辺野古の現場から毛利孝雄のレポート 

辺野古の現場から毛利孝雄のレポート 17・4・9
 友人の毛利孝雄氏から、2017年3月25日の「辺野古新基地建設断念を求める県民集会-3500人超が辺野古ゲート前を埋める」が送信されてきた。しばしば辺野古の現場に出かけて貴重な体験を報告して下さる。以下は毛利氏による、3月末の辺野古現地集会の報告だ。
―翁長雄志知事「埋立承認必ず撤回」「闘いは新たなステージに」山城博治さん「沖縄の誇りある心を折ることはできない」。政府による辺野古工事再開強行から3カ月。久しぶりの大きな取り組みとなった「3・25違法な埋立工事の即時中止を求める県民集会」(辺野古に新基地を造らせないオール沖縄会議主催)。小雨のなか、辺野古ゲート前は各地から押し寄せる人波で埋まった。
 集会前段には、1週間前に保釈された山城博治さんが登壇。支援の感謝とともに「どのような暴力が振るわれても、機動隊が何百・何千と来ても、私たち県民の誇りある心を折ることはできない」との訴えに、参加者からは“博治コール”が起きた。11時に始まった集会は、オール沖縄会議共同代表の玉城愛さん、呉屋守將氏、県政策調整監に就任予定の吉田勝廣氏、稲嶺進名護市長、県選出国会議員らが次々に決意を表明。最後に登壇した翁長雄志知事は、「沖縄の新しい闘いがまたこれから始まるということで私も参加した」「辺野古新基地阻止の闘いは新たなステージに入った」として、辺野古埋立承認に関し「あらゆる手法で撤回を必ずやる」と初めて明言した。
 「島ぐるみ那覇の会」のバス10台の添乗員のひとりとして参加した長堂登志子さんは、集会参加した人たちの思いを次のように語る。「県庁前からは3台出したが、3台とも満員の60人で乗れない人も出た。9時30分出発なのに7時から県庁前で待っている人もいた。母親の介護で何とか行きたいのだが、行けないので残念だと涙を流しながら断りにきた人もいた。何とか辺野古の工事を止めたい、翁長知事の声を聞いて共に頑張りたいという熱い思いが、参加者の顔にみなぎっていた」すでに政府は、3月末に期限切れとなる「岩礁破砕許可」について、「地元漁協が漁業権を放棄したため再申請は不要」として、工事強行の構えだ。「埋立承認撤回」に対しても、代執行や行政事件訴訟法に基づく執行停止などの対抗策が予想される。この日、翁長知事と3500人超の集会参加者は、辺野古新基地阻止へ「新たな闘いのステージ」を決意したのだ。その決意を全身で受けとめ、連帯の運動を強めよう。(「週刊・新社会」4/4号に投稿したものです)―

      (釈放され元気に辺野古集会に参加した山城博治事務局長)

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辺野古・高江で闘う86歳島袋文子

辺野古・高江で先頭に立つ86歳島袋文子の闘い 16・10・12
 辺野古の座り込み闘争で、わたしが注目しているのは、常に先頭に立っている86歳の島袋文子さんのことだ。なんというファイトだろうと感嘆する。その文子さんの86歳を祝う誕生会が10月10日午前、キャンプ・シュワブ前で開かれた。ケーキと花束を受け取った島袋さんは「こんなりたくさんの人に祝ってもらうのは初めて。これからも抗議行動を頑張ります」と目を潤ませていた。座り込みに集まったメンバーたちは、カチャーシーを舞って会を盛り上げた。(沖縄タイムス16・10・11)
 沖縄・普天間基地へのオスプレイ配備をめぐる抵抗運動の様子や、新たな米軍基地建設計画が進む沖縄本島北部・東村高江の住民たちの闘いを描いたドキュメンタリー映画『標的の村』を撮影した三上智恵さんは、辺野古や高江の 現状を引き続き記録するべく、今も現場でカメラを回し続けている。「今、何が沖縄で起こっているのか」をレポー トしている連載コラム「三上智恵の沖縄(辺野古・高江)撮影日記 16・8・6」で反戦おばあ・島袋文子のことを伝えている。以下に要旨を紹介する。
◆「命に代えても」反戦おばあ・島袋文子さんたちの思い
 「あたしはね、命からがら、壕から這い出したんだよ」そう言って文子さんはシャツの左袖を大きくめくって見せた。火炎放射器に焼かれた左肩。放射状に引き攣ったその肌からは、69年前の地獄絵が立ち上って来るようだった。普天間基地を返すという話が、辺野古への基地建設にすり替わって17年。当初ほとんどの区民が反対した。中でも戦争を体験したお年寄りの反発は強かった。「この豊かな海を埋めるなら水に入ってでも止める」  「怖くないですよ。その覚悟です」おばあたちは口々にそういった。
 お年寄りを人柱にする前にできることをしようと、県内各地から、本土から、たくさんの人々が駆けつけ、辺野古の反対運動を作っていった。しかしあくまで反対運動の最初の核は辺野古と周辺の住民であり、中でも揺るがなかったのはお年寄りだった。いま、当初の経緯を知らない人が、反対運動はよそ者がやってるだけ、という。地元の人はテントにいない。区としては賛成ではないか、という。
 そんなに簡単なことではない。17年見て来てわかることは、辺野古は地域の結束をとても大事にする、団結した魅力溢れる土地であること。基地と折り合って生きてきた、重い歴史を背負っていること。何よりも基地の話で分断されるのを一番嫌がっていること。集落が揺れに揺れて、区民が沈黙していくなかで、おばあたちも、反対ではあっても、人前で表明することはやめて欲しいと家族に泣きつかれれば逡巡する。特に、選挙の度に親戚縁者が引き裂かれるのが堪える、という。その苦しみを越えて初心を貫き、反対できる人は稀である。反骨精神旺盛だった当初のお年寄りたちは、ほとんど鬼籍に入られたか様々な事情で離脱して、いま、顔や名前を晒して反対できる方はわずかである。かと言って、顔を出して座り込まないから賛成ということでは絶対にないのだ。前回、映像で紹介した、キャンプシュワブの前でミキサー車の前に立ちはだかる島袋文子さんは、その稀の中の稀な人である。
◆激戦地、糸満で戦火をくぐり抜けた体験
 2010年、県外移設を掲げて県民に希望を与えた鳩山総理大臣が一転して辺野古に回帰した時、名護に来た総理の車列に突っ込んで行こうと文子さんは車椅子を立った。私は後ろから追うが、機動隊の列を潜り抜けようとして阻まれた。よろよろと戻った文子さんは車椅子の上で泣いた。「この命はね、もう一度は死んだ命だったんだよ。私が鳩山の車に轢かれて基地が止まるなら、それでいい。そう思ったの」命に代えても。そういうおばあは文子さんだけではない。
 辺野古の北側、瀬嵩の東恩納文子さん(故人)は沖縄サミットの時、「爆弾を腰に巻いてクリントン大統領に抱きついたら、基地は止まるかね?」と私に真顔できいた。「基地に反対して苦労してる息子たちが哀れでしょうがない。それで終わるなら命は惜しくない」嘉陽集落に住む、カチャーシーが得意な比嘉小夜子さん。17年反対して来たのに今年、いよいよ埋め立てに入ると心を痛めている。「海に入って生き埋めになります。本気だということですよ」と唇を震わせた。こういう、戦争を体験した方々の切実な思いが私の中に降り積もっている。だからこそ声なき声まで伝えたい。
 なぜ、いつまでたっても沖縄のお年寄りは、安心して後生(ぐそう・あの世)に行くことも出来ないのか。どうやったらこの苦しみは終わるのか。賛成、反対ではない。もう断ち切りたいのだ。おばあたちの命をもってではなく、私たちの手で。
写真 名護市辺野古で基地建設反対を貫いている島袋文子さん


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沖縄保守の真髄 仲里利信議員に聞く②

沖縄保守の真髄 仲里利信議員に聞く② 15・7月14日
 仲里さんの話で納得いったことがあった。巷間、沖縄は3000億円の地域振興費を貰って、まだ文句を言っている。嫌なら3000億円を返せとネット右翼などが叫んでいる。これに対して仲里さんは言う。「仲井真前知事が3460億円を『有史以来の予算』と語ったが嘘だ。実際は太田革新県政の時には、最高で4730億円あった。2002年から2011年に沖縄が払った税金は2兆6080億円。逆に国庫から沖縄に支出した総額は2兆4930億円。一千億円多く、沖縄から持ち出している。見せかけの予算の何よりの証拠だ。那覇空港予算、大学院大学、学校耐震化、不発弾処理も国の事業。おおむね半分が国の事業になっている」「他府県から、基地があるから別枠で3千億円を貰っていると見られる。沖縄の革新系の基地反対派にもそう誤解している人がいる。『辺野古を埋めることで3千億円を余計に貰っている』と。でも、これはペテンにかけられている。他府県は各省庁に配分があるが、沖縄は内閣府が一括計上している。沖縄県民は騙されている。精査すべきだ」
 仲里さんは米軍基地よりも、基地返還後の沖縄経済の発展こそが、未来を切り開くという。「県の企画部が数字を明らかにしている。変換済みの土地では、那覇都心地区で言えば、返還前は52億円だったが、返還後は1636億円と32倍の経済効果が現れている。他の二地区を合わせると、返還前89億円が2459億円と28倍の経済効果を生んでいる。基地に頼る限り、沖縄の前途はなく、米軍基地の撤去があれば、観光収入などで、沖縄の前途は明るい。それだけに、今回の辺野古新基地は、これから50年も百年も危険な米軍基地との隣り合わせの県民生活を余儀なくさせる。戦争になれば沖縄は真っ先に、太平洋戦争と同じく真っ先に攻撃される。もうごめんだというのが沖縄の真実の声だ」
 仲里さんは現在無所属、一人一党を貫いている。無所属でどう国政に取り組むのか。「非常に悩んだ。無所属で当選させてもらった。一党一派に偏しないというのが基本的立場。うりずんの会などからの誘いがある。しかし会は国勢野党で革新派という見方をされている。私はオール沖縄を守り抜く。したがって無所属を鮮明にすべく、首相指名選挙では、仲里利信と書いて一票を投じた。今年はオール沖縄が定着するかどうかの正念場だ。だが国民世論は明らかに変わりつつある。昨年までは、沖縄辺野古の反対闘争の支持は、本土では少数派だったが、今年になってからの世論調査では、辺野古新基地反対を支持する世論が過半数となった。辺野古基金も7月初めで、3億5000万円を超えたが、そのうち7割が本土からの寄付となっている。辺野古基金への一層のご協力をお願いする」。
 保守リベラルともいうべき仲里さんの話は具体的でわかりやすい。左翼は理念とスローガンの空理空論が多すぎるが、それがないので、聞いていてストンと納得するところが多い。この会を主催したのは、原点は沖縄戦『オール沖縄』の魂を伝える 「沖縄戦を考える練馬の集い2015」にも敬意を表したい。国会へのデモは多いが、地域で生活と密着した運動を組織しているところは少ない。だが練馬区では、原発反対運動をはじめ、辺野古新基地問題、戦争立法反対運動など、地域でさまざまの活動が展開されている。当日は雨中にもかかわらずほぼ満員の会だった。こういう地域の地道な取り組みこそ評価されるべきだ。 

沖縄保守の真髄 仲利信里議員に聞く①

沖縄保守の真髄 仲利信里議員に聞く① 15・7月11日
 いくつになっても会いたい人、会っておきたい人がいる。その中で、かねて会いたいと思って居たのは、沖縄県選出の仲里利信議員だ。その念願の人に、7月8日夜の『オール沖縄の魂を伝える 原点は沖縄戦』という練馬区・産業ブラザカコネリホールで開かれた集会で出会うことができた。会議の前、一番前の席に座っていた仲里さんを、友人の禁煙ジャーナルの文学さんが見つけた。私は仲里さんに「一度お会いたかった。あの辺野古問題での自民党議員の変節に真っ先に抗議して、14年1月の名護市長選挙で自分の車に拡声器を付けて、一人で街頭演説をして稲嶺市長当選に貢献された。それを沖縄タイムス等の記事で拝見して感激した」と言った。77歳には見えぬ血色の良い方だった。
 私が初めて仲里さんの名前に接したのは、2013年末の仲井真県知事と県選出自民党議員の変節だった。2010年7月の参議院選挙で「辺野古県外国外移設」という、かつての民主党のスローガンを掲げて、革新候補を破った島尻安以子参議、同年11月、同じくそれを掲げて再選に成功した仲井真知事。そして12年末の民主党政権敗北の総選挙で、自民党の選挙区候補4人が、「辺野古移設反対」を掲げて全員当選した。にもかかわらず13年末の、仲井真知事による「辺野古移設容認」と言う変節行為に、これらの自民党衆参国会議員全員が同調した。これに怒った仲里さんが、元自民党の県議会議長でありながら真っ先に反対の意思を表明、14年1月の名護市長選挙で、自らの車に拡声器を付けて、一人でこつこつと自民党の背信行為を糾弾し、稲嶺市長の再選を訴えた。
 地元紙の記事でそれを読んで、自民党にも立派な人が居るんだと思った。それが名護市長選の勝利となり、さらに昨年11月の知事選挙で翁長知事の10万票の大差をつけた大勝利へ、そして12月総選挙での、辺野古移設反対派全員の選挙区当選に繋がった。沖縄4区で県民を裏切った一人、自らが後援会長を務めた西銘恒三郎議員を追い落して代議士に当選したのが仲里さんだった。
 仲里さんのお話は彼が自ら体験した沖縄戦の体験だった。そして保守だろうが革新だろうが、この沖縄戦の体験と言う悲痛な戦争の事実を覆い隠そうとする流れには、断固闘わなければならないという決意を表明された。淡々として語り口で平易明快に、日本軍による沖縄県人に対する自殺強要の事実を、自らの体験を下に語った。「沖縄戦で県民の4人に1人が亡くなった。私たち一家が隠れていた宜野座のガまで3歳の妹と、いとこの3歳の女の子がいた。まっくらな洞窟の中で妹たちは泣き叫ぶ。
 ある日銃剣を持った3人の日本兵が来て、毒入りのおむすびで2人を殺せという。家族で相談して、死ぬときは一緒とガマから出た。隠れるところもない。一時は家族バラバラになったが再会できた。米軍機が頭上を飛んだが、女子供と見て機銃攻撃はしなかった」。「歴史の事実を埋もれさせてはいけない。安倍政権は『南京大虐殺』は有無も定かでないとか、『従軍慰安婦』問題もうやむやにする流れだ。その一環で『集団自決』もないことにされると思った。それを許してはならない。僕のおやじも青年学校の教え子が戦死した責任を感じて自決した」。(続く)

映画「沖縄うりずんの雨」で知る沖縄の真実

映画「沖縄うりずんの雨」で知る沖縄の真実 15・6月29日
 先週土曜日、友人に誘われて岩波ホールで映画「沖縄うりずんの雨」を見た。九段下に住むようになってから20数年、岩波ホールにはよく通った。映画「うりずんの雨」は監督:ジャン・ユンカーマン、企画・製作:山上徹二郎。音楽は小室等。「うりずん」とは潤い初め(うるおいぞめ)が語源とされ、冬が終わって大地が潤い、草木が芽吹く3月頃から、沖縄が梅雨に入る5月くらいまでの時期を指す言葉。70年前の3月26日、米軍の沖縄上陸作戦が始まり、6月23日、日本軍の抵抗終結まで沖縄地上戦が終るまでの約3か月間に、沖縄県民の4分の1が亡くなった。うりずんの季節に重なり、戦後70年たった現在も、この時期になると当時の記憶が甦り、体調を崩す人たちがいる。そして戦後70年、いまなお県土の17%、日本の米軍基地の74%が沖縄に押し付けられている。映画は4部からなる。
 第1部「沖縄戦」第1部「沖縄戦」では、凄惨を極めた沖縄の地上戦で対峙し生き残った元米兵と元日本兵、そして沖縄で現地徴用され戦闘に駆り出された沖縄の人びとの証言と、新たに発掘した米軍撮影の資料映像を重層的に構成し、70年前の沖縄戦の実像に迫る。第2部「占領」では、1945年6月23日沖縄戦の組織的戦闘の終結を待たず、4月1日の沖縄本島上陸直後から始まっていた米軍による差別的な沖縄占領政策の実態と米軍基地建設、そして占領下での沖縄の人々の平和を求める反基地闘争を中心に描く。
 第3部「凌辱」では、読谷村でのチビチリガマ集団自決「集団強制死」の証言、また米軍基地の存在によってもたらされる沖縄の人びと、とりわけ女性たちへの性暴力の実態を、被害の側の人びと、そして性暴力の加害者である元米兵の、双方への取材を通して明らかにしていく。第4部「明日へ」の最終章では、辺野古への新たな米軍基地建設をめぐる、日本政府の強引な対応と、沖縄への差別的な扱いを許している本土の私たちの無関心に対して、沖縄の人たちの深い失望と怒りが語られる。小室等の音楽がすばらしい。また会場で購入したパンフレットの内容。沖縄の琉球王国成立、1429年以来、今日までの歴史年表と米軍基地を目で一覧できる沖縄地図は素晴らしい資料だ。
 2時間半近い長編の映画を見終わってわかったこと。ひとつは沖縄侵攻の歴史は徳川幕府末期の1853年のペルー提督の那覇寄港以来、アメリカは沖縄を狙っていた。沖縄戦で勝利して以降、米軍の戦利品として半永久的に基地として使う意図のもとに、住民を追い出して米軍基地を強制的に作り続けた。もう一つは、そのアメリカの意向に沿って積極的に沖縄の軍事基地化を進めた日本政府だ。1950年代は沖縄と本土の米軍基地の広さは、沖縄1対本土8だった。いまや沖縄一県に74%の基地が集中している。
 本土の反米感情を考慮してアメリカと日本政府は意図的に、本土の米軍基地を占領下の沖縄に移した。これを差別といわずしてなんというか。さらに加えて今後100年以上使用する目的で新たな辺野古新基地が作られようとしている。県知事選も地元市長選も、国政選挙もすべて「辺野古ノー」の県民の意思を蹂躙しているのだ。これこそ民主主義の否定ではないか。立憲主義の危機を叫ぶ野党議員にも言いたい。もっとも立憲主義に背反している沖縄の事態に一言もないのは、政権政党とどこが違うのかと。映画「沖縄うりずんの雨」を一人でも多くの日本人に観てほしいと切に思う。

  うりずんは 血の雨 涙雨 礎の魂 呼び起こす雨 小みねもと子(沖縄・渡嘉敷島の歌人)

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徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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