渡辺文学氏禁煙40年の挨拶とポイ捨て拾い

渡辺文学氏禁煙40年の挨拶とポイ捨て拾い 17・6・17
 畏友渡辺文学こと文さんから昨日「7月23日に傘寿を迎えます」とのメールが届いた。それで彼の禁煙歴は40年になると知った。ということは文さんは40歳までは煙草を吸い酒を飲み運転もしていたわけである。何しろ若かった。横浜で公害研の会議を終えて東京に帰る時、彼の車に乗せてもらった。煙草を吸いながら、アルコールが入って夜の京浜国道を走るわけだからスピード違反すれすれで、乗っていてハラハラしていた。それが突然、煙草をやめ、車の免許までも返上した。以降は禁煙運動の旗手として日本のたばこ問題の第一人者として今日まで活動を続けている。以下は彼のメールである。

―あと10日。7月23日に、80歳=傘寿を迎えます。1985年に平山雄先生と「たばこ問題情報センター」を創設。1989年に『禁煙ジャーナル』の発行に踏み切り、その後、紆余曲折を経ながら、28年間にわたって発行を継続してこられましたことは、多くの皆様方の温かいサポートの賜物と、心から御礼申しあげる次第です。1977年5月6日、約20年間のニコチン嬢との腐れ縁(煙)にピリオドを打った年から、今年2017年は、ちょうど40年目という節目の年でもあります。また、コピーライターの中田みどりさんが「嫌煙権」という造語を提唱した年も1977年であり、いろいろと不思議な現象が、私の「断煙」を機に起こった年でもありました。
 時あたかも「受動喫煙防止法」(「健康増進法改正案」)が大きな話題となって、政治の場でも真剣に取り上げられることとなり、都議選で岡本光樹弁護士が、貴重な議席を得ることが出来ましたことは、まさに「天の時・地の利・人の輪」が、タバコ問題の解決に向けて大きなステップ踏み出した歴史的な年でもあります。2020年まで、あと3年。抜本的なタバコ規制対策をめざして、皆様のバックアップをいただきながら、JT、財務省、自民党たばこ賊(族)議員、御用学者・ジャーナリストなどと徹底的にたたかう決意を新たにしております。「誕生日」を目前に、一言御礼と決意の言葉を述べさせていただきました。―
 同日もう一本のメールが届いた。彼がこの春から続けている、地元世田谷区内でのたばこのポイ捨て拾いの報告である。
 ー渡辺文学 禁煙・嫌煙権運動関係者各位  6月23日~7月1日まで、会津に行っていてブランクがありましたが、今朝の「365本」には驚きでした。世田谷区に5月上旬から「対策」を要請してきましたが、全く何の動きもありませんでした。(これが、今までの最高本数です。)ようやく12日に環境政策課の石塚氏から電話があり、南烏山地区の団体と相談したとのことでした。また、区として、道路上に「ポイ捨て禁止」の表示を業者に委託する旨も言っておりました。保坂区長、あまり「タバコ問題」には関心が薄いようなのが残念です。ー
      (写真 文学さんが拾ったタバコ最高記録)

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大石武一元環境庁長官と市民運動

大石武一元環境庁長官と市民運動 16・10・18
 大石武一元環境庁長官が2003年10月19日に94歳で亡くなられてまる13年を経た。1970年の環境庁発足以来、大石環境庁長官の活躍ぶりは、当時仔細にマスコミなどに報道され知らぬものはない。だが政界引退後、住民運動の求めに応じて東奔西走されたことを知る人は少ない。83年に73歳にして政界を引退された後も終生自然保護活動を中心とする住民運動の第一線に立ち続けられた。自民党出身の環境庁長官や農水大臣を歴任した方が、引退後も各地の住民運動に最後までかかわって下さった。まことに稀有のことである。
◆大規模林道反対運動の代表に
 私は1994年の6月、エネルギージャーナルの清水文雄編集長と福島県会津若松市で開かれた大規模林道反対集会に出席する機会があった。環境公害問題は都会と海岸の汚染だと思い込んでいたが、日本全土の山のなかにも大規模林道という環境破壊の事業を森林開発公団という農林省の外郭組織が行なっていることをはじめて知った。そこで知り合った山形県白鷹町の「葉山の自然を守る会」や会津若松市の「博士山のブナ林を守る会」などのメンバーとの話し合い、東京で全国集会を開く責任を負うことになった。当時岩波書店にいた加藤彰紀さんなどと事務局を構成した。さて代表には誰がいいかなどと議論となり私が「大石武一さん」という名前を上げるとみんな賛成した。先生すでに80代半ばの頃だ。勇を鼓して神田神保町近くにあった馬事畜産会館を訪ねた。話を聞くなり先生は即座に「それはいいことだ。引き受けるよ」と言われた。
 後々分かったことだが、元農林大臣の経験者として、農林行政に文句を付けることになる森林開発公団の大規模林道計画に反対することなど通常はあり得ない。しかし先生は「戦後の拡大造林政策」でブナやナラなどの自然林を壊して杉やヒノキで埋め尽くした農林行政の失敗を反省されていた。これを改めるいい機会だと思っていらっしゃった。お蔭で1995年の「大規模林道東京集会」は成功をおさめた。先生は以後94歳でお亡くなりになるまで、健康と時間の許す限り大規模林道の全国集会や内外の自然保護運動に貢献された。
 ある時、清水文雄編集長と「一度大石先生の労をねぎらおう」と相談して長野県穂高町のビューホテルで温泉に入り上高地を歩いた。先生は草花や森林などが大好きだから大いに喜んでくださった。さらに大石先生はなかなかの健啖家だった。穂高のホテルで夕食の相談をした。ご老体だからと気をきかせて「先生、和食と洋食がありますが和食にしましょう」と言ったところ「いや肉のほうがいい」と言下に洋食を希望された。しかもわれわれよりも早いスピードで肉を平らげる。「やはり長生きする人は肉も食べるし、食欲旺盛だ」と感心した。
 先生は戦前から銀座八丁目にあった千疋屋のハヤシライスを好まれた。こちらもそれを承知で「先生、今日は千疋屋で昼食をしながら相談したいのですが」というと、機嫌よく出かけて来られた。晩年まで闘志旺盛で「君たち、やる以上は全国的なスケールの運動にしたまえ」と叱咤激励された。いい加減な気持ちではだめだという意味が込められていた。どちらかというと易きに付きやすい私への叱声と受け止めた。大石先生没後13年の秋、恩寵まことにありがたく忘れ難い。合掌
  

石原元都知事を告訴した若林ひとみ区議 16・10・6

石原元都知事へ返還訴訟を起こした若林ひとみ区議 16・10・6
 憲法改正、愛国心、道義などと長年にわたってお説教してきた石原慎太郎元東京都知事の税金泥棒ともいうべき醜い実像が白日の下にさらされている。石原都政の膨大な無駄遣いを最初に告発したのは、元文京区議の若林ひとみさん(故人)だった。きっかけは04年1月のサンデー毎日の記事「公文書が示す知事の勤務実態」だった。(『サンデー毎日』04年1月25日号)同誌が東京都の情報公開制度で入手した資料に基づき、石原知事の海外出張が必要以上に豪華ではないか、などと報道した。これを読んだ文京区議の若林ひとみさんらが「これはひどすぎる」と住民監査請求を行い、却下されたことで、都条例で定めた手続きを経ずに海外出張の旅費を増額したのは違法として都を相手に返還訴訟を起こした。
 06年6月16日、東京地裁の杉原則彦裁判長は米国出張分について原告らの主張を認め、知事に約54万円、政務担当特別秘書に約43万円の支払いを請求するように都に命じた。杉原裁判長は「『知事等給料条例』に定められた宿泊料を超える額を支給する場合は、旅費条例の規定により人事委員会との協議が必要」と指摘。「石原知事らは米国出張の宿泊料について、人事委との協議を経ておらず、定められた宿泊料を超える額の支給は違法」と判決文で述べている。知事側は「出張後に人事委と旅費の増額について協議し、異議はないとの回答を得た」と主張。これに対し、同裁判長は「事前に旅費の増額支給について人事委に意見を聞くのは、お手盛りを未然に防止するため。旅費支給後では実のある協議を行うことは困難だ」と知事側の主張を退けた。判決では、石原知事らは2001年9月、講演の依頼を受けて米国に出張。条例規定の宿泊料は知事約20万円、秘書約12万円だが、実際には約78万円と約58万円がそれぞれ支給されていた。01年6月のガラパゴス諸島(エクアドル)の知事出張についても、同様に返還を請求したが、提訴の前提となる住民監査請求が遅かった、として訴えを退けた。
●妻子を伴う公私混同の大名旅行
 違法判決を受けた、01年9月のワシントン、ボストンの講演旅行には、妻の典子夫人も同伴し、一泊26万8000円を支出した。9月8日から14日までの数日間の総費用は約1132万円である。ガラパゴス諸島の視察旅行はさらに豪華だ。01年6月11日から6月21の出張費総額は7人で約1342万円。6月14日から4泊5日の豪華クルーズが問題になっている。ここまでは若林ひとみ元文京区議らの告発によって明らかになったものである。若林さんは、この判決を見ることなく05年暮れに乳がんで他界している。
 裁判は仲間が引き継ぎ、認められなかった部分を控訴して争っている。95年から無所属区議だった若林さんは、観光旅行まがいの議員視察や、税金から支給される「政務調査費」が私的飲食に使われていることなどをいち早く指摘し、全国の地方議員に呼びかけて「開かれた議会をめざす会」を結成した。行政を監視すべき議員が自ら公金を無駄遣いするのはおかしいという考えだった。若林さんは共産党や“市民派議員”をも言行不一致と一貫して批判し続けた。
 06年12月の都議会で共産党議員などの質問でさらなる石原知事の公私混同ぶりが明らかになった。04年、スイスで2004年に開催された世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)への知事出張費用の三千数百万円のうちその半分近い約1700万円の公費がパーティ「東京ナイト」に使われた。そのなかに知事の4男・延啓氏の旅費も含まれていた。また石原知事の三男・宏高衆院議員が、政商と悪名高い水谷建設元会長の水谷功(巨額脱税事件で公判中)から料亭「吉兆」で昨年9月、当選祝いの席上、500万円の紙袋を受領した疑惑が浮上するなど、身内ぐるみの醜悪な実態が暴露されていた。
 石原都知事がやってきたことは、都政の私物化であり、税金泥棒だ。「愛国心」や「道義」とは無縁の浅ましさである。加えて自らの政策に反対するものは、存在さえ許さないという思い上がりがある。それを象徴したのが、瑞穂町議会の五輪招致決議案否決に対する発言だ。06年6月23日の記者会見で「頭がどうかしているんじゃないの」と毒づき不快感を示した。2013年多摩・島しょ地域で開催予定の国体に触れ、「五輪が仮に決まって、その前に三多摩で国体があるぞ。その時になって吼え面かかないようにした方がいい」と言った。(『毎日新聞』2006年6月24日)人口わずか数万人の瑞穂町への脅迫まがいの言葉ではないか。
 2020年東京五輪は最終的には三兆円以上の費用がかかるといわれる。後世にのこる愚行の端緒を開いたのは石原都知事だ。そして今回の豊洲市場移転も五輪がらみの利権構造が明らかになった。もはや知らぬ存ぜぬでは通せなくなった。福島原発事故を契機として、いま最も緊急なのは都民の生命と安全のための取り組みである。いうまでもなく発生間近かい首都直下大地震に対する施策である。そのために都民の避難場所となる空き地や公園の整備に最大限の予算をつぎ込まなければならない。東京都政がやっていることは公・私を問わずあらゆる空き地や公園の緑を潰して、コンクリートの建物にすることである。第二のバブルといわれ、都税収入が増えたと喜んでいるが、震災時にはこの集中集積が逃げ場のない生き地獄となる。安倍晋三首相らは福島原発はアンダーコントロールと言ったがその嘘も白日の下にさらされている。




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老漁師吉田治隆のチリメンジャコ乱獲防止

老漁師吉田治隆のチリメンジャコ乱獲防止の訴え 16・5・30
 長年の友人である弁護士の戸田満弘さんと先夜久しぶりに赤坂で再会した。同氏とは1970年代に日本で初の「石油集団訴訟」を起こした際の弁護団事務局長としてお世話になった。当時28歳の青年弁護士も「今年で古希です」と聞かされお互い年を取ったことを確認した。そこで大分県津久見市の老漁民吉田治隆氏の「チリメンジャコ乱獲論」なる興味深い話を聞いた。戸田滿弘弁護士は、現在、海事専門の国際弁護士。現在もイギリス、アメリカ、ロシア、パナマ、ブラジル、ペルー、シンガポール、インド、ミクロネシア等で多くの海事裁判を抱える国際的な弁護士事務所として知られている。
 吉田治隆氏と戸田弁護士との接点は、吉田治隆氏所有に係る遠洋マグロ船が外国船と衝突した案件や、マグロ船の機関室に浸水したため、やむなく、漁獲したマグロを海洋投棄した際の環境問題などの海事紛争が発生した際、戸田弁護士が担当したことによるもだ。興味深いので資料を送って頂きたいと話をした。すると下記のようなメールと資料が送信されてきた。―吉田治隆氏は、大分県保戸島の一本釣りの漁師。同氏は、中学を卒業すると直ちに遠洋マグロ船の甲板員となり、天性の漁師としての才能、海や漁業に対する限りない愛情と熱意により、瞬く間に統率力を現し、20歳そこそこで遠洋マグロ船の船頭となる。そして、自分の父親のような漁師からも、「親父、親父」と慕われ、遂には遠洋マグロ船を所有し、自ら運航する船主船頭となり、治隆船と名乗る程の新型のマグロ船を10隻以上建造した。吉田治隆氏は、遠洋マグロ漁業を辞めた後、保戸島で一本釣りの漁師として生計を立てている。同氏は、大分、瀬戸内海の海の状況について、誰よりも良く知っており、漁業資源が危機的状況にあることについて、憂慮している。チリメンジャコ問題は、正にその表れである。―
 その吉田治隆氏は「チリメンジャコ」という手書きの論稿のなかで要旨以下のように訴えている「保土島で20年前、3800名の人口が現在800名余り、小中学生は600名ほどいたが現在は7、8名となりました。なぜ保土島の漁業がだめになったか。①一本づり漁業の不漁②マグロ船の不漁です。それはイワシ、シラスの取り過ぎが最大の原因です。後昭和50年ごろから、チリメンジャコの人気が、良くなり、シラスが、大量に漁獲されるようになり、昭和57年ごろから、市場で、チリメンジャコの、人気がますます、良くなり、さらに、乱獲が始まったのです。これを期に、イワシは見る見る少なっていき、保戸島でもあまりシラスのとびはねるのを見なくなりました。イワシをシラスのうちに、とって、とってとりまくって。親のイワシは、天からふってくるのでしょうか。シラスは天からふってくるのでしょうか。シラスの乱獲を止めなければ保土島の漁業も、ひいては日本の漁業も壊滅です」。
◇吉田冶隆 住所大分県津久見市大字保戸島1521ノ59 昭和15年1月19日生れ、現在76歳。以下に吉田さんの「チリメンジャコ」の全文を掲載します。(続きを読む)をクリック

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入浜権運動の高崎裕士さん死去

入浜権運動の高崎裕士さん死去 15・11月29日
  霜月に入ると先輩、友人の訃報が相次ぐ。いずれも80代以上の方が多い。自分も傘寿を超えているのだから、やむを得ない。70代以下の若い人たちの死は心が痛むが、同年輩以上の方の訃報は悲しみの質が異なる。さびしさと共に、この苦難の時代を共に生きて来たものとして、この世の業苦から解放されてほっとしただろう、などと思ってしまう。寂しくはあるが受け入れることができるのだ。先日は高崎裕士さんの訃報が届いた。私より二つ年上の84歳だった。奥様の喪中挨拶には以下のように記されていた。
―去る11月8日、夫高崎裕士が天の故郷に帰りました。生涯を走り抜き、平安のうちに召されることの出来ましたことは感謝でした。ここに生前に給わりましたご厚情を深謝いたしますとともに、皆様に良い年が訪れますようお祈りいたします。また今後とも変わらぬご交誼のほどお願い申し上げますー
 高崎さんは、クリスチャンであったことを思い出した。聞くところによると間質性肺炎で死去し、葬儀は近親者で営まれた。1960年代、謡曲「高砂」で知られる兵庫県高砂市の臨海部で工場進出が進み、高砂港でポリ塩化ビフェニール(PCB)などによる汚染が問題となる中、住民団体を結成。75年2月21日、東京で 「海を活かしコンビナートを拒否する東京集会」で「入浜権宣言」入浜権宣言を採択した。「古来、海は万民のものであり」で始まる宣言は、海岸の埋め立てなどに反対する住民運動を支える理念にった。
 数年前、入浜権運動35周年の記念集会に、高砂市に出かけて再会した。昔と変わらず明るく、生き生きと今後の展望を語る姿に感動した。このひとは老いてないなと思った。今年2月に高砂市で宣言40年の記念集会を開催すると連絡があった。その烈々たる呼びかけに感動したが、1月にインフルエンザに罹っていたので、遠出は無理と思ってお断りした。
 日々、やがて自らにも訪れるであろう死を思う。昔、死は遠いと思いつつ、恐れおののいていた。いまや男の平均寿命をとっくに過ぎて、いささか生き過ぎたという思いも強い。寝たきりにならないように、1日を歩くこと主体の生活を心がけている。昔、田辺誠元社会党委員長に会った時、こう言われた。「君い、90迄生きるとぽっくり逝く人が多いよ。90まで頑張ろう」と。当時70代初めの私は「そんな後20年近く生きるなんて」と言った。前橋で親譲りの老人福祉施設を経営する田辺さんならではの言葉だった。予言通り、本人は見事に今年7月2日、93歳での大往生だった。
  木枯らしや友の訃報を運びくる 漫歩      

      (写真 1975年入浜権運動東京集会 右高崎氏、左筆者)

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徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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