北の友から 新幹線とオリンピックに怒る

北の友から 新幹線とオリンピックに怒る 17・5・17
 北海道旭川市に住む旧友Ⅿ君から手紙がきた。風の噂で亡くなったという話を聞いて便りを出した。さっそく返信があり、死んだというのは誤報だった。亡くなったのは札幌市に住む別の友人だった。ともに同年齢で二十歳代からの社会党青年部、社青同などで共に活動した親友である。以来数十年、だんだん年を取って八十歳を超えると、多くの知友が亡くなり、あるいは病に倒れる。それは致し方ないことだが、年賀状や手紙のやり取りがなくなるとその消息は噂でしか聞けなくなるのだ。以下はⅯ君からの便りである。
―このたびは、電話・はがきありがとう。これが友情だと感謝している。昨年は年末から弟が危篤状況で(1月5日死亡・肺癌72歳)年賀状も出せなかった。ごめんなさい。私より11歳年下(末っ子 札幌在住)で頼りにし誇りに思ってた弟でした。私が死んだというのは誤報です。私も、貴兄のはがきに書かれた(カタツムリ)のような状態ですが、なるべく外を歩くようこころがけています。しかし、大きな病気を二つ抱えてます。一つは「前立腺ガン」ですが、これは発見が早かった(昨年の夏)ので、他の器官に転移してなく現在は「ホルモン療法云月1回の皮下注射」をしてます。本当は、内視鏡での除去手術がベストなのだが、80歳を過ぎて手術はダメ、抗がん剤は副作用が必至で致命的。とのこと。もう一つは「心房細動」(不整脈)過度の運動と一人での旅行は禁止されている。
 この二つだけは厄介だが、ほかにあげれば、忘れっぽい、本を読むのも遅い、等々挙げれば限がない。そうそう、ワープロで私信を書くなんて失礼なんですが、右手が震えて文字が書けないのだ。「本態性振戦」という病気だそうだ。パーキンソン病でなくて助かった。この二つだけは厄介だが、ほかにあげれば、忘れっぽい、本を読むのも遅い、等々挙げれば限がない。私が頭に来ているのは、北海道新幹線と札幌冬季オリンピック。これは『地方創生」でなく「地方殺し」だ。J Rは「地方路線廃止」になりふりかまわずだー
 本態性振戦などという病気は初耳だが、パーキンソン病に似ているらしい。若いときは旭川に行くと車で道内の名所や、旭川の植物園などを案内してもらった。街の中に川が流れており、実に楽しく歩ける街でもある。M君の北海道新幹線は結局道内のJR路線の縮小につながり、札幌冬季五輪などは「地方殺し」という見解に同意する。福島の原発事故収拾を中途半端にして、東京オリンピック狂奔している現状と重なる。オリンピックに人とカネを動員して恥じない政治と経済への怒りは共通する。
徘徊老人も三月から急に心臓の具合が悪くなった。不整脈と診断された。ここ数年狭心症の症状もなく、玄米中心の一日二食という簡素な食生活が幸いして、まったく薬要らずの生活だった。近くの内科医院で、24時間心電図で検査したり、血圧降下剤を飲まされたりしたが、ようやく安定してきた。ひたすら歩き、食生活に気を付けている日々である。先に行った先輩友人を偲び、友よ我らもまた後を追うと日々祈っている。
  同病を相憐れみて春深し 母の日よ老いても若き母を恋 漫歩

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簡素な生活③清貧」ムヒカが見た日本

簡素な生活③清貧」ムヒカが見た日本 17・5・11
 南米ウルグアイから、前大統領のホセ・ムヒカさんが初めて日本にやって来たのは昨年4月のことだった。1週間の滞在中、東京や大阪の下町を歩き、多くの学生とも触れあった。「清貧」を貫く哲人政治家の目に、日本の何が、どう映ったのか。朝日新聞の記者が、首都モンテビデオにムヒカさんに会いに行った。以下はその記事の要旨である。簡素な生活ということを考える上で、世界一貧しい大統領と呼ばれた男。ムヒカさんの幸福論に多くの共通点を感じる。
―◆ロボットは消費をしない 日本を訪ねて見えたものは、一つ心配なことを発見した。というのは、日本は技術がとても発達した国で、しかも周辺には労働賃金の安い国がたくさんある。だから日本は経済上の必要から、他国と競争するために、ロボットの仕事を増やさないといけない。技術も資本もあるから、今後はロボットを大衆化していく最初の国になっていくのだろう。ただ、それに伴って、これから日本では様々な社会問題が表面化してくるだろう。いずれ世界のどの先進国も抱えることになる、最先端の問題だ。確かに、ロボットは素晴らしいよ。でも、消費はしないんだから。
 日本人は親切で優しく勤勉だがイカれている 「世界で一番、勤勉な国民はドイツ人だと、これまで思っていたが、私の間違いだった。日本人が世界一だね。だが京都で泊まったホテルで、『日本人はイカれている!』と思わず叫んでしまった夜がある。トイレに入ったら、便器のふたが勝手に開いたり閉じたりするんだから。あんなことのために知恵を絞るなんて、まさに資本主義の競争マニアの仕業だね。電動歯ブラシも見て驚いた。なんで、あんなものが必要なんだ? 自分の手を動かして磨けば済む話だろう。無駄なことに、とらわれすぎているように思えたね。それに、あまりにも過度な便利さは、人間を弱くすると思う。
 「とても長い、独自の歴史と文化を持つ国民なのに、なぜ、あそこまで西洋化したのだろう。衣類にしても、建物にしても。広告のモデルも西洋系だったし。あらゆる面で西洋的なものを採り入れてしまったように見えた。そのなかには、いいものもあるが、よくないものもある。日本には独自の、とても洗練されていて、粗野なところのない、西洋よりよっぽど繊細な文化があるのに。その歴史が、いまの日本のどこに生きているんだろうかと、つい疑問に思うこともあった。
◆豊かな国ほど幸福について心配する 2015年に大統領を退いてから訪れた国は トルコ、ドイツ、英国、イタリア、スペイン、ブラジル、メキシコ、米国だ。行った先で私はよく大学を訪れる。年老いてはいるが、なぜか若者たちとは、うまくいく。そこで気がついたんだが、どこに行っても、多くの人が幸福について考え始めている。日本だけではない。どこの国もそうなんだよ。豊かな国であればあるほど、幸福について考え、心配し始めている。南米では、私たちはまだショーウィンドーの前に突っ立って、『ああ、いい商品だなあ』って間抜け面をしているけれど、すでにたくさんのモノを持っている国々では、たくさん働いて車を買い替えることなんかには、もはや飽きた人が出始めているようだ。
 おそらく、自分たちは幸せではない、人生が足早に過ぎ去ってしまっている、と感じているからだと思う。これだけ物に溢れているのに幸福度ランキングだと、日本は53位だそうだ。「東京は犯罪は少ないが、自殺が多い。それは日本社会があまりにも競争社会だからだろう。必死に仕事をするばかりで、ちゃんと生きるための時間が残っていないから。家族や子どもたちや友人たちとの時間を犠牲にしているから、だろう。働き過ぎなんだよ。もう少し働く時間を減らし、もう少し家族や友人と過ごす時間を増やしたらどうだろう。あまりにも仕事に追われているように見えるから。人生は一度きりで、すぐに過ぎ去ってしまうんだよ。―(2016年12月23日 朝日新聞)

岡山の老友に教わる東京名所2

岡山の老友に教わる東京名所2 17・5・1
 岡山の友人Tは4月27日、3泊4日の東京滞在を経て帰った。一日目は、まだ行ったことのなかった新井薬師にお参りした。二日目には日本橋三越前の通りを入ったところにある、福徳神社に参詣した。ここは二代将軍徳川秀忠の創建したといわれ。子宝、安産を願う神社として古来知られている。また宝くじの運がつくというので有名だという。Tはそこで、例によって御朱印をもらい、宝くじ当選の祈願をした。毎年、宝くじを西銀座の宝くじ売り場で買って送っているが、当ったという報告はない。それでも宝くじを買って行くのである。福徳神社から、日本橋を銀座に向かって数分歩き、高島屋に入った。
 彼のテレビで仕入れた情報によると、高島屋の屋上には植物を植えた庭が作られていて実にきれいだったという。ところが、当日は屋上ガーデンは整備中とかで中に入れてもらえなかった。そこでまた例の410円タクシーに乗って有楽町駅まで出て、そこからJRで御徒町駅へ、彼が東京で最も愛するアメ横での買い物である。彼の目的は、アメ横最大の店である「二木の菓子」というお店でスナック類を購入することだ。岡山でよく行くバーの女将さんにも喜ばれるというので、大量のスナックを買い込んだ。さらにこれも顔なじみのアメ横で有名なピーナツ屋で30から40袋のピーナツを買い込んだ。なにしろ1000円で、およそ10袋はある。どうみても大サービスである。昔からアメ横はよく歩いたが買い物はしなかった。彼のおかげでアメ横を歩く楽しみを知った。中には年季の入った豆類専門の店があって、しっかりとした品物を売っていることも彼のおかげで知った。
 三日目は、ホテルから電話がかかって、九段坂を上がって国会方面に向かう通りにある二松学舎大学に夏目漱石の展示が在るから行きたいという。近くでもあるし、やっているかどうかを確かめるために9時半ころ、二松学舎一号館に行った。あいにく当日は催しはやっていないが、すでに地下一階の食堂は開いていた。中を覗いてみると学生食堂は100円の朝食をやっている。学生だけが対象らしい。しかしそれ以外の食事は一般の人も出入り自由である。昼間は最上階の12階では、眺めのいいレストランで食事が出来る。東京の大学レストランのランキングで上位に入っている、いま人気の学生食堂だと聞いた。九段下に30年も住んでいて初めて知ったことだ。その後疲れを取るために、温泉に行くことになった。
 これもKが仕入れたテレビ情報による、東京巣鴨の極上癒し温泉「染井温泉」,に向かう。染井吉野発祥の地に立地する癒しの天然温泉である。三田線の神保町まで410円のタクシーに乗り神保町から巣鴨に向かう。巣鴨はぽっくり寺として知られる「とげぬき地蔵」の高岩寺に何度も出掛けている。しかし染井温泉というのは初めて知った。巣鴨の地下鉄を上がってから温泉専用のバスが5分おきに出ている。入湯料金は1200円、新しい温泉には誇大広告があって失敗することも多いがここは違った。お湯も38度台から42度位まで、好みに合わせられる。清潔で上がってからのマッサージ、休憩室、食堂と整備され高くはない。従業員も親切丁寧で気に入った。連休明けに行ってみたい気分させる温泉であった。岡山の老人に東京の名所を案内された佳き3日間だった。

岡山の老友に教わる東京名所

岡山の老友に教わる東京名所 17・4・27
 岡山市の老友Tが上京してきた。彼は当年86歳、私より2歳年上だ。毎年一二回は東京及び東京近辺を目指してやって来る。お互いに年を取った。何しろ昨年までは地下鉄に乗って移動したが、今年からは地下鉄はイヤだという。理由は東京の地下鉄は階段が多くて歩きづらい。しかも多くの路線が集まる大手町駅に至っては、乗り換えるのに延々数百メートルを要する路線もある。足の悪い彼は、初日に足を痛めて歩けなくなってしまった。よって今年は地下鉄には乗らないで、都バス中心に計画を組んでくれという連絡が来た。「もう年だからこれが最後だと思う」と付け加える。毎年、来るたびに今年こそ最後というが、なかなか死にそうにはない。
 老友Tは20年前に夫人を癌で失い、息子も家を出て今は一人暮らしだ。おまけに老年と共に、さまざまな病苦が襲ってきた。腎臓も片方手術、肝臓も悪い。目も白内障の手術をしてはみたが良くはない。足も膝を痛めて常にサポーターを付けて歩いている。心臓も不整脈で難渋している。したがって病院の検査に行く以外は、自宅にいて、ひたすらテレビを見て生活している。それくらい病名があれば、当然デイサービスの恩恵にもあずかれる。介護施設で送り迎えしてもらえば昼食にもありつける、と勧めるのだが、人とお喋りが嫌だと言って一向に外に出ようとしない。
 その親友Kと24日から26日まで都内を歩いた。1日目は、新宿までJRに乗って下車、そこから徒歩で西武新宿線にたどりつき、約15分の新井薬師駅へ、バスに乗って新井薬師前下車。昼飯を商店街の中華屋で食べる。これも彼がテレビで調べた店らしい。しかし食べ終わって外に出た途端「しまった、隣の中華店だった」という。美味しいという店の並びの中華店に入ってしまったのだ。午後は高田馬場駅からJRに乗って山手線駒込駅へ、有名な岩崎弥太郎の別邸であった六義園へ。駒込駅から1キロ少々の道のりだが、最近タクシー会社が始めた初乗り1K410円を利用して往復する。駒込駅から隣のJR王子駅へ。徒歩数分の北トピアビル17階の展望台から都内を見下ろしす。彼の方がテレビで情報を収集していて都内の名所旧跡に詳しい。もともと旧職は岡山地裁の書記官ときているからメモ魔である。テレビの情報を仔細にメモして送ってくる。それをもとに地下鉄ではなく都バスで移動する道を研究しろというお達しである。こちらも最近では、千代田区に籍を移したお蔭で都内の老人無料パスを頂いた。都営地下鉄とバスには無料もしくは百円払えば載せていただける有難い制度を利用している。というわけで2人でバス中心の都内名所めぐりとなった。
 昨日午前中は、彼のみつけた東京のお寺で有名な新井薬師へ。新宿までJR、西武新宿線で新井薬師駅へ、バスを利用してお寺に行く。そして商店街で彼がテレビで見つけた中華蕎麦屋へ。JR高田馬場駅から山手線で駒込駅、初乗り410円のタクシーで六義園へ、そのあと駒込駅からJRで王子駅、駅近くの王子北トピアビル17階展望台で晴れた青空の東京を見渡す。ともかく岡山の老人は、お寺、神社と高い所が好きなのである。翌日以降もJR、バス、タクシーで地下鉄を敬遠しつつ3泊4日の都内散策を楽しんだ。(以下次回へ)

簡素な生活②神戸大地震から断捨離

簡素な生活②神戸大地震の経験から断捨離へ 17・3・9
 簡素な生活を希求する直接的な契機は1995年1月の神戸・淡路大震災だった。多くの友人が震災の影響を受けた。死亡した友人は居なかったが、家屋の被害は甚大だった。それまでバブル景気で儲けて、神戸市内に料理店を出したり、明治生命と組んで地上げなどをやっていたS氏は一夜にして建てたばかりの住宅半壊、市内の料理店も閉鎖して、たちまち生活基盤を喪失した。公営住宅に入り、日々の生活にも事欠くようになった。友人から金を借りて踏み倒さざるを得ないということもあったようだ。そういう状態を見て、私自身も考えざるを得なかった。東京に同じことが起きたら、もっと大きな被害が起こるだろうとも考えた。すでに50歳を超えたころである。
 第一にやったことは、物を捨てるということだった。狭いマンションの一室に溢れた不必要な物は捨てようと思った。当時は友人の弁護士を岡山の備前焼の名工の自宅に案内していた。そういう関係で備前焼を集めていたが、こんなもの大地震が来ればおしまいだ。集めた備前焼をお世話になった友人、知人各位に「私の形見です」と言って配っていった。さらに食器棚も細い縦長の物を使っいたが、地震で倒れたらおしまいだ。食器も必要最小限にして、食器洗いのプラスチックの容器に入る程度にして廃棄した。もちろん縦長の食器棚は廃棄物にして出してしまった。これは正解だった。2011年3月の福島大地震の余波で12階のわが部屋も相当揺れたが、小さな本棚が倒れた程度で、食器類などの被害は皆無だった。
 第二に実行したのは、衣類と本の整理だった。なんだかんだと長年、友人の好意で背広やズボンなど作ってもらったり、遺品の形見分けでマフラーや下着類までつぎつぎに増えていた。そして読みもしない本が溢れていた。着物の類は、友人の元共同通信記者のH氏のアドバイスで、山谷の労組が毎年末行っている衣類集めに協力した。洗濯をしてきちんと畳んで送ることを数年続けた。また読みもしない本が溢れていたが、これも年末に、福島県奥会津の、今は日本一の古本屋として有名な「たもかぶ」に数年間送り続けた。ここでは本の価格をつけて、それを地元の民宿の宿泊券などに換えて送って下さった。二三回は地元を訪ねて民宿を利用したり、広い敷地に存在する古本屋を何軒が訪ねたりした。ということで衣類と古本の整理ができた。いずれもごみに捨てることはしないで、それぞれ役立つところに送ることで自分自身の気分もよかった。
 高齢化で、マンションのごみ置き場には年々、かなり利用可能な家具、陶器などが捨てられている。私はその中から、パソコン用の机とか、プリンターの台、椅子、壊してしまったグラスなどを拾ってきて使っている。テレビは神戸大震災の教訓から、地震の揺れで落ちて来て危険だと思い、テレビそのものを廃棄した。NHK受信料は高いし、放送内容はまるで民放の受け売りみたいに俗悪化している。主なニュースや資料はパソコンの画面から収集して使う。新聞も図書館で見て必要なものはコピーする。新聞、テレビを部屋の中から追放したのである。それでも本と資料の類はたまり続けるが、これらの整理が人生最後の断捨離の課題だ。神戸大震災の被害者だったS氏は、苦労しながら仕事を続けていたが、2008年の7月、東京出張の際、利用していた隅田川河畔のビジネスホテルで急死した。享年71歳だった。
 断捨離を 再び誓ふ 原発忌 漫歩
ようこそ!「老人はゆく」へ
「老人はゆく」へようこそ

徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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