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86歳の呆け物忘れ進行に呆れる 19・5・23

86歳の呆け物忘れ進行に呆れる 19・5・23
 この数日間は自分自身の物忘れ呆けぶりに翻弄された。まず始まりは銀行暗証番号の忘れに始る。毎月後半は家賃だとか公共料金とか支払いをしなければならぬ。初めから銀行で振り落としにしておけばよいのだが、毎月自分で忘れないように支払うという行為がボケ防止につながると思つたからだ。九段北のマンションに入ってから33年になるが、なんとか続いてきた。
 ところが暗証番号を二度ばかり間違えると、三回目に正しい番号を入れたとしても、すでに二回間違ったことで、お金が下せなくなるのだ。やむなく近くの銀行まで行かなければ月末の支払いが出来なくなった。神保町近くの銀行に辿りついて、暗証番号を間違えたことで、カードが使えないと再交付の要請をした。ところが必要なものは、銀行の印鑑、写真入りの証明書,徘徊老人の場合はパスポートしかないが、それが必要ということだ。それにしても印鑑を使って引き出した記憶がないので印鑑の所在が思い出せない。というわけでその日はおわった。
 帰宅してみると、玄関のドアが開いていた。確かにきちんと施錠して出たはずなのにおかしい。そして、もう一つの郵便貯金通帳が何時も入れているところにない。急に不安になってきた。いくら心当たりを捜してもない。これは郵便貯金通帳を盗まれたと思い込んでしまった。印鑑は別の場所においてあったが、ともかく届けなければならない。郵便貯金の担当は夜でもつながっていた。そこで、通帳を盗まれたと言って、通帳をクローズしてもらった。ところがこれも錯覚だった。机の引き出しを開けるとちゃんと通帳があった。
 翌日は大雨の日だったが、も一度、印鑑、通帳、カードに身分を証明するパスポートを持参して新しいカード発行の手続きをやった。雨と風に下半身ずぶぬれになってしまった。まあこれも身から出た錆だと思うしかない。やっと銀行口座の方は新しいカード発給まで一種間くらいはかかるというが一件落着となつた。翌日郵便局に行って通帳が見つかった旨を話しした。ところがクローズを解除するには、通帳と印鑑と身分証明書がいるそうだ。やれやれ又出直しだ。
 呆け物忘れはまだ続く。毎月の家賃も銀行振り込みでやっているが、不動産会社から電話が在った。まだ四月の家賃が収められていないと言う。あわてて通帳を調べると支払っていない。もうボツボツ月末になろうというのに、四月の家賃払い込みを失念していたのだ。すぐさま送金手続きをしたが、今後は銀行の自動振り込みに替えるしかないと思った。余りにも勘違いが多すぎるからだ。
 足腰衰え、記憶力低下、失念多々。全国各地の砂川安保世代の訃報、入院などが相次いでいる。まあ、呆け物忘れはひど過ぎるが、一日二食の玄米雑炊と、酢卵ヨーグルト丼は、何とか自分で買い物をして作って食べられる。70代半ばまでは、何で老人はあんなに足が遅いのかと、不審に思っていたものだ。いまや街を歩く誰よりもゆっくり一歩、一歩を歩いている徘徊老人だ。忘れ去るということも案外悪くないなと思ったりしている。
 忘れると いうことの幸 山法師 漫歩
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物忘れ進行度84歳の感想

今月の呆け物忘れ進行度84歳の感想 17・1・30
 我ながら驚く84歳だが、確実なことは日々老いは深まり、医者に行くほどではないが、腰も膝も弱くなり、眼には飛蚊、耳は難聴、歯は確実に抜けていく。朝起きて、昔は3分で顔を洗って出かけたのに、いまやラジオ体操へ出かける支度に30分はかかる。それくらいノロマになった。加えて物忘れ呆けも進行して入るのだが、昨年来、座敷童子と同居というか同棲することによってものの考え方が変わった。一言で言えば、自分の老化を素直に受け入れることだ。それによって、できること、できないことが明瞭になってきた。「老いたる駄馬」になったという自己認識の上にたって日々の生活をゆっくりこなしていく以外にない。
 過去から今日まで生きてきた経験からいうと、先師、先輩たちの言動が、80歳半ばから急激に変化するということがある。物を失くしたり、物を忘れたりということ以外に、過去の記憶がすっぽりと抜け落ちるということも見て来た。戦前の労働運動の指導者で、かつて1977年のわが師江田三郎の社会党離党、社民連結成などに至る過程で、いろいろ教えていただき指示をいただいた方がいた。しかし後年、その当時のことを書きたいと思ってお会いしたところ「そんなことは全く知らん。記憶にない」と一言の下に否定され慌てたことがある。大先輩80代半ばの時である。しかし、当の本人が当時のことを社民連の機関紙に書いていらっしゃって、その記事を元に原稿を書いた。2005年頃の話である。ご本人はそれより昔の言わば日中戦争に入るころの労働運動、最初の無産政党が初めて衆議院に議席を占めた青年時代の奮闘は仔細に覚えていらっしゃるので驚いた。要するにある時点で、10年前、20年前くらいの記憶はすっぽりと抜け落ちてしまったのだ。自分もそういう年代に入ったという自覚が肝要だと言い聞かせている。
◆会津から見返り美人という物忘れ防止策
 会津に住む60代半ばの友人Sさんから、徘徊老人のブログを読んで、自分が実践している物忘れ防止法についてメールが寄せられた。彼女は東京から郷里会津に夫婦で帰って3年になる。夫の母親、義母96歳が老人ホームに入っているが、何かあると病院やその他で面倒を見なければならない。加えて実母も98歳でお二人とも認知症気味であり介護に奔走している。メールに曰く。「私が実践しているのに、見返り美人というのがあります。銀行から立ち去る時、喫茶店から腰を上げる時、歯医者の待合室から帰る時、振り返って今いたところを見ることです。見返るのです。これで忘れ物もがクンと減りました。習慣にしてください」
 また、しばしばブログに投稿して頂いている「雪見姐」からは以下のようなメールをいただいた。「今年の同世代の友人からの年賀状のほとんどが、病気があることやかろうじて生きているなど、辛い一言が添えられていました。おかげさまで心身ともに元気な私は、何者? って自分で思ってしまいました。でも、いつまでも元気でいられないこと、70過ぎたら(今はまだ67歳)健康維持にはより一層の努力(運動、食事のバランスそして、ストレスのかからないモノの考え方)が必要なことを肝に銘じて生きて行くつもりです」
   今日を生きる餌あれば良し寒雀 漫歩

8月の呆け物忘れ、座敷童子通信3

8月の呆け物忘れ進行度 16・8・31
座敷童子通信 No3
 台風が三つも四つも日本列島襲来。とくに北海道は四つの台風で痛めつけられた。東京は雨は降っても、さしたる台風被害はなく、一昨日の29日、30日の朝もレインコートを着てラジオ体操へ行った。一昨日は参加者6人、昨日は3人、今まで雨中のラジオ体操で3人というのは最小人員だ。会長の88歳の池田先生はラジオ持参で三百六十五日いらっしゃる。お蔭で徘徊老人のような横着者も参加してラジオ体操ができる。
 この冬の二月、俳句仲間の游子さんから「徘徊さんの物忘れは座敷童子のしわざですよ」と教えられた。そうだと思ったとたん、部屋の中で座敷童子と同居するということになった。以来半年余り、お蔭でとんでもない物忘れがなくなった。財布入りのバッグをコンビニに忘れて来たり、上下の入れ歯をどこかに落としたりというような大失態がなくなった。
更に、7月に座敷童子の本場である岩手県宮古市に友人の女性Kさんを訪ねた。彼女は四国歩き遍路の仲間で、13年前に一緒に四国遍路道の空き缶ひろいをした。
 2011年の宮古中心部の津波を生きぬいたKさんの話は、7月のブログに書いた。そのとき宮古の浄土ヶ浜で綺麗な小石を見つけてポケットに入れて帰った。あとでⅯさんから「浄土ヶ浜は国定公園だからホントは小石も拾ってはダメなの」と教わった。なるほどと思ったので手紙を書いて宮古市環境協会にお返しすることにした。
その旨Kさんに電話で伝えた。するとKさんは「そこまでしなくても、その小石を持って四国のお寺さんにお参りして、津波の犠牲者や仲間の菩提を弔った後、お寺さんに奉納したら」というアドバイスをいただいた。というわけで小石二つはいまなおわが部屋の、仏像と一緒に鎮座ましましている。この小石もまた霊験あらたかで、部屋に置くようになってから、無くなったはずの入れ歯が帰ってきた。地下鉄大手町の駅で紛失したと思い込んでいたが、部屋の掃除をして冷蔵庫を移動したところ、その下から出てきた。
友人の達磨さんからもらった小銭入れも失くして「しまった」と思って居たが数日のうちに部屋の中で見つかった。部屋の鍵も失くしてしまったと思って居た。しかしなんとなくそのうちに出て来るだろうと、慌てないでいると一週間くらい経って部屋の衣類を入れる籠の中から現れた。ともかく物忘れはするが、どこからともなく出てくる。やはり座敷童子が悪戯して隠しているのだろう。座敷童子と浄土ヶ浜の小石のお陰で徘徊老人はまことに平穏な日々である。
 とはいえ、年齢相応に気力体力は低下している。もう一日に昼も夜も人に会うということや会議やデモに参加することも無理とわかった。八十代の自覚が足りないで、七十代の延長線上に生きていたことが失敗の最大原因だった。もう無理はできない。頑張ると言っても昔のようにはできない。足も腰も膝もときどき悲鳴を上げるのが分かる。ようやく83歳にして老人は老人らしく玄米雑炊二食の食生活に徹し、毎日食材、主として野菜、豆腐を買いに歩き、その合間に自分の一番やりたいこと、読みたいものを読むという最低限のところに目標を置いた。友人の名前、花の名前、土地の名前など固有名詞は忘れて行く。でも名簿を見ればまた思い出せるのだ。日々静かに歩き、静に考え、無理をしないということで、とんでもない失せ物、忘れ物の恐怖から解放された。ひとえに座敷童子と同居したおかげである。

  留守電につつがなきやと秋の風 漫歩
      (写真 浄土ヶ浜の小石二つ)

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2月の呆け進行度・ゆっくり歩く

2月の呆け進行度・ゆっくり歩く 16・3・1
 今朝は快晴、ラジオ体操に行くと木々の新芽がふくらんで来ている。空に残る半月も心なしか明るい。あっという間に3月だ。2月にも大きな物忘れをやった。毎日のことだから枚挙にいとまないが、大きかったのは北の丸公園の朝のラジオ体操へ行って部屋のカギを紛失した。そして上顎の入れ歯をなくしたことである。鍵は部屋に入ろうとして気が付いた。すぐに交番に届けて鍵を預けている娘や友人に電話して部屋に入れたのは、お昼前。半日くらいは喫茶店でモーニングを食べたり、図書館に行ってすごした。さらに追い打ちをかけて入れ歯を失くした。たまたま、90代の先輩2人と会食をすることになり、神田の寿司屋に出かけた。お昼のランチを食べて、東京駅までお送りした。
 もう数年間使っている入れ歯が、少々具合が悪くなったせいで、使わないときは外している。容器にちゃんと入れたはずが、帰宅すると紛失していることに気づいた。紛失の原因を調べても如何ともしがたい。翌朝、かかりつけの九段下地下鉄入口のヨコタ歯科にでかけて「入れ歯を失くしたので」と言うと、医師は直ちに新しい入れ歯を作るための歯型を作ってくれた。何しろ20年近く通っているから仕事は早い。翌週の末には新しい入れ歯ができた。年を取ると顎の中は衰えて変化してくる。「だから高価な入れ歯をつくってもムダだ」と聞いているのでいつも保険の範囲内で作って居る。今回は上あごの入れ歯6本を作ってもらったが、保険の請求額は3,160円だった。といっても一割負担だから3万1000円はかかった勘定だ。
◆持ち物が多すぎる現代老人 ユックリズムで歩くしかない
 日々物忘れに苦闘しているようだが、近ごろは慌てなくなった。「命が無くなったわけではないからいいや」と割り切ってゆっくり歩くことにした。持ち物が多すぎることを83歳の老人は反省する。何しろ、外出する際には、帽子、カギに手提げくらいは仕方ないにしても、携帯電話、サングラス(これも紫外線除けに必須)、地下鉄のカード、手帳、財布、小銭入れ、メモ用の筆記具にメモ帖、入れ歯などなどである。昔の年寄りはもっと余裕があった。私の祖父などは岡山の山村で炭焼きをしていた。老いては休みの日に魚釣りに川によく出かけていた。腰に手ぬぐいと煙草のキセルをさしているだけ。入れ歯などというものは作らず、顎だけで食事をしていた。そして孫の私に詰将棋を教えてくれたものである。
 いまは自分の食事、洗濯、掃除などは人様の世話にならないで何とかしのげる。しかし将来のことは、この呆けぶりでは予測できない。時々名前を間違えたり、日時を勘違いしたりして友人に叱られることも多い。友人たちの多くはこの世を去り、残った者も様々な老病に苦しみながら生きながらえている。やがて自分にもそういう時が来ると覚悟してはいる。とりわけ認知症などというものは身近に存在する。先日も友人の元会社社長であった女性が認知症で施設に入所したという知らせがあった。別の友人の女性も息子が「母は認知症です」と伝えてきた。ひたすら毎晩、般若真経を行じて「ぽっくり死」を念じている。
 叱られることも嬉しき老いの春 漫歩

      (写真 蔦紅葉 広島市比治山公園)

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八十代の風景 物忘れ急増

八十代の風景 物忘れ急増 017・1・31
 今年こそ落ち着いて慎重に生きよう。もうばたばたしないで冷静沈着な老人になろう、と新年に当たって固く決意した。それもつかの間、元旦2日には、公園の体操に行って帰途立ち寄ったコンビニで、最もやってはならない事、手提げにいれた財布を忘れた。これはすぐに引き返して事なきを得た。やれやれと思う間もなく新年第一回の句会に杖を曳いて出席したが、その杖を会場に忘れてきたことに気づいた。電話して来月の句会の時にいただくことにしたが、どうも頭の様子がおかしい。
 毎日、毎日何かを忘れ、何かを失くしている。部屋の中での場合が多いが、いくら探しても見つからないパソコン用のメガネが机の下に落ちてゐたりする。そして先週は決定的な忘れ物をした。上あごに付ける義歯を失くした。当日は92歳の先輩2人と昼食ということになり、神田の寿司屋でランチを食べた。そこで使った義歯を洗って小銭入れに仕舞ったのが良くなかった。銀座に回って用事を済ませて地下鉄に乗った。部屋に帰って小銭入れを開けて義歯を失くしたことに気づいた。ひょっとして日本橋で乗り換えたときに夕刊を買った時に落としたかと思い、地下鉄日本橋駅のホーム売店まで出かけて探したが見つからなかった。急遽、翌日掛かりつけの歯科医に出かけて作ってもらうことにした。それでも1週間余りは入れ歯なしの生活、固いものは一切食せない。
 昨日は週に二三回行く豆腐屋に出かけた。何しろ固いものがダメだから豆腐が一番だ。お金を払おうと思ったら小銭入れがない。やれやれ、先週は小銭入れに義歯を入れて紛失、今度はその小銭入れがなくなった。やむを得ず顔も知りの豆腐屋のオジサンの好意でツケにしてもらって、170円の豆腐を買ってきた。なんとなく戦時中の軍歌の1節を思い出した。。
「いつまで続くぬかるみぞ、3日4日5日は食もなく、雨降り続く鉄カブト」。意味はちがうが「いつまで続く物忘れぞ」と暗澹とした気分だ。さらに年改まって顕著になったのは、固有名詞の出てこないことだ。これはいままでもあったことだが、それが、さらにひどくなった。
 北海道の網走近くに住む84歳の友人Ⅿ老からハガキが来た。もう40数年間の手紙友だちだ。酷寒の地で、彼もまた老耄を嘆いている。―四日間、雪が降り続き、雪掻きで体のフシブシが痛いです。お説の通り①ピンコロリは希望②物忘れの激しさは絶望的です。過去五十年間、コップ茶碗を割ったのは各二個。ところが去年は一年間で三個を割りました。粉々の破片を拾いながら、「吾が骨を拾ふ」感覚になりました。衰へとはかくなるものなり。雪や氷に足をとられて転んだのは、過去六十年間に一回。それが正月さうさう、スッテンコロリン。左大腿骨強打。それは不幸。しかし骨折ではなかったのは幸。あの世は近しですー
 Ⅿ老の昨年12月末のハガキには「今朝少し寒いなと思ったら零下十六度」とあった。暖房がなければ凍死する寒さだ。10度前後の室温で寒い寒いと言っている徘徊老人など到底耐えられない酷寒の地に、独居独立の生活を営んでいるのだ。
 木瓜の花満開嬉し呆けの人 漫歩
ようこそ!「老人はゆく」へ
「老人はゆく」へようこそ

徘徊老人

Author:徘徊老人
88歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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