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石垣島の宮崎省吾さんから 暖房費3万円の上田から逃避 20・2・14

◆公害予防闘争の勝利した臼杵以来の半世紀
 宮崎省吾さんは1970年の公害研発足の頃、朝日ジャーナルに載った「公共の住民襲撃に抗して」という論考に感激した。旧来の反独占とか反自民で公害問題を捉える論調にうんざりしていた私は、宮崎さんの「住民運動は革命を目指さない」という論旨が気に入った。たまたま臼杵の大阪セメント反対の公害予防闘争に取り組み始めたころだった。そして臼杵の老舗の酒屋で、生粋の自民党支持者だった小手川道郎さんも東京に呼んで、宮崎さんを講師に勉強会を開いた。以降宮崎さんにもしばしば臼杵に出かけてもらった。
 わたしが公害予防闘争と名づけた最初の住民運動は勝利した。あれからもう半世紀を経た。公害問題の師は横浜公害局長だった助川信彦さん、運動論の師は宮崎省吾さんだ。長野に居るはずの宮崎さんからメールが来て驚いた。私の寒中見舞いが長野県上田市から沖縄宮古島に転送されたのだ。その返礼のメールを以下に紹介する。飛行機で宮古島に飛ぶなんて元気な老人と思ったが事情がわかった。

◆頚椎症性神経根症で右手不自由で文字書けず代筆を頼む状態
 ご無沙汰で申し訳ありません。貴兄のブログにあった田上さんや正木さんのように、私も自筆で書きたいのですが、頚椎症性神経根症とかで右手が不自由で、字が思うように書けません。全部パソコン頼りで、書類に住所氏名を判読可能に書くのも困難で、代筆を頼む始末です。体力も十分とは言えず、これまた貴兄のブログにありました、鎌田實医師の言うフレイル(虚弱)な状態にあ
ります。
 石垣ももう来ることはないと思っていましたが、昨年5月に予定していた水俣行きをコロナで一月に延期したので、往復の運賃がほとんど掛からないのと上田の寒さからの逃避と、何せ冬の暖房費が3万円/月を超えますので、自棄気味ですがやってきました。
 貴兄のブログは全部読んでいます。間隔が開き、回数が減っているのが心配でしたが、このところの復活で安心しています。必ず読んでいる読者がいることを意識して、頑張ってください。三月半ばには上田に帰ります。首都圏に行く機会はあまりないと思いますが、その時はお知らせします。岡村さんを含め、お目にかかりたいと思っています。ではまた。有難うございました。宮崎省吾
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ALS闘病10年須田春海さん逝く77歳

ALS闘病10年須田春海さん逝く77歳 19・9・3
 禁煙運動の渡辺文学さんから以下のメールが来た。-8月31日の朝日新聞・夕刊「惜別」で、須田春海さんの訃報が掲載されていました。「ALSで、闘病生活を送っている」ことは知っていましたが、他界されていたことを、初めて知りました。小生、「市民運動全国センター」の立ち上げの際には、美濃部亮吉氏の参議院立候補の前の段階からいろいろと関わっており、高知で行われた
「全国自然保護連合」の総会の際には、「市民運動からの要請」、という形で、各地から集まった自然保護運動・反公害運動の中心メンバーに「美濃部氏支持」を訴えて、その都度須田氏と連絡を取り合って、立候補決定の根まわしを行ったことなど、懐かしく思い出しています。春海(しゅんかい)さんのご冥福を祈ります。 渡辺文学―
 私も須田さんとは少なからぬ因縁があったが詳細は別として、かつて彼が病に倒れたとき徘徊のブログで書いた記事を思い出した。以下に再録する。彼が病に倒れた直後の励ます会における須田さんの最後のあいさつである。
2010年12月14日 老人は行くぶログより 11時から第二議員会館で「須田春海採録」出版記念会があった。昨年春、発病以来の初めて会った。会場を車椅子でまわってきて握手をした。徳田虎雄氏とはちがって、須田氏はまだ手指が自由になるようでちゃんと握手ができた。「徳田さんはまったく手指が使えないが、あなたは大丈夫なんだ」といったら微笑んでいた。しかし病気のせいか表情はあまり変化しない。無表情に近い。いろいろな人が挨拶したが、文書で「須田春海挨拶」が配られた。
 「私は67歳まで家庭人ではありませんでした。家で食事をするのは日曜日だけでした。子供は小さい時は妻任せ。大きくなってそれぞれ独立した人格となり、家庭は夜に帰るプラットホームのようなものでした。しかしALSになってからは在宅生活。家族がいなければ1日も生きられません。まさに家族愛の中での協冶です。その家族の果たしている役割は、その多くを本来は社会が担わなければなりません。家族は疲れ、悲劇を生みます。一般に社会的自治というと善意に任せです。是非これからは、この自治と協冶を含んだ社会的自治の仕組みをつくりたものです。分かっている人は「須田は今さらなにを!」と言うでしょうが、毎日悩んでいます。今、私は家族以外の多くの支援を受けています。恵まれていると言えますが、それでも限界があります。介護する人の条件があまりにも恵まれないからです。ALSになり、呼吸を機械に頼り、水一滴も喉を通らず、毎日痰を取ってもらい、水分と栄養分を人に頼ってイロウから入れてもらっています。こうした生活で『生きる』とはどういうことでしょうか。でも、死を望むのではなく、生命のある限り、社会の一員として生きたいと思います.ALSの患者も、難病・傷害の人も、社会の一員です。どうか、これからもご支援をよろしくお願いします」。
   難病の友逝く夜のなほ暑し 漫歩


「ケムラン」伊藤ゆりさんへの手紙

「ケムラン」伊藤ゆりさんへの手紙 19・6・4
 渡辺文學さんのブログ、大自在荘通信に、「「ケムラン」というサイトを立ち上げて活動」中の伊藤ゆかりさんの事が紹介された。文学さんが、嫌煙権運動を始めた年に生まれたという。以下にその要旨を紹介する。
ー5月30日、文京区民センターで、伊藤ゆりさんが提唱する「ケムラン」の集いがありました。 タバコの煙が苦手の伊藤ゆりさんが、「完全禁煙」の飲食店に行って、その情報を仲間と共有し、「ケムラン」というサイトを立ち上げて活動を展開しています。これも立派な禁煙推進の
取り組みですね。この夜は、文京区長も参加して、大いに盛り上がりました。
 イベントの後、伊藤さんに「私の禁煙記念日は1977年5月6日で、42年前でした」とメールを送ったところ、なんと、その1週間後に生まれたとのこと。これを読んで、またすぐに伊藤さんに手紙を送りました。これも「ケムラン」のキャンペーンの一つですので、ご了承ください。
 伊藤ゆり様  42歳とは!! メール嬉しく拝見しました。 「ケムラン」➡ネーミングが素晴らしい!! 日本の反タバコの運動も1978年の「嫌煙権」というネーミングから現在の「禁煙運動」につながっていったと思います。 「言葉」は実に重要で、例えば「愛煙家」などは、専売公社時代に、「愛妻家」「愛犬家」というプラスイメージの言葉に「煙」を当てはめ「愛煙家」を盛んにPRしたのがルーツです。
 また、「喫煙」について「嗜好品」という言葉・考え方が大手を振って通用していますがこれも日本特有の現象で、タバコを趣味・嗜好の範疇に置いておきたいのがタバコ会社でしょう。 私は、「愛煙家」は哀しい煙の囚われ人=「哀煙家」、そして「嗜好品」は「死向品」を提唱しかなりの方々から賛同を得ています。
 とにかく「ケムラン」社会をめざして、伊藤さんとケムラン特派員の活躍を心から期待しております。
 小生も「特派員」の末席に座らせて下さい。 渡辺文学

通巻300号を迎える『禁煙ジャーナル』

通巻300号を迎えた『禁煙ジャーナル』 18・34・24
 徘徊老人が、かつて発刊していた『月刊環境破壊』は公害環境問題、主として住民運動の立場からとらえて、1970年から1987年まで17年間発刊して幕を閉じた。その当時、公害問題研究会の事務局長をしていた渡辺文學さんとは、刎頸の友として48年間の付き合いだ。彼はその後、禁煙運動にのめりこみ、たばこ天国の日本を禁煙に変えた大功労者だ。かつては酒、煙草を愛好し、車の運転をしていたが、運転免許を返上し禁煙運動一筋に生きて来た。彼の発刊する「禁煙ジャーナル」が通関300号を迎えて、先週その記念の集いがあった。以下は禁煙ジャーナル40年にあたって、彼のブログに掲載された禁煙ジャーナル通関300号の記事の要旨である。
 - 『禁煙ジャーナル』が通巻300号を迎えた。1989年4月「タバコと健康全国協議会」の機関紙として『タバコと健康』の発行に踏み切りました。財政的な裏付けも全くなく、思い切った決断だったと思います。そのころの全国協議会の会長は、九州禁煙協会の川野正七氏で、平山雄博士や伊佐山芳郎弁護士、穂積忠夫弁護士、愛知県肺癌対策協会の通木俊一氏らと相談の上、創刊号の発行にこぎつけました。2年後、1991年1月から、現在の『禁煙ジャーナル』に改題して発行を続け、次号、5月1日発行号で通巻300号を迎えます。本紙発行当初の社会情勢と比べると、現在は劇的な変化を見せています。航空機、列車、バス、タクシー、病院、学校、野球場、競技場、劇場、公共施設などの禁煙が当たり前となり、国、自治体、企業のタバコ規制もかなり進んできました。しかし、大幅に遅れているのが飲食店です。「健康増進法」の改正案では、当初厳しい規制方針が盛り込まれていましたが、自民党タバコ族議員の圧力で、大幅に後退した内容となってしまい、メディアからも厳しい批判がなされています。
 ■JTの広告・スポンサーシップは問題
 タバコの煙に悩まされる機会は大幅に減ってきました。しかし、問題は山積しています。まず何といってもJTの「広告」と「スポンサーシップ」を禁止させなければなりません。JTは今「分煙」を強調していますが、どんな内容であれ「タバコの広告は全面禁止」が世界の常識です。
 国会の取り組みも遅れています。テレビ・新聞でもよく報道されますが、テーブルの上の灰皿やスタンド灰皿など、一向になくなっておりません。「国会敷地内全面禁煙」をめざしてほしいものです。
 ■加熱式タバコとの新たな闘い
 「紙巻タバコ」のような煙や臭いの少ないことを謳った「加熱式タバコ」が急増中です。しかし多くの専門家は「ニコチンや発がん性物質を含むことに変わりはない」と指摘しており、健康に及ぼす悪影響について警鐘を鳴らしています。「タバコはタバコ」です。紙巻タバコと同じように、厳しい規制対策を進めていくべきです。
 ■財務省の関与をなくせ
1985年から施行されている法律が「たばこ事業法」で、「わが国たばこ産業の健全な発展を図る」と書かれています。このような法律を持っている国はありません。また、JT株の33.35%は麻生財務大臣の名義となっています。タバコ問題の国際会議では、タバコ会社を「死の商人」と位置づけてきましたが、「死の商人」と呼ばれる会社の株を30%以上も保有しており、監督官庁が財務省ということも大きな問題です。故平山雄博士は「厚生省に大政奉還せよ」と常々語っていました。私は、300号の発行にあたり、平山先生の遺言を胸に、タバコ問題の抜本的な解決、さらにはタバコのない社会をめざして全力を注いでいく決意を新たにしております。 18・34・24ー


 

映画「おだやかな革命」の話、

映画「おだやかな革命」の話、通産省前テントひろば 18・2・17
 通産省前テントひろば1807日後、テント日誌2月15日号に映画「おだやかな革命」の話が載っていた。以下要旨を紹介する。
―経産省の近くに来ると鳩が次々と飛んできた。顔に激突する直前でターンして減速し地上に降りる。何羽もやって来て視界は鳩でいっぱい。今日も座り込みのオープニングは鳩吹雪とプラタナスの木に満開の雀たち。東中野ポレポレで「おだやかな革命」を観てきたIさんが映画を紹介してくれた。それは小さな地域社会が目指すそれぞれの「エネルギー自治」のドキュメンタリー。畜産農家が立ち上げた飯舘電力、石徹白(いとしろ)の100世帯全戸が出資した小水力発電、首都圏の消費者・地方の農家・食品加工業者が連携して進めている秋田県にかほ市の市民風車。森林資源を生かしたビジネスを立ち上げる岡山県西栗倉村等々。 
自然エネルギーを中心に話が弾んだ。皆の質問に勉強家のUさんが話題の上昇気流になってくれた。「止める・阻止する」話も大切だけれど「始める・進める」話はとても楽しかった。アベ船籍のガレー船に乗らず自ら作った小舟のオールを漕ぐ。ワクワクするな。アベが言うカクメイ?とは大違いだねー
◆畏友加瀬勉の映画と著書発刊「加瀬勉戦いに生きる」の知らせ
 私も時々中野ポレポレで映画を観る。昨年はいまなお続く三里塚闘争の第三期工事反対を含めた闘争参加者の話を撮った「三里塚のイカロス」を観た。このなかに砂川闘争以来の友人である加瀬勉も出ている。82歳の彼はいまなお空港騒音下の千葉県多古町で2町五反の田圃を耕す現役農民だ。彼から昨年末自著『加瀬勉戦いに生きる』発刊の知らせがあった。
 ー仲井大兄 気力十分「こんな世の中を残して死んでたまるか」お互いに健在でなにより。俺のことを映画に撮るなら底辺で生きている人を社会の表舞台に立たせて発言の機会をあたえろ。年明けて新年には「加瀬勉戦いに生きる」800頁、4500円の本が出版される。こんな高価な本を日本の大衆は読まない。俺のことなどどうでもよい。大衆のなかへ、大衆のなかへ。大衆路線を堅持して自民党独裁を倒さなくてはならない。社会党が消えて、共産党が三里塚から逃げて、新左翼は霧散無消・立憲、民進党は無能力市民権無し。55年間、命を懸けて闘ってきてこのありさま。虚しさを克服して奮いたつ毎日である。「一日一生」わが命尽きるまで、前へ。

ようこそ!「老人はゆく」へ
「老人はゆく」へようこそ

徘徊老人

Author:徘徊老人
88歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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