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敗戦を終戦とした日本人 占領軍を進駐軍と歓迎

"敗戦を終戦とした日本人 占領軍を進駐軍と歓迎 20・8・9
 私にとって1945年8月15日とは人生最大の絶望の日だった。まず同年四月20日、母政子が数え年38歳で肺炎で死亡した。そして8月15日のお盆の日が、日本国が連合軍に無条件降伏した日と重なった。
戦争に負けたら男子はキン玉を抜かれ、女はすべて鬼畜米兵の妾にされると言う宣伝を信じていた。12歳の軍国少年は恐怖に震えた。そして、敗戦を簡単に終戦記念日とした政府やマスコミのあり方に憤りをおぼえた。敗戦と言う事実と向き合おうとせず、学者や知識人、一般国民も 終戦記念日だと信じ込んでいるものが多い。
 私は2008年1月から友人に誘われて「元旦や牛に曳かれて初句会」と言うところで福神規子先生主催の雛の会に参加した。俳句の世界でも終戦記念日と言う季語を使う方は多い。しかしよく調べてみると、明確に敗戦忌とか敗戦日とかを使っている俳人も多いことがわかった。私の尊敬する俳人の金子兜太、鈴木真砂女、石田波郷、岡山県出身の西東三鬼らも敗戦忌、敗戦日を季語としている。
 絶望を知る少年の敗戦忌 仲井漫歩

敗戦日の午前短し午後長し 三橋敏雄
敗戦日の水飲む犬よわれも飲む 西東三鬼
敗戦日非業の死者と風の島に 金子兜太
教へ子の割腹ありし敗戦日 能村登四郎
日照を沮むものなし敗戦忌 上田五千石『琥珀』補遺
旧悪もなつかしきとか敗戦忌 香西照雄 素心
暮れはててなほ鳴く蝉や敗戦日 石田波郷
朝顔の地を這つて咲く敗戦日鈴木真砂女居待月
射的人形苦もなく倒し 敗戦日 伊丹三樹彦
捨畳藺の芽吹き出て敗戦日 中村草田男
焼夷弾筒向日葵をさす敗戦日 山口青邨
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犬ふぐりを愛した故高田風神子先生

犬ふぐりを愛した故高田風神子先生 019・5・30
 私が所属している俳誌「雛」とその前身の『惜春』でご指導を頂いた、高田風神子先生が3月10日にお亡くなりになった。私が俳句に出会ったのは少年時代だった。叔父茂から私の祖父母に宛てたハガキである。南方派遣沖6094部隊濱野隊4班上畑茂とあった。ハガキには「炭を焼く老爺の肩に白き雪」という一句が記されていた。そして戦後、この部隊は最前線の南太平洋ブーゲンビル島に派遣されていたとわかった。叔父は敗戦の二日前ので1945年8月13日死亡していた。戦後半年後の冬、叔父の戦友が復員して、指の骨の欠片が入っている白木の箱を届けに来た。当時の戦友は栄養失調で亡くなったと告げたが、後年、最前線であったブーゲンビル島で、叔父は飢え死にしたとわかった。
◆風神子先生との出会い句誌『惜春』『雛』のご縁
 2008年の正月から、友人に誘われて渋谷区の旧小学校の会議室で月一回開かれる「風鈴の会」に参加することになった。「牛に引かれ喜寿の手習ひ初句会」である。句会の指導者は、福神規子先生だった。やりはじめてみるとなかなか面白い。気のおもむくままに俳句や短歌らしきものは詠んできたが、先生に指導され、他人の目に晒されて句をつくるという経験はなかった。福神先生が句誌『惜春』の主要メンバーであり、主宰者、高田風神子先生のご指導をも受けることになった。以降、昨年末まで足かけ10年間お世話になった。
 高田風神子先生は、犬ふぐりの花を殊に愛された。先生の訃報を聞いた後、私は千代田区の高齢者センター 輝きプラザで読書室に備えられてある講談社の「カラー日本俳句大事典」を開いて犬ふぐりの項を検索した。するとこの解説者が風神子先生だったことを発見した。私は亡き風神子先生の温容に接したように嬉しくなった。以下にその解説と風神子先生の犬ふぐりの句を紹介する。
―解説 春まだ浅い頃、日溜りにこの花を見つけることはうれしい。空色をした小さな花で、朝日を受けて開き夕方閉じる。路傍や賭が至るところに、地を這うように茎が拡がっている。葉には鈍いぎざぎざがある。ゴマノハクサ科の越年草で、踏まれても咲く雑草の強さがあり、花期は長い。つくづく見ると、花弁に大小があり、黙って空を向いて咲いている姿はいとおしい。正確にはおおいぬのふぐりで、明治以後の帰催植物である。ふぐりの名は、その実の形から出たものである。(高田風神子)―
 犬ふぐり数へ切れずに楽しけれ 腰下しけり犬ふぐり咲くなべに
 犬フグリわが世の春のごと多し 太陽は我にもやさし犬ふぐり
 犬ふぐり一国をなすほどにかな 知る人の知るこの径の犬ふぐり(惜春近詠集 四季の歌)
  歳時記に師の名遺れり犬ふぐり 漫歩

漫歩俳句遊び 風鈴の会第12句集『祖霊』 

漫歩俳句遊び 風鈴の会第12句集『祖霊』 18・⒓・31
 2009年の一月から渋谷で開かれていた句会、風鈴の会に参加して足かけ10年になる。句会は、それより二三年前に始っていた。知人に誘われ「牛に引かれ喜寿の手習い初句会」というのが当年の句集に掲載された。それから今年の第12句集まで10冊の句集に、風神子先生と規子先生の選句から15句選んで掲載して頂いた。年少のころから、一人で俳句は作っていたが、正式に句会に参加して、先生のご指導を受けたのは初めてのことだった。
正岡子規の流れをくむ句会だけに、季語をきちんと入れて俳句をつくるという原点とその厳しさを学んだ。
 今年の暑さと、年齢による体力の衰えを痛感し、20人前後の句会で、計140句の中から、7句を選ぶというのに三時間はかかるということもあり、今年の6月で退会した。九段北界隈で、渡辺文学さんなどと月一回、数人の仲間と句会をやっていることもあり、風鈴の会は退会した。これが最後の句集であり、以下に今回提出した15句を載せた。
風鈴の会 第十二句集『祖霊』掲載15句
 さりげなく手を振る別れ合歓の花
 夏風邪や痰切り地蔵にお賽銭
 夏草や里に残るは墓標のみ
 馬追を聞けば馬車引く祖父のこと
 被曝せし友みな逝きぬ原爆忌
 蝉時雨無名戦士の墓に降る
 掌を引きし娘に手を引かれ老いの秋
 返り花人に知られぬ恋もして
 冬陽背に杖曳くふたり影長し
 湯たんぽを抱いて寝て起き顔洗ふ
 若き友逝く春灯下泣けてきし
 君の名はと問うて笑はれ春の風
 海賊船列なし待つや湖の春
 花万朶兵は静かに無言館
 少年のやうに裸足で芝駆ける

樹木希林さんと良寛の句

樹木希林さんと良寛の句 18・⒓・2
 良寛さんのことは好きで何度か新潟に行った時、良寛の住んでいた庵をたずねたり、史跡を辿った。最近読んだ朝日新聞の記事に樹木希林さんと良寛の話が出ていた。今年の9月に亡くなった希林さんは良寛の生き様が好きだったらしい。以下にその要旨を紹介する。
―うらを見せおもてを見せてちるもみぢ 良寛の辞世の句だ。希林さんと長年の友人で、何必館(かひつかん) ・京都現代美術館長の梶川芳友さん(77)はしばしばこの句について語り合った。希林さんはこう語った。「裏から始まる所がすごい。年や経験を重ねても、人間は裏表を持ち続けているという本質を見抜いた人の句ね。こうありたい」
 ふたりは別の良寛の句「散る桜 残る桜も散る桜」も好んだ。誰にの等しく訪れる死に、人は一喜一憂するが、終わりが決まらないのに、そこに至る生き方が定まるわけがない。「そう考えると、心強いわね。でも、死ぬことは誰かの心の中で生き続けることなんじゃないかしら」
何必館には、近代日本画家村上華岳の「大師樹下善那」がある。51歳で早世した雅岳がぜんそくの発作の中で描いた作品で、若き日の釈迦が座禅修行する姿が描かれている。絵には「官能性」「遊び心」と同時に「死への不安」が同居している。希林さんは京都に来るたびにこの仏画に向き合い、「孤独」について語り合った。二人は60歳を過ぎる頃に大病を患った。希林さんは61歳で乳がんになり、梶川さんは60歳のとき心筋梗塞で1カ月間入院した。希林さんはこう言った。「病が不幸だなんて。もったいない。がんは特に残り時間が読めるからありがたいわよ」
 希林さんはがんを機に「所有しない生き方を選び、名刺1枚受け取らなかった。それなのに、2年ほど前、梶川さんに「大師樹下禅那」の複製画を求められた。9月16日。訃報を受け、希林さんの枕元には、あの仏画がかけられていた。晩年は丸くなったという希林さんだが、物事や人に対して厳しい人でもあり、電話でこぼすこともあった。梶川さんは釈迦の弟子の一人、提婆達多(だいばだった)の話をした。釈迦に立てつき、困らせる、みんなが彼を遠ざけた。だが釈迦は「役立つ人だけがいいのではない。困らせる人も己を磨く上で必要だ」と説いた。すると、希林さんは「くつくつ」笑いながら言った。「そういえば提婆達多は私にとっての裕也ね」―(朝日新聞2018・11・29 山内深紗子)
 なかなか面白い話を、朝日の山内記者が書いてくれている。大師樹下禅那の話も良かったが、釈迦を困らせた提婆達多の話が面白い。困らせて嫌な奴と思っていたが、そういう人の存在もあってこそ人世は愉しいものになるのだと気づかされた。
   

公園の酔芙蓉が咲いたと友のメール

公園の酔芙蓉が咲いたと友のメール 18・10・29
 数日間留守にしていて北の丸公園に行かなかった。帰宅してみると一通のメールがはいっていた。 
―2018年秋 秋晴れの良い日曜日となりました。今朝、北の丸公園に、酔芙蓉の花が咲いていました。酔芙蓉は、朝は白い花が咲いて、午後はピンク色になり、夜には、赤くなるという不思議な花です。どうぞ、お楽しみくださいませ。リディアー
  今週はまことに秋晴れの暖かい天気だ。リディアさんという方はちょっと思い出せないが、有難く頂戴した。以下のように返信した。リディアーさん、酔芙蓉の花、有難く頂戴しました。
 今朝はちゃんとラジオ体操に参加して、公園の新鮮な空気を吸って、歩いてきた。帰途友人のKさんと一緒になり、酔芙蓉のメールの話をしたら、公園の中に酔芙蓉の咲いてゐる場所があると連れて行ってもらった。数年間ラジオ体操に行っているのに、酔芙蓉の噂は効いていたが、咲いてゐるのをはじめて見た。朝は白く咲き、お昼頃ピンク色、夜は真っ赤になると言うので、酔芙蓉と名づけられたそうだ。
 その後、百円珈琲の店によって仲間と歓談。そして神保町近くの新星豆腐店で、作り立ての豆腐一丁、朝食用の果物などをスーパーで買って帰宅。これでラジオ体操と合わせて約7000歩歩くことになる。。別に運動しているつもりはないが、生活の必要性、必然性で最低1万歩以上は歩くことになる。腰も痛いし足ものろくなった。しかし歩いている間は不思議に幸せな気分になる。今でも2001年から数年間歩き続けた四国歩き遍路を夢見ている。無理だろうと思いながら、お四国の人や花に逢いたくなる。
 調べてみると酔芙蓉は秋の季語で、正岡子規の句に、「松が根になまめきたてる芙蓉かな」の句があった。また酔芙蓉の花言葉は「「繊細な美 」  「しとやかな恋人」となっている。まことに艶然たる風情の酔芙蓉に出会った秋晴れの朝だった。
  酔芙蓉酔はせ聞きたいこともあり 漫歩
  北の丸公園 酔芙蓉

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徘徊老人

Author:徘徊老人
88歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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