勲章を断った人々② 西宮弘

勲章を断った人々②西宮弘 10月17日
 西宮弘さんは60年安保の時代に、当時の宮城県副知事から社会党の知事候補になって落選、その後社会党代議士として活躍されていた。わたしは特に親しいというほどではなかったが、ときおり党の会合などでは、いつもにこやかな風貌で温厚な紳士というイメージだった。後でクリスチャンと聞いてなるほどと納得した。その後、わたしは1970年に社会党本部を辞めて公害問題研究会をつくり、本格的に全国の住民運動の世界に没頭していた。
 西宮さんは五期つとめた議員をやめ、79年からは社会党も離党して、地元仙台で、平和人権の市民活動を続けていらっしゃると聞いた。たまたま雑誌『世界』1986年3月号によって、その活動ぶりを知った。「声を励まして語りつづける~核兵器廃絶のために エディターズインタビュ―」という世界編集長安江良介氏との対談記事だった。当時すでに80歳だった西宮さんの言葉に恐れ入った。「仙台市の中央アーケード街の入口で、夏も冬も毎日一時間半辻説法で、反核平和を訴えています。いま80歳ですが、お年なのに大変ですね、と同情する方もけっこういるが、私は昔からほんとの年寄りは80歳からとい言ってきた。これからが人生の働き時です」。
 80年代の半ばに、まだ50代そこそこの若造だった私は、仙台市内で偶然、西宮さんに会う機会があった。全く元気そのもので意気高らかだった。80代半ばにしてすごい人だなと感嘆した。その後2003年に97歳で亡くなられたと聞いた。80歳から酷寒の冬も、炎暑の夏も、街頭に立ち続けて反核平和を説きつづけた大先輩をことを知りたくなった。東京にお住いの娘さんと連絡が取れて、西宮さんの生前の話を聞いた。そのときいただいたのが『声に学ぶー平和運動にふれあいを求めて―』西宮弘著 谷沢書店刊)という本だった。この本には前述の『世界』の対談も収録され、それに対する全国の方々からの賛意や意見が寄せられている。
 そして気づいたことは、社会党内では穏健な右派と思われていた西宮さんが強烈な天皇制と勲章の批判者であったことだ。安江氏との対談で次のよう叙勲反対の意見を述べていらっしゃる。「社会党は従来から貰わないことに決まっていた。現在は全くケジメがない。私は権力主義、事大主義は大嫌いだから、お断りしました。役人が人間の値打ちを十九階級に格づけして、褒めてつかわすなんていうのは失礼千万ですよ。第一、議員が一定の年限に達すると機械的にくれる。政治家に優先的にいうのはけしからん。貰う社会党議員もおかしいですね」。また別のところで「私は社会党を去りましたが、初心に帰っての健全な発展を願っています。勲章の例だけを見ても、ある先輩のお葬式に参列したら、式の途中で『只今勅使がご到着になりました』などとアナウンスされた時は、急に嘔吐を催しそうになりました」と書いていらっしゃる。
 わたしは、様々な人の叙勲についての賛否を聞いたり読んだりしたが、西宮さんほど明確かつ公然と叙勲反対の意見を述べた人を知らない。社会党国会議員の左派系の人物はことごとく君が代、日の丸復活に反対していた。1963年、戦前の叙勲制度を復活した池田政権の時代に、社会党は叙勲反対を打ち出した。それがいつのまにか空文化して、70年代以降、かつての左派の闘将が続々勲一等を受賞し、なおかつお祝いのパーティまで開くに至った。社会党は「健全な発展」どころか、村山自社さ連立政権で、党是の自衛隊違憲、安保反対を放棄して、ついに消滅した。「一将功成って万骨枯る」とはこのことだ。八十代から仙台市内の街頭に、一人マイクを握り続けた戦闘的クリスチャンに敬慕の念を捧げる。
 
     (写真 西宮弘さん 仙台市アーケード街)

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勲章を断った人々① 熊谷守一

「独楽」の名人熊谷守一画伯と勲章 9月15日
 徘徊のような俗物は、まったく違った人物、すなわちただ一筋に道を究めた人物に傾倒するところがある。なかでも文化勲章とか勲一等などをにべもなく断って超然としているような人物には大いに敬意を表する。文化功労章など年額数百万円の年金がつく。その肩書きで書道家でも陶工でも作品の値段がぐんと上がる。それをほしがって、裏金を使って役所や国会議員に工作する実態を見て来たから、余計そう感じるのかも知れない。文化勲章を断って生涯をすごした熊谷守一画伯など稀にみる気骨ある人物に思える
 2000年代のはじめころ、旅の途次、上諏訪駅で降りて諏訪湖畔の遊歩道を歩いたことがある。小さな美術館があり熊谷守一の書画展をやっていたのでのぞいて見た。そこで気に入って買ったのが「ひとりたのしむ」という画文集である。わたしは都会の美術館は人混みを見に行くみたいで好まない。でも地方にはゆったりと一日くつろげるような場所がある。ここでも画をゆっくりと見て、小さな喫茶店で諏訪湖の眺めと珈琲の香りを楽しんだ。至福のときである。
 画文集のなかに「獨楽」という文字がある。そして「人にわからないことを独りでみつけて遊ぶのがわたしの楽しみです」と書いてあった。文化勲章を断ったことでも有名だが、勲章を受けるかどうか問い合わせが来たとき「わたしは別にお国のためにしたことはないから」と断る。そして「残り少ない命をせめて自分のやりたいように生かしてくれ。これ以上忙しくしないでくれ」といった。85才のときである。50坪の庭がある家に1932年(昭和7年)ら住みつづけ1977年(昭和52年)97才の生涯を閉じた。96歳のとき「赤蟻」と題する文字について「庭の地面に頬杖をつきながら、蟻の歩き方を幾年も見ていてわかったんですが蟻は左の2番目の足から歩き出すんです」と画文集に書いている。徘徊など及びもつかぬ境地だが、まぎれもなく「昭和の大老人」である。
 今年、池袋にある豊島区立熊谷守一美術館を初めて訪れた。熊谷画伯の旧居跡に作られたもので、小さいが雰囲気のあるいい美術館だ。絵のことあまりわからぬが、なんとも素朴、素直な感じがあって再び三度ゆっくり訪れたい場所だ。文化勲章や勲一等を断った気骨ある人士は文化界のみならず政界官界財界にもけっこういることを知った。反面、君が代日の丸に反対しながら、勲一等を貰って喜んでいる旧社会党などの左派議員も多くいる。反面、社会党でも勲一等を断った右派政治家も数少ないが過去にいた。そういう話を今後書いてみたい。
 それにしても、人にわからぬことを見つけて一人で遊ぶ「独楽」という言葉はいい。良寛の「世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる」に通じるものがある。
 五輪来て台風がきてプール漏れ 漫歩
      
      (写真 熊谷守一の「独楽」)

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Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
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路上公園などの観察、
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読書、眠り薬になること多し

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