温故知新新潟の旅と三宅正一さんの体操教室

温故知新新潟の旅と三宅正一さんの体操教室 18・2・5
 最近、新潟米軍飛行場反対運動のことで新潟に行くようになった。1月の初めに新潟までメールマガジン・オルタの加藤編集長と出掛けた。そのことを1月20日のオルタに書いた。それを見た、三宅正一さんの元秘書であり、近代政治史研究者の飯田洋さんから連絡があり、先月25日加藤さん宅でお会いした。三宅正一さんに関連するの戦前戦後の農民運動の記録も二冊出されている方だ。そのとき、かつて三宅正一さんに体操教室に誘われたことを思い出した。その話を飯田さんにしたのだ。それは以下のような切っ掛けで始まったのである。
◆トミくん四十才からが大事だぞ
「おいトミくん、いくつになった」と聞かれたので「ちょうど四十才になりました」と答えた。「トミくんこれからが大事だぞ。体を鍛えなければダメだ。ぼくのやっている体操教室に来い」といわれた。いまから45年前、三宅正一さんの議員会館の一室での会話である。戦前からの無産運動の闘士で、新潟の農民運動を指導した高名な政治家として知られていた三宅さんは、当時73才だった。なかなか面白い方で、遊説に随行すると迎えの車を待っている間、道路わきで「おい君、体操しよう」と背広を脱ぎ一、二、三、四と声をあげてラジオ体操を始めた。わたしも恥ずかしい思いをこらえながら従った。  
そういうことを覚えていて声をかけていただいたのか。ともかく国会の近くのビルで、毎週一回、当時、自民党の古井喜実議員などと国会議員の有志がはじめていた体操教室に来るようにいわれた。ひとりではなんとも心細いので、公害研の渡辺文学、奥沢喜久栄さん(故人)と朝日新聞の松井やより女史(故人)を誘った。参加してみると40代前後のわたしたちは若い方で、60代以上の人が大半だった。しかもおどろいたことにこの60代が軽々と倒立転回をこなしている。両股をひろげてぴったり額が床に着く。こちらも負けるものかと小学校以来やったことのない倒立転回をやってみると怖くて回転できない。やっとごろり回転すると、くらくら眩暈がする。なにをやっても60代にかなわない一緒に行った3人の仲間は一、二回で止めてしまった。わたしは「よし続けてみよう」と決心した。3年くらい前からときどき動悸がして動けなくなったり、血圧も高い状態だったからだ。
◆水泳とジョキングで体力づくり
体操教室に通いながら、運動好きの友人にも恵まれて、土、日には泳いだり、走ったりを始めた。最初は25㍍プールを一回泳ぎきるだけで息が切れた。ランニングも2百メートルでダウンしてしまう。しかし「継続は力なり」である。2年くらいのうちに泳力、走力ともに格段の進歩を遂げた。50代になるころはプールでクロール、平泳ぎとも一㌔以上泳いでも平気、ゆっくりなら数キロ走ることができるようになった。おかげで悩んでいた腰痛が治った。血圧も運動をすれば劇的に低下することを発見した。
 三宅さんはその後、衆議院副議長となり、80年6のロッキード選挙で同じ新潟3区の田中角栄と対決するが、角栄圧勝のあおりで落選して引退された。間もなく脳梗塞で倒れて82年5月、81才で亡くなられた。「40代からが大事だぞ。体を鍛えなおすのだ。ぼくの教室に来い」と真剣な口調でいわれた言葉を45年後のいまもはっきり覚えている。以来、大きな病気ひとつせず不肖の弟子は85才まで生きながらえた。恩寵に感謝しつつ新潟再訪の旅を今年はじめる。まさに温故知新の旅なのだ.。


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雪の東京で少年時代の雪の故郷を想う

大雪の東京で少年時代の雪の故郷を想う 18・1・25
 今週は早々に大雪警報、昼間から降り始めた雪は夜半まで止まなかった。子供の頃は雪国の岡山県北部の山間地帯で育った。凩のような風が二三日続く外山も田も乾ききる。その後に雪が降るとすっかり積もってしまう。そういう中で雪国の生活を学んだ。大根を雪に備えて藁などで室を作り、その中に入れる。その上にどっさり雪が積もると自然な雪室になって、適度な湿度を保って大根は腐らない。雪をかき分けて雪室から大根を取り出して食べる。
また雪の降る前に大根を洗って干して、その後大きな桶にたくあん漬けを作る。そういうやり方も祖母に教わった。さつま芋は縁側の下を掘って、もみ殻を入れて保存する。ここも適度な保温でさつま芋は一冬腐らない。どぶろくの元は米を蒸して麹を作り、それを寝かせて甘酒の元を作る。それがさらに発酵すると、どぶろくになる。
 たまに東京で大雪に逢うと、寒い寒いと閉じこもってしまうが、昔の雪国では閉じこもることなどない。雪の中で学校に行き、スキーを履いて滑る。雪合戦をする。大人は藁で編んだ草鞋を履いて炭焼きなど山仕事にでかける。すべて雪降るなかで生きてゐた。炬燵に入っての読書も雪国の愉しみだった。少年の頃『聞けわだつみの声』戦没学生の手記、が出版されたが今でも記憶に残る詩のことを思いだす。
◆聞けわだつみの声の田辺利広の詩 残雪のような希よ光ってあれ
 それは、田辺利宏という人の『雪の夜』という詩だった。後年知ったことだが、田辺は苦学して日大を卒業。広島県福山市の増川高等女学校の教師を3ヶ月ほど務めた後召集を受け中国に送られた。『きけ、わだつみのこえ』に収められている。1941(S16)年に江蘇省北部で戦死。26歳だった。その詩のなかにある「遠い残雪のやうな希みよ、光ってあれ」という言葉だすきで、いまもわすれない。全文は以下の通りだ。
 雪 の 夜 田辺利宏
 人はのぞみを喪っても生きつづけてゆくのだ。
 見えない地図のどこかに
 あるひはまた遠い歳月のかなたに
 ほの紅い蕾を夢想して
 凍てつく風の中に手をさしのべてゐる。
 手は泥にまみれ
 頭脳はただ忘却の日をつづけてゆくとも
 身内を流れるほのかな血のぬくみをたのみ
 冬の草のやうに生きてゐるのだ。

 遠い残雪のやうな希みよ、光ってあれ。
 たとへそれが何の光であらうとも
 虚無の人をみちびく力とはなるであらう。
 同じ地点に異なる星を仰ぐ者の
 寂蓼とそして精神の自由のみ
 俺が人間であったことを思ひ出させてくれるのだ。

      (新潟県安塚町の雪山)

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懐かし哀し年賀状の友たち 

懐かし哀し年賀状の友たち 018・1・8
 数年前から年賀状をやめた。八十歳になったころだ。今後は義理や人情というものを捨てようと思ったからだ。年賀状を出さないでいると年々数は少なくなる。だんだん友人知己も亡くなったり、闘病中となったりで、今や年賀状の数は数十枚というところだ。その方々には寒中見舞いということにして、返事をゆっくり書くことにしている。一日に数枚づつくらい書いて出す。
 札幌の南忠夫君は同年輩の85歳だ。彼もそれなりに耳が遠くなったり体力は落ちたらしい。「連日の豪雪と体力の劣化には参りました。でも10月の総選挙では自民9、立憲民主8と互角の闘いを展開しました。憲法が完全実施されるまでは死んではならない。しかし限りある肉体です。千の風になって大空を飛び回る、こと一生懸命研究中です」
 北海道網走郡に独居する86歳の正木老よりは豪雪のなかで車も出せず、郵便配達の女性が来るとき人の顔をみられるそうだ。「来年米寿となります。すっかり老人になりました。諸欲減退の中、食欲だけ旺盛です。大根を干し、蜜柑、柿の皮を干し、久しぶりに沢庵を漬けました。麦飯に味噌汁、鰯の丸干し、佃煮に自家製の沢庵ポリポリが理想の朝飯です」この食欲では当分生きられると言っているみたいだ。
 宇治市の金澤良彦さんからは「元気に徘徊されて居ますか。当方元気に講演活動をしています」と賀状。金澤さん夫妻は四国歩き遍路二回、あまりのごみの多さに驚き、ごみ減量を訴えて鹿児島から北海道までごみ減量を訴え日本縦断を敢行した。そしてもう一度は独りで、今度は省エネを訴えて二回目の徒歩縦断を実行された。尊敬すべきご夫妻である。
 山形の新野祐子さんからは「まだ座敷童子さんとともに旅をしておられますか」とあり、以下の俳句が添えてあった。新野さんとは、かつて1990年代半ばの大規模林道反対運動で知り合った。かつて東京女子マラソンの初期に出場したこともあり、健脚である
 告げたきことついに投函粉雪降る かの世にもぶな林ある聖五月
 秋高し鳶は軌跡を光らせて 人と熊襲い襲われ桃源郷果つ
 1960年代以来の友人、横浜の村田晴雄さんからは例年の如く社会時評の短歌数首。
  人は普通国家を悪と思わぬがその幼さがあなたを殺す
  軍事、防衛、安保、外交、ひれ伏しつくす「美しいい国」
  交易で立国果たし誇りあり琉球王国基地を棄てる日
  70年間戦争だけはしていないこのことだけを言い遺して死ぬか
 古里岡山の旧友の多くはあの世に逝った。それでも小学校の同級生昇君からは毎年賀状が来る。齢85歳にしてなお田圃と畑を耕して生き抜いている。子どもの声ひとつない過疎の里で、黙々と生きてゐる。岡山市の親友田上秀夫からは、以下のような便りがきた。「和田博雄の句、生き死には 風邪にまかせて 風車 ではないが、最近つくづく独り生きてはいるが、長生きし過ぎたのではないか?自ら命を絶つ勇気もなく、だらだら生きてゐる。もはや旅に出る気も亡くなり、ジパング・クラブの会費も止めた」。何処の友も老いを自覚しつつ生きなければならぬ。
  梅古木なほも生きんと冬芽立 漫歩

酒好きの友だちは料理が上手い

酒好きの友だちは料理が上手い 17・11・23
 徘徊老人84歳、間もなく来年一月には85歳となる。多くの先輩友人があの世に逝った。わたしは酒を嗜まないが酒好きの友人はたくさんいた。なかでも2001年に死んだ今ちゃんこと今泉清君のことは忘れがたい。ともかく酒好きで深夜まで平気で梯子した。それでいて朝はマラソンをやったり、仲良しの初岡昌一郎さんと三人で築地の朝市に朝飯を食べに行った。ある時、車の運転をしていて足が不自由になり、検査の結果、軽い脳梗塞と分かった。それでもまた治ると飲み、再発しても治ると飲むということで、ついに三度目の発作で肢体不自由になった。そして当時住んでいた江戸川の自宅近くの交差点で軽トラックにはねられて即死した。享年64歳という若い死だった。
 私が四国歩き遍路を始めた2001年のことだ。それ以降不思議に、酒好きの親友たちが次々に倒れてあの世に逝った。私の歩き遍路1年目は、まさに酒飲みの親友たちの思い出と、弔いに歩いているという感があった。今や、旧社会党や社青同、公害研時代の先輩友人の中で健在なのは十指に満たない。しかし今なお酒を飲み続けて元気な友人もいる。
◆酒飲み料理上手読書好き大老人 渡辺文学さん
 タバコ問題情報センターの文さんこと、渡辺文学さんだ。彼とは1970年に社会党本部を辞めて、公害問題研究家会を発足させて以来47年間の付き合いだ。酒は大好き、煙草は一日100本のヘビースモーカーだった。加えて酒飲み運転の常習犯だった。それが3年後に期するところあって、煙草を止め車の運転まで止めたから周囲は驚いた。以降、彼は日本の嫌煙禁煙運動のリーダーとして活躍、80歳にしてなお斗酒なほ辞せずの健康体である。文さんは酒好きだから料理もうまい。事務所に毎日出かけてきて一日中働いているが、夕刻ともなると自分で料理を作って、酒を飲むことを唯一の楽しみとしている。昨夜もお呼びがかかった。禁煙運動の仲間が卵焼きを作ってくるから夕食を一緒にしましょうという。
 常日頃、キャベツ汁に玄米雑炊を主食としている粗食の徘徊には、まことに豪華な夕食である。いったい何品あるメモをしてみた。①おでん きんぴら、②卵焼き、③ポテトサラダ、④野菜の佃煮、⑤蛸の刺身、⑥キューリと茄子の漬物、⑦生姜の浅漬け、⑧巻き寿司等など。文さんのお得意はおでんと、ポテトサラダだ。これが実に薄味で旨い。すべて彼の手作りである。おまけに文さんの読書力にも驚嘆する。
 彼は一カ月に新書版の本を10冊から15冊読破する。徘徊にも読むようにと、回してくれるのだが、こちらは三分の一くらいで眠くなってしまう。ほとんど読了するということがない。速読だと自慢しているが、その実、すぐに眠くなってしまうのだ。文さんから今朝メールが届いた。それは、禁煙ジャーナルの執筆者高信太郎さんから送られて来た、かつて韓国初代総統の伊藤博文を射殺して死刑となった安重根の書だった。韓国では独立運動の英雄となっている人だ。彼の達筆に驚いたが、その一文に心魅かれた。読書家の文さんから徘徊への皮肉かも(笑)
一日不読口中生荊刺 安重根 (一日でも本を読まなければ口中に荊が生えるほどつらいものだ)

電車内の化粧へ家でやれとの反撃 

電車内の化粧へ家でやれとの反撃 017・9・17
 電車内でのマナーの乱れについて、先週「スマートホン・ゾンビ」なる見解があることを紹介したが、最近の新聞記事で、最近特に目立つ電車内での化粧についても痛烈な批判があることを知った。苦々しく思っているのは徘徊老人だけではないのだ。今や80代半ばの徘徊老人には人と争う気力、体力がない。70代の半ばまでは、電車内で延々と化粧している女性に向かって「ここは化粧室ではない」と怒鳴りつけたりしていた。またホテルのレストランで駆けっこをしている孫をたしなめもしないでニコニコしている祖父母に「ここは運動場ではない」と怒鳴りつけ露骨に嫌な顔をされたこともある。もうな70代後半以降は、知らぬ顔をしているだけだ。
 ところが最近の新聞によると、なかなか勇気のある御仁がいて、化粧している女性に痛烈な批判をしていることを知った。毎日新聞「松尾貴史のちょっと違和感」に面白い話を発見した。松尾氏は電車内で強烈な香水の匂いを発散させる女性がきらいらしい。「隣に私の嫌いな香水をつけた女性が座った。もしすし屋で隣に座られたら席を移してもらうか、さもなければ店を出る」とのべ、。ソシャール・ネットワーク・サービスで読んだ話を紹介している。この話が面白い。電車内で化粧していた美人女性がいた。近くにいた二枚目の男性がいて、彼が途中の駅で降りる際に、紙片を女性に手渡した。いわゆる「車内ナンパ」でメールアドレスでも伝えたのか。彼女は爽やかな彼の後姿を目で追い、持たされた紙に目を落として一瞬固まったそうだ。すかさず横から盗み見したら、「家でやれ」と書いてあったとか。
 もう一つは先日、大阪にある料理店の店主から教えてもらった話。彼が地下鉄に乗っていると、空いている隣の座席に70代と思われる清潔そうな紳士が「失礼します」と座った。新聞を取り出して、熟練された手つきで新聞紙を最小限の空間の中でご自身の肩幅以下に畳み、読み始めた。ふと前を見ると、向かいの席に座った女性がせっせと化粧している。読んでいた新聞を膝のあたりに下げた隣の紳士が、向かいの女性を見据えて、これまた最小限の声で、しかし相手にしっかり聞こえる声で、「パンツは家ではいて来い」と注意した。険悪な空気が流れるかと思えば、向かいの女性は「すみません・・・」と小さな声で言って、すぐに化粧道具をしまったそうだ。この二つのエピソードを紹介したうえで松尾氏は「なぜトイレのことを化粧室というのか、考えてほしいものだ」と結んでいる。(毎日新聞9・10)
 道徳教科書に安倍総理の顔まで載せた教科書が出回っているそうだ。学校で子供に道徳教育をなどと声高に叫ぶ前に、日常生活の中で最低限のマナーさえ、忘れ去っている現状を具体的に上げて、現代の大人老人などが、いかに孫や子の家庭内教育を怠っているかを問題にすべきだ。優先席に孫を座らせて婆さんは立たっているなどという滑稽な風景こそ問題だ。孫に「ここは、体の悪い人とか、老人とか、赤ちゃんを抱く母親が座る席だ」と教えるという、最低限のマナーを知らない、老人や親たちにこそ「大人の道徳教育」をすべきではないか。

ようこそ!「老人はゆく」へ
「老人はゆく」へようこそ

徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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