米寿のメール友達西村翁逝く 

米寿のメール友達西村翁逝く 3月5日
 2月末日、西村徹夫人からメールが入った。「ご無沙汰しております。早速ですが徹が25日に他界いたしました。肺に致命傷があるとわかって一年と一カ月最後の5日間以外は激しい苦痛もなく88歳の天寿を全う致しました」とあった。1970年代の公害反対住民運動以来の良き仲間であり、いろいろの面で教示をいただきお世話になった方である。むかしの仲間で、80代でメールの交換ができるのは西村さんだけだった。唯一無二のメール友達でもあった西村米寿翁の死はショックだ。
 大阪女子大の名誉教授で、私たち仲間で2004年からはじめた「メールマガジン・オルタ」のコラム執筆の常連でもあった。一年前肺ガンが発見されたが、手術や抗がん剤服用はことわり、放射線治療を受けておられた。絶筆となったのはオルタ2月20日号の「横丁茶話 死の真実 」という題のコラムだった。かねて病状悪化の様子を知っていた私は重い気分で読んだ。以下はその要旨である。
 ―「土」を書いた長塚節は37歳で死んだ。「土」そのものは、ひたすらに死をあこがれたとしても何の不思議もないと思える農民の生の悲惨を、これでもかこれでもかと描いたものである。にもかかわらず病中雑詠その一には、「喉頭結核といふ恐ろしき病ひにかかりしに知らでありければ心にも止めざりしを打ち捨ておかば餘命は僅かに一年を保つに過ぎざるべしといへばさすがに心はいたくうち騒がれて」というまえがきがあって冒頭に、生きも死にも天のまにまにと平らけく思ひたりしは常の時なりき。「昔」、すなわち「常の時」には、死について人はみな大口を叩くものである。私自身今それを恥ずかしく思う。それ以上に37歳の長塚節が感じたのとあまり変わらぬものを88歳にしてなお感じるのを、さらに恥ずかしく思う。もう一つの厄介は「常の時」に吐いた恥ずかしい大口が、すべてウソだったかと言うとそうではなくて多分に真実を含んでもいることである。じっさいに死はつねに他人にしか起こらないし、死は救済でもあることには間違いはないのであるー。
 この原稿の日付は2015・2・14となっている。この11日後、西村さんは肺がん宣告一年一カ月後の2月25日逝かれたのである。私は西村さんのことを、昔から不倒翁と呼んでいた。何しろ病気のデパートみたいな方であった。もうダメかなと思っていると、不思議に元気になって帰ってくるのだ。この数年でも下腹部の動脈瘤手術、喉頭がん手術などなど、そして入院もしばしばであった。ご本人はまことに小柄で温和な感じの方で、重い病などに耐えられる体力があるとは思えない。その西村さんはおそらく同世代の友人たちの中で最も長く生き抜かれたと思う。残念なことは、80代唯一のメール友達を失ったことだ。私が不倒翁だからあなたは死なないのだとメールし、近年物忘れ防止のため帽子から携帯、カギに至るまで紐を付けることにした旨を知らせると「紐付徘徊老人殿」という宛名でメールが来るようになった。二人で冗談話をしながらメールで遊んでいたわけである。不倒翁ついに倒れたが見事に天寿を全うされた。不倒翁の一句を懐かしく思い出す。 もうアカンと 言ひつつ年は 明けにけり 徹<
      (写真 伊豆富戸海岸の野仏)

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座り続けると心臓に悪い調査

座り続けると心臓に悪い調査結果 15・2月23日
 三寒四温で、暖かい日があるとまた寒い日が来る。雨が上がって晴間が出てくると、パソコンの前に座っているより散歩にでかけたくなる。今日の午後、北の丸公園に歩きにでかけた。南風で気温は19度、急に暑くなった感じで体がついて行かない。かつて故助川信彦老師が老人病院の医師をされていたころ、よく話を聞いた。老師は「呆ける人と呆けない人を見ていると原因がわかる。足が悪くなって歩けなくなり、テレビばかり見ているようになると、どんな頭のいい人でも三カ月で呆ける」と言われた。これは金言としていつも思い出す。
 では、呆けない秘訣は何か。老師は呆けていない老女を観察した結果。二つのことを示された。ひとつは適当なストレス。出来の悪い息子がいてあちこち放浪している。老女は「いまこの辺りに居るらしい」と地図を広げて心配している。もう一つは、テレビばかり見ないで、足腰を使う趣味を持っている。動くという事を忘れないことだ、とおっしゃった。出来の悪い子供を持つこともボケ防止になるらしい。
 この老人病院の観察結果を聞いてから20年近い。以降、ともかく歩くという事を目標にしてきた。2001年からの四国歩き遍路もその延長線上にあった。毎朝、階段の上下、ラジオ体操に公園まで歩いて行くことも日課としている。風邪を引きそうだとか、肩が凝るとか、心臓の調子悪いというときも歩くことにしている。そうすると体の血液循環がよくなって、血圧が下がり夜も安眠できるからだ。
 現役世代でも、動かないという事は健康寿命に影響大であることを知った。タバコ問題情報センターの友人、文さんが2月17日の日経新聞「座っていると心臓に悪い」という記事を見せてくれた。ジャズピアニストの山中千尋氏の「座り仕事の危機」というコラムである。ネットで検索すると、以下のような二つの研究結果を発見した。(女子力アップCafe Googirl )以下に要旨を紹介する。
―イギリスのロンドン大学の研究チームで、2003年から約5年間にわたり、スコットランドで国民健康調査に参加した成人4512人のデータを調査した。テレビやパソコンなどのスクリーンを見て過ごす時間と心臓発作の関連性について行われた初めての研究・4時間以上スクリーンの前に座ることで、様々な原因による死亡リスクが48パーセント、心臓発作などの心血管系イベントのリスクが125パーセントも増加。・日頃運動しているひとでも、長時間スクリーンの前で過ごすことによる死亡リスクに変化はなかったー。
 もう一つは、米国癌協会による癌予防研究II(Cancer Prevention II)の記事である。病歴のない成人12万3,216人対象。被験者は 1993~2006年の14年間追跡された。1日6時間を座って過ごす人は、座る時間が3時間未満の人に比べて死亡リスクが女性で37%、男性で17%高かった。長時間座って過ごし、かつ運動や体を動かすことをしない人はさらに死亡リスクが高く、女性では94%、男性では48%。筋肉、特に脚の筋肉を動かさないと、さまざまなホルモンの分泌が変化し、トリグリセライド(中性脂肪)、コレステロールなど、心疾患やその他の疾患のマーカーに影響がある。アメリカでは、すでに立ったままでパソコンを使うやり方が始まっているそうだ。
  ジーンズを穿き街に出む春の風 漫歩
     (写真 享保雛 丸ノ内ホテル展示)

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杉原美津子最後の生き様と死

杉原美津子最後の生き様と死 14・12・18
 杉原美津子(すぎはら・みつこ=ノンフィクション作家)が12月7日、肝臓がんで名古屋市内の自宅で死去したというニュースが、12月9日に流れた。70歳。故人の遺志で葬儀は行わないとあった。愛媛県出身。1980年の「東京・新宿西口バス放火事件」で全身にやけどを負ったが、奇跡的に生還。「生きてみたい、もう一度」「炎を越えて」など事件に関する著作を発表した方である。
 読書好きの友人の一人が三・四年前の夏、一冊の本を読みなさいと推奨してきた。それが杉原美津子の『新宿放火事件 生きて見たい、もう一度』(文芸春秋刊)である。1980年に新宿駅西口で起きたバス放火事件は、うろ覚えには知ってはいたが、本を読んでショックを受けた。筆者は、そのバスに偶然乗り合わせ、バスに投げ込まれたガソリンの火のなかで全身の80%という火傷を負った。36歳のときである。だが奇跡的に回復し再生の人生を送ることになるが、その後も自殺未遂を起こしたり、苦難な人生が始まる。
 何故か、その後の彼女の人生を知りたくなり、図書館で何冊かの本を借りて読んだ。杉原美津子は結婚し夫とともに名古屋に移り、老人ホームの仕事をしながらの生活を始めるが、また東京に帰り夫が呆けてきたために生活保護費の受給者となつた。荒れ狂う夫壮六を80歳で死去するまで数年の介護に献身する。そして夫を送った半年後、2009年の夏、肝臓がんを宣告された。彼女、65歳を迎えたときである。原因は1980年のバス放火事件で負った治療に大量の輸血をしたことによるC型肝炎であり、その果てが肝臓がんの発病である。
◆使いもしないものはすべて捨てる
 余命いくばくもないことを宣告され、彼女は一つの決断をする。一切の延命治療を断り、自ら従容として死に向かって歩むことを覚悟する。これが2010年に発刊された『再び生きて、愛して、考えたこと』(トランスビュー刊)である。この中で彼女はいう。30年前の輸血によって生じた肝臓がんで、二度目の死に向かっている。自分自身はどう生き死ぬべきか。それは残された時間を精いっぱい生きるという、自分への最後の「挑戦」であると・・・。そこから彼女の「捨てる」挑戦がはじまる。 
 「捨てるのが惜しいと使いもしないのに保管してきたものは全部捨てた。電気ポットも炊飯器もジューサーも珈琲ミルも処分した。電気ポットがなくても一人分くらいの飲み物はレンジで足りる。炊飯器はなくてもおにぎりを買えば済む。一人ではジュースも珈琲も欲しくなくなった.ペティナイフも一本あれば料理から食事まで不自由しない。スプーン、フォークも大小一本ずつ。二人分の珈琲カップは取っておくことにした。残ったのは、電磁料理器、冷蔵庫、レンジ、テレビ、トースター、ラジカセ、掃除機、折り畳みのベッド、パソコン、プリンター。居住空間は10畳程度、狭いから掃除に手間がかからない」。
 不治のガン宣告から5年、杉原美津子の訃報を聞いた。年末友人知人の訃報も相次ぐ。自分の年より若い人の死には心が痛む。今年はかなり身辺整理に精を出した。それでもまだ杉原美津子の「使いもしないものをすべて捨てる」覚悟には遠く及ばない。
 断捨離や なほ捨て難き 憾みかな 漫歩
      (写真 水中庭園 北の丸公園秋)クリックして拡大

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高血圧治療、日本の基準間違っている 

高血圧治療、日本の基準間違っている 14・11・7
 友人のhirano氏は貴重な情報を送ってくれる。先日以下のようなメール送ってきた。日本の高血圧治療が如何に間違っているかを指摘したNEWSポストセブンの記事だ。
―大雑把に言いますと、現在の医療費は約40兆円、約20年前の2倍に跳ね上がって
いる。その間、日本人は、血圧、コレステロール、肥満、ガンなどインチキな病気に罹っていると騙され続け、脅され、薬漬け、検査漬けにされ、高い医療費を払わされ続けている。その利益は、かなりの部分が薬を通じてアメリカに吸い取られていることでしょう。
 その中でも最も儲かるのが、血圧。医者で一回測って、そこで少々“高い”数字がでたら、即、薬を飲まされる。本来なら、しかるべき運動を暫くやってみて観察すべきでしょう。しかし、薬を押し売り。善良な人ほど従順ですので、忠実に飲み続け、死ぬまでしゃぶり取られる構図。一体全体、この20年で医療費が2倍になったにもかかわらず、国民がより健康になったのか? 2014.10.30   Hirano―
◆東大医科研特任教授が日本の高血圧治療のデタラメ横行に苦言 2014年10月30日
NEWSポストセブン
 製薬会社・ノバルティスファーマの降圧剤「バルサルタン」の臨床試験に関する疑惑でも明らかになった、製薬会社と医師の癒着構造を、専門家たちはどう捉えているのか。日本の健康基準値の歪みを指摘することでその構造を喝破してきた大櫛陽一・東海大学医学部名誉教授と、医療ガバナンスの旗手として大学医療の中枢から内部告発を続ける上昌広・東京大学医科研特任教授が初対談した。
 大櫛:今年4月、日本人間ドック学会が発表した「健康診断(健診)の新基準」は現行の基準から大きくかけ離れているということで日本高血圧学会などの臨床学会から「国民の健康に危険を及ぼしかねない」と袋だたきにあって潰されてしまいましたが、私は150万人を調査対象とした人間ドック学会の方が正しいと思っています。
 私自身が過去に行なった70万人を対象とした大規模調査の基準値とも合致する。たとえば現行基準では年齢も性別も関係なく「上」(収縮期血圧)は130から高血圧と診断されてしまいますが、人間ドック学会は147でも正常。私たちの調査でも60~64歳の男性は164まで正常値の範囲です。高過ぎると思うかもしれませんが、我々の基準の方が欧米で用いられる最新のガイドラインにも合致しているのです。
◆血圧の基準を下げる高血圧マフィアが世界中で暗躍
 上:私は高過ぎる高血圧についてはやはり薬を使用すべきと考えますが、確かに年齢や性別を無視した10数年前につくられた基準が現代に通用するわけがない。とにかく血圧を下げればいいなんてのはデタラメな治療であって、個々の事情を考慮すべきです。
 大櫛:ただ、この問題よりも恐ろしいのは、誤った基準によって健康な人が飲む必要のない薬を飲まされているということです。日本では国がやるべき診察のガイドラインを製薬企業という利益集団が決めてしまっている。これは欧米では10年以上前に問題視されて改善されたことです。たとえば、降圧剤のセールスのために世界各国で血圧の基準を下げてきた「高血圧マフィア」と呼ばれる集団が有名です。彼らはまず1993年にアメリカでJNC5という政府の委員会に働きかけて血圧の基準を厳しくし、1999年にはWHO(世界保健機関)の基準も厳しくすることに成功します。
 後にこれは良識のある医師たちから批判されて元に戻るのですが、日本高血圧学会はこの「高血圧マフィア」がつくった基準を今も正しいと主張しているわけです。
 上:その件を私は詳しくは知りませんが、日本の高血圧学会に関して言えば、あの人たちにそこまでの大きな力はないと思っています。たとえば、ノバルティスファーマ社の降圧剤ディオバンをめぐる論文不正事件のなかで、高血圧学会が裏で糸を引いているような陰謀論が囁かれましたが、ノ社による降圧剤セールスのための「営業ツール」として利用されたに過ぎません。臨床学会というのはなにかあったら訴えられる現場の医師と違って、安全な場所で提言できる。だからこそ製薬企業に利用されやすいのです。
※SAPIO2014年11月号

徘徊的歩き方裏街道人生

徘徊的歩き方裏街道人生 14年9月29日
 台風が大過なくそれて、二三日秋晴れの空が続く。こういう日はなにをおいても洗濯か外歩きがしたくなる。徘徊の歩き方は、国道とか県道のような自動車の排気ガスの充満している道路を避けて歩く。これは1970年代に公害環境問題に首を突っ込んだ頃から一貫している。それはある研究者から忠告されたからだ。当時、東京都の美濃部都政で公害問題の担当局として公害局が発足したばかりだった。そこにいた大平という大気部長に教わった。
 彼は言った。「徘徊さん、道路を歩く時注意することは、まず自動車の排気ガスからできるだけ遠い場所を選ぶ、ということは自動車の側でなく一番遠い建物沿いに歩くことです。また、車の大気汚染よりもっと怖いのはタバコの煙です。これを吸ったり、吸っている人のそばにいるだけで危険です」。そういわれて納得した。それまでふかしタバコ程度だったが、それを止めた。道路を歩く時は、車から出来るだけ遠い位置を歩くようにした。そしてついには、車の走らない裏道を歩くことを発見した。
 たとえば、今住んでいる九段界隈では、九段下から神保町、小川町、神田、日本橋、東京位は、急がない限り徒歩で歩く。それぞれ国道の左右に、車のほとんど通らない裏道がある。神田界隈の裏道通りに、古い昔からの布団屋とかてんぷら屋とか和菓子屋がある。そういう小さな店を発見する楽しみもある。また裏通りにもそれぞれ特徴のる古本屋が点在していて、探していた本を発見する喜びもある。
 10年くらい前に、不眠症で枕に凝ったことがあるが、何万円もする枕よりも、神田で見つけた布団屋にあった、昔ながらのそば殻の枕を千円くらいで買って使っている。これが、結局一番自分に合うということを発見した。排気ガスを吸わないで悠々と歩きながら、作り立ての天ぷらを100円とか150円で買ってくる。このまえ裏通りを案内した友人二人は、その天ぷらをその場でたべて「美味しい」と叫んだ。
 この裏街道歩きの効用は、四国歩き遍路のときに痛感した。2001年からの四国88カ所の1200キロの遍路道を4年で4周した。最初の年は、まったく初体験だから地図の通りに歩いた。歩き専用の遍路道は精々一割から2割しかない。多くは国道県道などの排気ガス一杯の道を歩く。一番参ったのは、国道の長いトンネルを抜ける時だ。30分以上排気ガスの充満しているトンネルを歩いて抜けると、排気ガスで数日間は喉が痛む。これが最大の難行苦行だった。   
 二年目からは国道を抜けないで山越えの遍路道があることを発見した。確かに山越えはきついが、排気ガスの心配はない。緑の山の中を歩いて峠を越える楽しさ苦しさを存分に味わうことができた。9月に年一回の健康診断をクリニックでやってもらった。昨年末から二三カ月、風邪がこじれて難渋したが、肺のレントゲン検査で異常はなかった。裏街道歩きの効用かなと思ったりしている。三十代の終りに、東京都の大気部長に教わった裏街道歩きを意識的に始めてから47年になることに気付いた。
  秋日傘つかず離れず老いふたり 漫歩
      (写真 ツリガネニンジン「アラ古希日記」より)


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ようこそ!「老人はゆく」へ
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徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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