名護市長選挙敗北 嘆かず依存せず 

名護市長選挙敗北 嘆かず依存せず 18・2・10
 名護市長選挙の敗北をどうみるか、友人の毛利さんからい「チョイさんの沖縄日記 辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録 嘆かず、依存せず、できる限りのことを黙々と、淡々とやっていく」という記事が寄せられた。同感する点が多い。以下に要旨を紹介する。
 ー018年02月04日  名護市長選、稲嶺さんが負けてしまった。しかし、打ちひしがれるわけにはいかない。私は2月3日(土)、ゲート前の集会で、工事の状況について説明を求められてマイクを握った際、最後に次のように述べた。「投票日の前日にこんな話しをするのは不謹慎だとしてお叱りを受けるかもしれませんが、明日の選挙結果によっては万一の事態もあり得ます。しかし、その時でも私たちは、ああもうダメだと諦めるわけにはいかないのです。私たちが諦めてしまった場合、防衛局はどんな違法工事でもどんどん押し進めてきます。埋立工事についての最終的な権限は知事が握っています。県民が抗議行動を強め、そうした県民の支えをもとに知事が自らの権限を毅然と行使する限り、工事はいずれ頓挫します。明日の選挙結果が万一のことになったとしても、私たちは打ちひしがれるわけにはいきません。諦めるわけにはいきません。そのことだけは是非、確認しておきましょう。ただ、
そういう事態にならないように、後で悔いが残らないように、明日の投票日までせいいっぱい頑張りましょう。」
  このような厳しい状況の中で思い出すのは、目取真俊さんの言葉だ。昨年4月、大浦湾でK9護岸のための石材投下が始まった時、目取真さんは、石原吉郎の「ペシミストの勇気について」というエッセーに触れ、「絶望も希望もない。その場でできることを黙々と、淡々とやるだけですよ」と述べられたという(沖縄タイムス 2017.4.26)。この目取真さんの話を「視点」というコラムで紹介した阿部岳記者も、「力をくれるのは、やはり単独者としての勇気なのかもしれない。嘆かず、他者に依存せず、一人一人が『命と尊厳は諦められない』と、自らに確かめることはできる」と、そのコラムをまとめている。嘆かず、依存せず、黙々と」。今、私たちに求められているのは、このことである。ー (目取真 中原吉郎 ペシミストの勇気 沖縄タイムス 2017.4.26) クリックで拡大

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新潟飛行場拡張反対期成同盟 関連年表 1950~1959

新潟飛行場拡張反対期成同盟 関連年表 1950~1959 資料編

●1950年
  7・ 1 第一次23町歩の農地が領軍の圧力で一方的につぶされ米軍基地になった。

●1952年
 11   第二次農地2町2反接収 第三次接収27町歩がつぶされた。

●1954年
 11・25 調達庁 第4次拡張計画発表。地元説明会で追い返された。拡張計画は、①土地約70町歩、②土地所有者240人、③世帯42人。
 12   河野新町をはじめ関係4部落が反対決議、知事に陳情書提出、
 12・20 新潟大学生自治会は、街頭で反対署名運動を開始。

●1955年
  1・14 新潟県労協の呼びかけで新潟飛行場拡張反対期成同盟発足。
  4・23 県知事選で野党の押す統一候補北村一雄、25万8千票差で自民現職を破る。
    (北村は自民の現職参議 当選:北村一男 671,007 無 落選:岡田正平 412,295 無 投票率83.60%)
  5・24 県議会で新潟飛行場拡張反対決議、満場一致。
  5・12 反対同盟知事と会見、知事は首相、調達庁に反対の意思を伝えると回答。
  5・29 福島調達庁長官、知事と会見。知事は立ち入り調査要請に、県議会決議尊重と回答した。
  6・3  衆議院内閣委員会で新潟米軍基地反対同盟箱岩善一ほか一名が参考人陳述で反対の理由を説明した。
  5・29 新潟県教組第18回大会、新潟米軍基地拡反対を決議。
  6・03 反対同盟国会対策強化、県選出議員に反対を懇請。
  7・25 知事は仙台調達局長に立ち入り調査拒否。調達局公告を握り潰し。
     新潟市連合青年団、飛行場反対総決起大会で反対を決議。
  8・ 5 閣議で拡張へ知事の協力要請、知事は、もし業務命令が出て知事の首が飛ぶようなことになれば、県民が承知しないだろうと反対持続を表明。
  9月  農民労組員による現地バリケード構築、900本の杭と5,000mのバラ線で1,500m。
  9・ 3 白山公園で新潟飛行場拡張反対県民大会、全県下から5,500名参加。砂川、大高根、浅間、その各基地代表参加。
  9・10 県市長会臨時総会、賛成多数で拡張反対決議、県内市町村議会過半数反対決議。
  9・18 反対期成同盟常任委員会、砂川町強制測量後初の会議で絶対反対の方針を確認。
     具体的には、①県知事の公告拒否をさらに続けさせる、②調達庁の強制測量は断固阻止する。
  9・21 東京行動。 22 第四回全国軍事基地反対代表者会議参加。
  9・26 地権者の委任状を取り付けるための第一回法律懇談会。
  9・23 根本官房長官、新潟基地問題で知事、県会、地元との話し合いを持たずに測量を強行したり、知事に対する公告実施の強制命令発動、また知事罷免の挙に出ることはないと語る。
  9・27 福島調達庁長官、新潟県知事があくまで公告を拒否する場合、調達庁が代理公告することが出来ると表明。
     これに対し北村知事は新潟飛行場に反対するという私の態度はいまも変わらない。地元の被害、その他基地の及ぼす影響を考えれば当然のことだと述べた。
 10・ 1 新潟市の大火発生。昭和30年(1955年)10月1日未明、当時新潟市医学町にあった県教育庁から出た火は、おりからの強風にあおられて、またたくうちに燃え広がり、市街地を火の海にした。出火原因は、教育庁の漏電とされている。8時間にわたって燃え続けた火により、市の中心部の主な建物を総なめにして、さらに礎町の方にも飛び火した、全半焼した家屋は1,000余戸に達した。
 11・20 臨時列車12両による大陳情団1,100名が夜行列車で上京。
 11・21 上野駅着、社会党軍事基地委員長加藤勘十、三宅正一、桜井、石田、稲村、清沢、小林の衆参議員が出迎え、両国国技館で砂川、大高根、木更津、茨城神之池、福岡板付など全国から合流、総勢約1,500名の大陳情団が結成された。
     10時半28台のバスに分乗して調達庁、自治省、農林省、首相官邸、米国大使館、防衛庁、大蔵省など氷雨を衝いて陳情。午後3時半から浅草公会堂で報告大会後、夜11時半発夜行列車で帰郷。
 11・22 箱岩県労協事務局長ら9名、全国軍事基地反対連絡会議参加。

●1956年
  1・ 7 闘争開き 現地闘争本部で開催。
  2・ 9 新潟商工会議所、新潟市長とともに知事に会い、他の地への移転を要望。
  2・21 全国軍事基地反対連絡会議(基地連)大阪会議に参加。
6・20 新潟市公会堂で、新潟基地拡張反対期成同盟一周年記念大会。
  8・ 9 長崎市での原水爆禁止第二回大会に保科事務局次長ら参加。
  8・15 反対期成同盟の箱岩事務局長(県労協事務局長)急逝。
  9・ 1 沖縄人民党瀬長亀次郎を迎え寄居中学校で報告会。
 10・ 2 砂川現地闘争に第一陣20名、第二陣10名参加。
 10・ 6 砂川現地闘争支援隊、当初計画の4倍122名、延べ370名が参加。
 11・20 新潟と砂川を結ぶ集会、新潟市公会堂で開催。砂川の青木行動隊長ら10余名参加、沖縄代表も参加。

●1957年
  2・13 基地反対期成同盟の婦人代表20名が砂川訪問 一泊懇談、砂川町役場で青木行動隊長ら地元民50名と懇談。
  3・30 基地反対期成同盟の要請で砂川から婦人8名が新潟へ。
  4・  社会党の全国軍事基地対策会議委員長野溝勝を団長とする9名の調査団来る。
  4・ 5 拡張反対期成同盟報告大会を開催。
  5月以降 新潟米軍基地の兵力削減、勤務要員の大量解雇始まる。
  6・17 農民労組員のカンパによる宣伝カー命名式、平和号と名づける。
  6・24 砂川、大高根、沖縄の代表を囲んで地元座談会を開催。
  7・  平和号県内を巡回、基地反対、原爆反対。
  8・10~16 平和号第三回原水禁長崎大会に参加。

●1958年
  3・ 4 在日米軍は仙台調達局に新潟飛行場を31日に返還すると通知。
  3・31 新潟飛行場返還式。5月以降は、東京―新潟間の民間飛行場空港となる。

●1959年
  1・26 新潟飛行場反対期成同盟婦人部が砂川に「越後の餅」を贈る。

<参考資料>

①『新潟日報』関連記事 1955~1958年 国会図書館立法考査局国会レファレンス課作成
②『新潟県教職員組合史』第2巻第16章 新潟飛行場拡張反対の闘い
③ 特集 基地日本―この実情を見よ 相次ぐ拡張と接収 新潟飛行場基地 河出書房『知性』昭和31年第3巻1号
④ 新潟飛行場拡張反対期成同盟 渋谷武 論文 『年報政治学』11巻 1960年
⑤ 『砂川闘争の記録』 砂川闘争年表 宮岡政雄/著 お茶の水書房 
⑥ 『砂川 ひろがりゆく日本の抵抗』 砂川町基地拡張反対支援労協/編集発行
⑦ 新潟基地反対運動を研究 沖縄との類似性を感じる 左近幸村 新潟日報2017・3・25
⑧ 福岡愛子 風間作一郎さんインタビュー 2017年12月20日

 上記資料のうち、①~④は国会レファレンス課文献提供係・係長諸橋邦彦氏による。

辺野古の現場から毛利孝雄のレポート 

辺野古の現場から毛利孝雄のレポート 17・4・9
 友人の毛利孝雄氏から、2017年3月25日の「辺野古新基地建設断念を求める県民集会-3500人超が辺野古ゲート前を埋める」が送信されてきた。しばしば辺野古の現場に出かけて貴重な体験を報告して下さる。以下は毛利氏による、3月末の辺野古現地集会の報告だ。
―翁長雄志知事「埋立承認必ず撤回」「闘いは新たなステージに」山城博治さん「沖縄の誇りある心を折ることはできない」。政府による辺野古工事再開強行から3カ月。久しぶりの大きな取り組みとなった「3・25違法な埋立工事の即時中止を求める県民集会」(辺野古に新基地を造らせないオール沖縄会議主催)。小雨のなか、辺野古ゲート前は各地から押し寄せる人波で埋まった。
 集会前段には、1週間前に保釈された山城博治さんが登壇。支援の感謝とともに「どのような暴力が振るわれても、機動隊が何百・何千と来ても、私たち県民の誇りある心を折ることはできない」との訴えに、参加者からは“博治コール”が起きた。11時に始まった集会は、オール沖縄会議共同代表の玉城愛さん、呉屋守將氏、県政策調整監に就任予定の吉田勝廣氏、稲嶺進名護市長、県選出国会議員らが次々に決意を表明。最後に登壇した翁長雄志知事は、「沖縄の新しい闘いがまたこれから始まるということで私も参加した」「辺野古新基地阻止の闘いは新たなステージに入った」として、辺野古埋立承認に関し「あらゆる手法で撤回を必ずやる」と初めて明言した。
 「島ぐるみ那覇の会」のバス10台の添乗員のひとりとして参加した長堂登志子さんは、集会参加した人たちの思いを次のように語る。「県庁前からは3台出したが、3台とも満員の60人で乗れない人も出た。9時30分出発なのに7時から県庁前で待っている人もいた。母親の介護で何とか行きたいのだが、行けないので残念だと涙を流しながら断りにきた人もいた。何とか辺野古の工事を止めたい、翁長知事の声を聞いて共に頑張りたいという熱い思いが、参加者の顔にみなぎっていた」すでに政府は、3月末に期限切れとなる「岩礁破砕許可」について、「地元漁協が漁業権を放棄したため再申請は不要」として、工事強行の構えだ。「埋立承認撤回」に対しても、代執行や行政事件訴訟法に基づく執行停止などの対抗策が予想される。この日、翁長知事と3500人超の集会参加者は、辺野古新基地阻止へ「新たな闘いのステージ」を決意したのだ。その決意を全身で受けとめ、連帯の運動を強めよう。(「週刊・新社会」4/4号に投稿したものです)―

      (釈放され元気に辺野古集会に参加した山城博治事務局長)

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辺野古・高江で闘う86歳島袋文子

辺野古・高江で先頭に立つ86歳島袋文子の闘い 16・10・12
 辺野古の座り込み闘争で、わたしが注目しているのは、常に先頭に立っている86歳の島袋文子さんのことだ。なんというファイトだろうと感嘆する。その文子さんの86歳を祝う誕生会が10月10日午前、キャンプ・シュワブ前で開かれた。ケーキと花束を受け取った島袋さんは「こんなりたくさんの人に祝ってもらうのは初めて。これからも抗議行動を頑張ります」と目を潤ませていた。座り込みに集まったメンバーたちは、カチャーシーを舞って会を盛り上げた。(沖縄タイムス16・10・11)
 沖縄・普天間基地へのオスプレイ配備をめぐる抵抗運動の様子や、新たな米軍基地建設計画が進む沖縄本島北部・東村高江の住民たちの闘いを描いたドキュメンタリー映画『標的の村』を撮影した三上智恵さんは、辺野古や高江の 現状を引き続き記録するべく、今も現場でカメラを回し続けている。「今、何が沖縄で起こっているのか」をレポー トしている連載コラム「三上智恵の沖縄(辺野古・高江)撮影日記 16・8・6」で反戦おばあ・島袋文子のことを伝えている。以下に要旨を紹介する。
◆「命に代えても」反戦おばあ・島袋文子さんたちの思い
 「あたしはね、命からがら、壕から這い出したんだよ」そう言って文子さんはシャツの左袖を大きくめくって見せた。火炎放射器に焼かれた左肩。放射状に引き攣ったその肌からは、69年前の地獄絵が立ち上って来るようだった。普天間基地を返すという話が、辺野古への基地建設にすり替わって17年。当初ほとんどの区民が反対した。中でも戦争を体験したお年寄りの反発は強かった。「この豊かな海を埋めるなら水に入ってでも止める」  「怖くないですよ。その覚悟です」おばあたちは口々にそういった。
 お年寄りを人柱にする前にできることをしようと、県内各地から、本土から、たくさんの人々が駆けつけ、辺野古の反対運動を作っていった。しかしあくまで反対運動の最初の核は辺野古と周辺の住民であり、中でも揺るがなかったのはお年寄りだった。いま、当初の経緯を知らない人が、反対運動はよそ者がやってるだけ、という。地元の人はテントにいない。区としては賛成ではないか、という。
 そんなに簡単なことではない。17年見て来てわかることは、辺野古は地域の結束をとても大事にする、団結した魅力溢れる土地であること。基地と折り合って生きてきた、重い歴史を背負っていること。何よりも基地の話で分断されるのを一番嫌がっていること。集落が揺れに揺れて、区民が沈黙していくなかで、おばあたちも、反対ではあっても、人前で表明することはやめて欲しいと家族に泣きつかれれば逡巡する。特に、選挙の度に親戚縁者が引き裂かれるのが堪える、という。その苦しみを越えて初心を貫き、反対できる人は稀である。反骨精神旺盛だった当初のお年寄りたちは、ほとんど鬼籍に入られたか様々な事情で離脱して、いま、顔や名前を晒して反対できる方はわずかである。かと言って、顔を出して座り込まないから賛成ということでは絶対にないのだ。前回、映像で紹介した、キャンプシュワブの前でミキサー車の前に立ちはだかる島袋文子さんは、その稀の中の稀な人である。
◆激戦地、糸満で戦火をくぐり抜けた体験
 2010年、県外移設を掲げて県民に希望を与えた鳩山総理大臣が一転して辺野古に回帰した時、名護に来た総理の車列に突っ込んで行こうと文子さんは車椅子を立った。私は後ろから追うが、機動隊の列を潜り抜けようとして阻まれた。よろよろと戻った文子さんは車椅子の上で泣いた。「この命はね、もう一度は死んだ命だったんだよ。私が鳩山の車に轢かれて基地が止まるなら、それでいい。そう思ったの」命に代えても。そういうおばあは文子さんだけではない。
 辺野古の北側、瀬嵩の東恩納文子さん(故人)は沖縄サミットの時、「爆弾を腰に巻いてクリントン大統領に抱きついたら、基地は止まるかね?」と私に真顔できいた。「基地に反対して苦労してる息子たちが哀れでしょうがない。それで終わるなら命は惜しくない」嘉陽集落に住む、カチャーシーが得意な比嘉小夜子さん。17年反対して来たのに今年、いよいよ埋め立てに入ると心を痛めている。「海に入って生き埋めになります。本気だということですよ」と唇を震わせた。こういう、戦争を体験した方々の切実な思いが私の中に降り積もっている。だからこそ声なき声まで伝えたい。
 なぜ、いつまでたっても沖縄のお年寄りは、安心して後生(ぐそう・あの世)に行くことも出来ないのか。どうやったらこの苦しみは終わるのか。賛成、反対ではない。もう断ち切りたいのだ。おばあたちの命をもってではなく、私たちの手で。
写真 名護市辺野古で基地建設反対を貫いている島袋文子さん


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沖縄保守の真髄 仲里利信議員に聞く②

沖縄保守の真髄 仲里利信議員に聞く② 15・7月14日
 仲里さんの話で納得いったことがあった。巷間、沖縄は3000億円の地域振興費を貰って、まだ文句を言っている。嫌なら3000億円を返せとネット右翼などが叫んでいる。これに対して仲里さんは言う。「仲井真前知事が3460億円を『有史以来の予算』と語ったが嘘だ。実際は太田革新県政の時には、最高で4730億円あった。2002年から2011年に沖縄が払った税金は2兆6080億円。逆に国庫から沖縄に支出した総額は2兆4930億円。一千億円多く、沖縄から持ち出している。見せかけの予算の何よりの証拠だ。那覇空港予算、大学院大学、学校耐震化、不発弾処理も国の事業。おおむね半分が国の事業になっている」「他府県から、基地があるから別枠で3千億円を貰っていると見られる。沖縄の革新系の基地反対派にもそう誤解している人がいる。『辺野古を埋めることで3千億円を余計に貰っている』と。でも、これはペテンにかけられている。他府県は各省庁に配分があるが、沖縄は内閣府が一括計上している。沖縄県民は騙されている。精査すべきだ」
 仲里さんは米軍基地よりも、基地返還後の沖縄経済の発展こそが、未来を切り開くという。「県の企画部が数字を明らかにしている。変換済みの土地では、那覇都心地区で言えば、返還前は52億円だったが、返還後は1636億円と32倍の経済効果が現れている。他の二地区を合わせると、返還前89億円が2459億円と28倍の経済効果を生んでいる。基地に頼る限り、沖縄の前途はなく、米軍基地の撤去があれば、観光収入などで、沖縄の前途は明るい。それだけに、今回の辺野古新基地は、これから50年も百年も危険な米軍基地との隣り合わせの県民生活を余儀なくさせる。戦争になれば沖縄は真っ先に、太平洋戦争と同じく真っ先に攻撃される。もうごめんだというのが沖縄の真実の声だ」
 仲里さんは現在無所属、一人一党を貫いている。無所属でどう国政に取り組むのか。「非常に悩んだ。無所属で当選させてもらった。一党一派に偏しないというのが基本的立場。うりずんの会などからの誘いがある。しかし会は国勢野党で革新派という見方をされている。私はオール沖縄を守り抜く。したがって無所属を鮮明にすべく、首相指名選挙では、仲里利信と書いて一票を投じた。今年はオール沖縄が定着するかどうかの正念場だ。だが国民世論は明らかに変わりつつある。昨年までは、沖縄辺野古の反対闘争の支持は、本土では少数派だったが、今年になってからの世論調査では、辺野古新基地反対を支持する世論が過半数となった。辺野古基金も7月初めで、3億5000万円を超えたが、そのうち7割が本土からの寄付となっている。辺野古基金への一層のご協力をお願いする」。
 保守リベラルともいうべき仲里さんの話は具体的でわかりやすい。左翼は理念とスローガンの空理空論が多すぎるが、それがないので、聞いていてストンと納得するところが多い。この会を主催したのは、原点は沖縄戦『オール沖縄』の魂を伝える 「沖縄戦を考える練馬の集い2015」にも敬意を表したい。国会へのデモは多いが、地域で生活と密着した運動を組織しているところは少ない。だが練馬区では、原発反対運動をはじめ、辺野古新基地問題、戦争立法反対運動など、地域でさまざまの活動が展開されている。当日は雨中にもかかわらずほぼ満員の会だった。こういう地域の地道な取り組みこそ評価されるべきだ。 

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徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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