横手町で週刊誌『たいまつ』を発行し30年間続けてきた。それはいろんな方々の支えのおかげだった。なかでも私が「学習する保守」と呼ぶ人たちの支援はありがたかった。考えは保守だが、こと学習では何の敷居も設けないで学ぼうという情熱の持ち主たちだー。
 8月30日の項では以下のようにその例をあげている。-50年前の経験を今はじめて語る。週刊『たいまつ』を発行して16年目の1963年11月に『たいまつ16年』という本をだした。そのときに「あなたの出版祝賀会をやる」という知らせが3人の名で届いた。元市長、元議長、金融業者の三氏で、この町の行政と商工業を牛耳ってきた保守の親分だ。それがなにゆえ私を祝うのか。私は主催者の3人に聞いた。「あなた方は、どうしてこんな会を催してくださったのか」と。3人は顔を見合わせ、口を開いた。「たいまつはおらだちの敵だ。だからつぶすわけにいかぬ」と。あれから50年、この経験は誰にも言わず、書きもしないで来た。でもこのままだと、一句は消えてしまう。それで今ここに書いた。あなたよ。受けとめてくださいー
 わたしは、むのたけじの経験とは異なるが、戦後の住民運動のなかで、同様の感覚を抱いた。日本の地域住民運動で、基地闘争にせよ、公害反対運動にせよ、勝利したり、あるいは権力と対等の戦いをしたところは、一口で言えば、保守リベラルまたは右翼ともいうべき方々がリーダーとなった地域である。その地域を愛する、故に環境破壊や地域の文化や伝統を破壊する米軍基地や環境破壊に断固抵抗するという、信念のある方々が多かった。保守の神髄とはそういう所にあると思う。靖国神社周辺で、宣伝カーで大騒音をまき散らしている親米ポチ右翼とは、まったく異なる地域の保守リベラルの姿をむのたけじ氏は、よく理解しておられると思った。
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死後の事「老い方の探求」と言う本

死後の事「老い方の探求」と言う本 15・6月22日
 続々と友人知己の急死、病死が相次ぐ。死後の事はすでに遺言を書いた。一言で言えば葬儀は家内葬でやるべし、友人知己に知らせるべからず、年末の喪中お知らせで、お伝えするが、個人の遺志により香典などは一切お断りと書いた。こういう遺言を書くきっかけは、佐江衆一(作家)の『老い方の探求』(新潮社刊)なる本を読んだこともある。この本の中にある「死後の事」と言う一文に同感の念を禁じえなかった。以下にその要旨を記す。
―友人の葬儀に行くと次々と弔問客が来た。近所の奥さんや細君の友人たちで、とりまくようにして死顔を拝み、「まあ、きれいなお顔」「いまにもお目をお覚ましになるみたい」などと口々にいい、故人とは無関係なお喋りをはじめた。「うるせいな、さっさと帰ってくれ!」こっちは死んで静かにしていてえんだと、私なら怒鳴りつけたい。それまで親しくしたこともない女どもから、息をふきかけられるほど間近に見つめられ、死顔の感想など金輪際お断りだ。
 葬式でもそういう輩(やから)ほど、生前のありもしない親交ぶりを人前でひけらかし、世間体のみを気づかってしゃしゃり出てくるにちがいない。出棺のお別れのとき、そいつが口臭の臭うつらをぬっとさしのべ、白菊なんぞを死顔のそばに置き、そのなまあたたかい手が頬にでも触れようものなら、カッと目をひき剥ぎ歯まで剥いて睨みつけてやりたいが、それは出来ず、穏やかな死顔のまま棺の蓋を閉じられるのだから、私には耐えがたい。
 先日、妻の母が痴呆のすえ八十八歳で死に、型通り葬儀社のとりおこなう葬式があったが、個人は優秀な成績で女学校を卒業されましたなどと、葬儀社の進行係がくぐもった作り声でのべていて、生前のことを何ひとつ実際に知らぬ他人ごときが余計なことをいうなと思った。腹立たしいことはまだまだある。
 近頃どこの火葬場も火葬までがベルトコンベアのようだ。以前は、火葬を待つ間、煙突からうっすらと風にたなびく煙を見あげ、冥福をひっそり祈りつつ死者の感慨にふけることができたものだが、今日では煙も見えず、個人の追憶にふけることのできる雰囲気ではない。時間がきて火葬炉の鉄の扉が開き、火葬場の係員が台の上で遺骨をかき集めながら、骨壺の書かれている享年を見て、「お齢にしてはお骨(こつ)がずいぶん多いですね。珍しいですね」と骨の批評をした。
 これまで火葬には幾度も立合ってきたが、こんどばかりは肚に据えかねた。骨がすっかり弱って寝たきりになった老人の、介護の苦労も知らぬ赤の他人から、物識り顔に骨の批評をされては、黙ってやれと、私が遺骨なら怒鳴りたいところだ。どうしたらよいか。「どんな親しい友人にも死顔を見せるな、葬式もやるなよ」と先日家族に申し渡した。死亡通知も出さず、もし聞かれたら、「佐江は遠くへ旅に出ております」と答えてほしい。十年たって、人が忘れたころ、「実は、佐江は死にました」といってほしいのである。―
   人の世は 一炊の夢 明け易し 漫歩

      (写真 イワナシ 長野県栄村復興の歩みより)

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刺激的な本『明治維新という過ち』 

刺激的な本『明治維新という過ち』 15・5月12日
 尊敬する読書家の弁護士H先生から、コピーで週刊文春3月21日号に掲載された立花隆の記事をいただいた。週刊文春の「私の読書日記 冷戦下の核戦争計画、吉田松陰の実態」という記事だ。書評に取り上げられていたのは原田伊織著『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』という本。立花氏は要旨以下のように評している。
 ―長州人、薩摩人がリーダーとなって引っぱりまわした明治維新以来の近代日本を全否定する本である。この本の著者にいわせると「松陰とは単なる、乱暴者の多い長州人の中でも特に過激な若者の一人に過ぎない。何度注意しても暴走族を止めないのでしょっ引かれただけの男である。思想家、教育者などとはほど遠く、それは明治が成立してから山県有朋などがでっち上げた虚像である」。「松陰の外交思想というものは余り語られないが、実に稚拙なものであった。北海道を開拓し、琉球を日本領とじ、朝鮮を属国とし、満州、台湾、フィリピンを領有これを実行するのが彼のいう『大和魂』なのである。恐ろしいことは、長州・薩摩の世になったその後の日本が、長州閥の支配する帝国陸軍を中核勢力として松陰の主張した通り朝鮮半島から満州を侵略し、カムチャッカから南方に至る広大なエリアに軍事進出して国家を滅ぼしたという、紛れもない事実を私たち日本人が体験したことである」この本は、明治維新以後の日本の近代社会そのものを、吉田松陰ら長州薩摩のテロリストたちが作りだした偽りに満ちた社会として丸ごと否定してしまう立場に立つ。 総理大臣が吉田松陰に血道を上げるのはよいが、それも程度ものだということを忘れないでほしい。そうでないと「失敗の一代」まで後追いすることになってしまうだろう。・近代日本はどこまで正しかったのか。これは日本人全員が今後とも悩みぬかればならぬ問題なのだー
 書評を読んでどうしても読みたいと思ったが、売れ行きが良くて版をかさねているらしく店頭になかった。ところがT先生が昨日、「第8刷が本屋にあったので買ったから読みなさい」とわざわざ持参して下さった。読書能力が低下して、最近はもっぱら、簡単に読める詩集とか、柳田国男の『日本の昔話』という短い文章を読んでいるが、それさえ1,2ページ読めば眠りに落ちる。しかし『明治維新という過ち』は内容も刺激的だった。昨夜から読み始め、今朝も4時ころに起きて読んだ。私はかねてから、中国侵略以降の日本軍の兵站を無視した戦略が、中国における虐殺や糧秣略奪そして婦女子に対する強姦殺害などに結びついたと思っていた。
 この本の第五章「二本松・会津の慟哭」を読んで納得した。日本陸軍の原型は、この会津攻略において略奪、暴行の限りを尽くした官軍・長州軍の行動に在った。錦の御旗の下で行った、官軍の暴虐無残な婦女子への暴行は目を覆うものがある。老女から幼女まで犯して殺した。兵坦があろうがなかろうがやったのだ。147年経っても会津人の「恨み」は消えない。長州人の安倍首相は「慰安婦はなかった」というが、中国、韓国の恨みが戦後70年くらいで消え去るはずはないのである。
  松の芯 会津女の 心意気 漫歩
      (『明治維新という過ち』 毎日ワンズ刊)

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吉川英治さんに教わったこと 扇谷正造

吉川英治の肺がん死と禁煙願望 3月2日
 今日は昨日とうってかわって雨模様、山間部では雪と出ている。それでも雨傘を持って散歩に出る。代々木公園や青山墓地などを中心に歩いた。青山墓地には、沈丁花や馬酔木(あせび)がほぼ満開である。ここは1874年に公共墓地となって今年で140年の歴史を持つ。明治の高官から財界人、文化人などそうそうたる人たちが眠っている。少年時代から好きだった吉川英治の墓地は、府中の多磨霊園にある。吉川の小説に夢中になったのは、戦前に発表された『鳴門秘帖』で小説の面白さを存分に味わった。戦後は『宮本武蔵』にとりつかれた。武蔵は私の郷里の隣り岡山県英田郡で出生ということもあって、興味津々だった。
 最近古本屋で見つけた『吉川英治氏におそわったこと』扇谷正造著を読んで見た。吉川英治の少年時代から大作家になるまでのエピソードが盛り込まれていて、じつに面白い読み物だ。その中に、吉川英治の晩年の禁煙願望と肺がん死のことが書かれていて興味深いところがあった。以下に要旨を紹介したい。
―吉川英治さんは1962年9月7日に肺がんで70歳で病没したが、私は肺がんと聞いたとき、(しまった)と思った。じつはその8年前に相談があった。
「ひとつ、断食をやってみたいと思うんだが、どうだろうか。断食をやると”宿便“というのが 出る。コール・タールみたいな、まっくろい便なそうだ。それは大腸にへばりついている、いわば長年の身体のカスだね。廃棄物が、ベッタリ大腸の管にくっついている。それが断食の結果、はげおちて来るというんだネ。つまり、断食すると、身体中の細胞が、生れかわる。断食のもう一つのねらいは、その結果、僕はタバコがやめられはせんかということなんだよ。
 僕、少年時代からタバコに親しんでね。何回かやめようと思っちゃ、禁煙できなかった。断食すれば、タバコがやめられる。長年、忘れていた空気の味はどんな味がするものか、それが味わいたくってネ」私は、さっそく社へ帰り笠信太郎氏に、このことを相談した。その時の笠さんの返事「扇谷君、ずいぷん、人に聞いたり、いろいろ考えてみたんだけれども、お身体は、弱っている。いま、断食なんて荒療治やったら、吉川さん、いっぺんにまいってしまうよ」。
 私が(しまった.)と思ったのは、そのことを思い出したからでした。(ああ、あの時、先生が断食されていたなら……ああ、先生のことだから、十二分に計算されての発心だったろう。かりにお身体が弱っていたにせよ、何しろ〃宮本英治“か、”吉川武蔵“みたいな意志力の強い方だったんだから……)という悔恨がとめどなく湧きでてくるのでした。たいへんなヘビー・スモーカーで、たしか一日ピースを六十本位は、吸われたんじゃないかと思います。肺ガンはご承知のように、タバコの吸いすぎが原因だといわれているのです。
 大作家吉川英治は、当時の国立がんセンターが総力を挙げて手術に成功、いったんは回復したが半年後に再発、「ク、ル、シ、イ」と叫んで病没したという。8年前に希望通りに禁煙を実行していたら、もっと健康な余生があったかもしれない。
  正三位無縁の墓に馬酔木咲く 漫歩 
     (写真 吉川英治の墓碑「著名人の墓巡り」より)
   

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自民党堀内元代議士の靖国・戦争責任論

自民元代議士堀内光雄の靖国・戦争責任論 11月11日
◆靖国に参拝できない米要人が千鳥ヶ淵墓苑へ
 先日、友人に勧められて元自民党代議士堀内光雄氏の新著『靖国と千鳥ヶ淵を考える』(祥伝社刊 780円)を購入して読んだ。たまたま保坂正康氏の「昭和史のかたち」という毎日新聞の月例のコラムに「米2閣僚の千鳥ヶ淵墓苑献花 安倍史観に強い怒り」という記事に触発されたこともある。(013年11月9日毎日新聞)
 保坂氏はこの中で、「私の今年のトップニュースは、10月3日午前にジョン・ケリー米国務長官とチャック・ヘーゲル国防長官が連れ添って、東京・千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れ、献花、黙祷を捧げたことである」と記している。私は、このニュースは寡聞にしてまったく知らなかった。
 かつて中曽根内閣の時代に、中曽根教育臨調の委員を務めた、故香山健一学習院大教授(故人)から聞いた話を思い出した。香山氏は中曽根首相に進言して靖国参拝を中止させた人であった。その時香山氏は中曽根首相に言った。「靖国神社にA級戦犯が合祀されているということは、単に中国、韓国だけではなく、米国や英国の首脳も日本に来たときに参拝できない。そういう場所であることをも考えて、靖国参拝はやめるべきだ」。
 堀内光雄氏の新著『靖国と千鳥ヶ淵を考える』はまさに香山氏とほぼ同じ立場で、靖国にA級戦犯を合祀したことに疑問を投げかけている。「昭和殉難者として14人が合祀されているが、どういう理由で合祀されたのか全く分からない。とくに,A級戦犯の合祀が総理大臣の参拝を牽制、制約し、外国要人の儀礼的参拝を妨げ、外交関係にまでひびを入らせているとしたら、宗教法人の自由だと看過できない。あの勝ち目のない戦争に国民を突入させ、310万人もの国民の生命を奪い、塗炭の苦しみを味わわせた戦争責任者を、なぜ靖国神社にお祀りしなければならないのだろうか・・・」。
◆戦争の早期終結をしなかった軍部の優柔不断と無為無策
 堀内氏は現在、財団法人千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会会長でもある。戦争犠牲者は靖国に祀られている軍人軍属230万人以外に、戦没者であるが名前が不明で遺骨の引き取り手の無い、戦没軍人軍属、民間人の犠牲者など、35万8620柱が、千鳥ヶ淵戦没者墓苑に安置されている。いまだ未帰還の戦没者の骨は113万柱が取り残されている。堀内氏は言う。「理由は何であれ特攻作戦は邪道であり、これを採用した軍の首脳は間違っている」。
 本書の白眉は、戦争を止める時期を失したことへの責任追究だ。先の大戦では、軍人、軍属のほか民間人を含めて310万人を超える人々が亡くなった。そのうちの3分の1にあたる約100万人は、昭和20年3月から8月までの約半年間と終戦直後の混乱のなかで死んだ。しかもそのうち7割は非戦闘員の老若男女だった。堀内氏は怒りを込めて以下のように述べている。
 「かくも甚大な人的被害を招いたのは、戦争の早期終結を決断できなかった軍部指導者の優柔不断、意志薄弱、無為無策である。彼らが6か月前に決断しておれば、硫黄島の玉砕約2万人、沖縄戦の民間人を含む約19万人、米軍の焼夷弾による無差別爆撃や原爆で命を落とした約60万人の一般国民、更にソ連参戦によって逃げまどいながら虐殺され、自決して10数万の人々、シベリア抑留によって亡くなった約6万人の命は助かったはずである」。保守本流のなかに気骨ある政治家がまた一人居た。堀内氏自身が14歳の時、甲府市の米軍による焼夷弾攻撃で生き延びた原点からの発言ともいえる。
     (写真 戦争中の電灯節約ポスター)

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ようこそ!「老人はゆく」へ
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徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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