日光の日帰り禁煙温泉26歳女性

日光の日帰り禁煙温泉26歳女性 16・11・14
 禁煙運動家の渡辺文学さんからメールあり。会津田島からの帰途、日光に禁煙温泉を発見した由。以下はメールの要旨。「先週、南会津町の帰路、東京新聞に紹介された「男鹿の湯」に行ってきました。湯船が一つ、というのが少し物足りませんが、とても良い温泉で、8日の午後3時過ぎでしたが、男湯も女湯も「貸し切り」で、ゆっくり入ってきました。新聞に写真が載っている水品沙紀さん、とても感じの良い女性で、また、ロビーと休憩室も「全面禁煙」で、話が弾みました。お送りした「写真」は、帰りがけに「禁煙のお店を応援しています」というメッセージカードを、何枚か渡したところ、さっそく胸の前に掲げてくれました。すぐ反応してくれたので、とても嬉しかったですねぇ」。一度行ってみたい温泉である。
 以下は添付されていた東京新聞の要旨である。
ー経営不振で一時体業に陥った栃本県日光市の日帰り温泉施設がりリニューアルされ、 一人の女 性が経営に奮闘している。千葉県佐倉市出身の水品沙紀さん。国内外で約千力所の温泉を訪れた経験と豊富な知識を買われ、地元自治会から再建を託された。人口わずか約百七十人の山あいの集落に移り住み、地域にも溶け込んだ生活を送る。(中川耕平)
 「いらつしゃいませ。お湯加減はいかがですか」福島県境に近い日光市北部の「中三依温泉 男鹿の湯」。エプロン姿の明るい声が、湯気が漂う浴場に響く。水品沙紀さん( 26)。「いいお揚だよ」。男性客が気持ち良さそうな表情で応じた。「湯に全身を預て元気をもらえる」と、水品さんは温泉の魅力を語る。原点は、十歳のころに家族で行った長野県の野沢温泉。地元の人たちが共同浴場でくつろぐ姿が印象に残った「大学生になると本格的に温泉巡りを始め、国内に飽き足らず、シンガポールやバリ島にも足を運んだ。
 男鹿の湯を知ったのは、埼玉県の温泉施設運営会社で働いていた昨年八月。客が減って〇一四年七月から体業していた男鹿の湯の新しい経営者を自治会が募集していると聞いた。「二十六歳までに自分の温泉を持ちたい」と描いていた夢を実現させるため、思い切って手を挙げた。開業までの道のりは困難の連続だった。ボイラー室は昨年九月の関東東北水害で土砂に埋まり、壁紙には所々にかびが生えていた。自己資金だけでは足りず、インターネツトを通じて出資も募った。今年三月に移り住み、開業に必要な許可申請や業者との契約手続きも一人で奔走した。
 1992年開業の男鹿の湯は、当初、地元自治会が運営していた。自治会の前会長、高橋明彦さんは「豊富な温泉の知識があり、水品さんなら大丈夫」と期待を込めて一任している。従業員は、水品さんを含めて三人。接客や清掃、ホームページの更新と目まぐるしく一日を過ごし、気づけば日付が変わっていることもある。里山で採れた山菜や手打ちそばを差し入れてくれる住民もいる。」一つ一つの出来事を大切にし、地元の人と一緒になって中三依に人を呼び込んでいきたい。若き経営者はそう意気込む。温泉は水曜日は休み。問い合わせは、男鹿の湯―電話0288(79)0262へ。ー

      (写真 禁煙温泉の水品さんと文学さん)

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ユニヴェさんと会津からのコメント 

ユニヴェさんと会津からのコメント 15・5月16日
 ブログ「老人をゆく」2010年開設以来、アクセス数は3万数千件。少数だがときにコメントを頂く。多くはメールをやっている中高年の方からコメントだ。ときには未知の方から寄せられることがある。先日はユニヴェさんなる方から、以下のようなコメントを頂いた。
 ―タイトル:初コメ失礼します♪最近…踏んだり蹴ったりの日々を過ごしてる私です…(汗) ボキャブラリーなくて申し訳ないんですけど 徘徊老人さんのブログ良いですよね。 読ませてもらって肩の力が少し抜けた気がします(*´∀`) だからもっとお話させてもらえたらなって(=^_^=) そしたら心の奥で凝り固まったものが解れる気がして! 徘徊老人さんに私の悩みを少しでも聞いてもらえたらすごくありがたいです。ちょっとした感想でも大丈夫ですから♪ このままコメントで相談というのもあれなので直接お話しさせて欲しいです。嫌だったり迷惑ならこのコメントは消してしまってください。―
早速、同じ日のコメント欄に投稿して、徘徊のメール番号をお知らせしたが連絡が来ない。今日も同様のコメントが寄せられたので、コメント欄に連絡先を書いておいた。
 会津の友人から、先号の『明治維新という過ち』に関して、メールでのコメントをもらった。―『明治維新という過ち』、以前私が読んだ本は同じ本ですが、会津版です。出版社も歴史春秋社という歴史出版社です。本当に刺激的な本でした。都会でも評判になっているのですね。いまNHKの大河ドラマで松陰をやっているようですが、視聴率が悪いようですね。会津人は長州のドラマは見ません。昔から松陰という人は何をした人かと思っていました。「松陰一派はただの暴走族」に胸がすっとしました。-
◆伊賀上野から伊勢松坂への鈍行列車小旅行
 14日から15日まで一泊二日の伊賀と伊勢への旅をした。伊勢松坂で昔の仲間との会合があり、そのついでに友人二人を伊賀上野の案内したわけだ。お二人は前日の13日に松坂まで行き、私は13日の早朝、新幹線で名古屋経由で伊賀上野に向かった。名古屋で乗り換えると、JR関西線で亀山まで行く。そこから乗り換えてJR伊賀鉄道で伊賀上野まで行き、2人の友人と合流した。亀山からは全くの鈍行単線で一両のみ。私の好きなのは鈍行の最前列に立って、前に移り変わる緑あふれる景色を楽しむことだ。「夏草や兵どもが夢の跡」などと芭蕉の句を思い出す。
 伊賀市駅で友人と合流。地元の知り合いのご厚意で、車で荒木又右エ門の墓碑と、郊外にある「木の館豊壽庵」を案内して頂いた。これは後日紹介したいが、ある材木会社の社長が生涯を賭けて築き上げた建物。園内には巨大な杉ヒノキなどの木材を陳列し、かつ後ろの山を公園として開放している。午後は市内の芭蕉ゆかりの「蓑虫庵」と藤堂高虎が築いた名城の石垣を案内した。その夜は伊勢松坂まで、又も鈍行で移動。ローカル色豊かで麦秋の田圃なども楽しんだが、一日大半を列車で移動した感あり。82歳の老人には強行軍だったと反省した。
 麦秋といふ幸ありて伊賀の里 漫歩

      (写真 木の館豊寿庵の全景)

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信濃路紅葉と温泉の旅②

紅葉の信濃路と温泉②田沢温泉有乳湯(うちゆ) 11月22日
 11月19日、この日はS君の車で9時過ぎに松本に向け出発した。松本市内の93歳のペンフレンドのÝ子姐さんに電話して、12時半過ぎに松本市のがらくた座でÝ子さんに会った。それから松本を出て、ビーナスラインに入り、標高2000メートルの美ケ原高原を目指した。あちこちに雪が残り、11月25日からは危険なため、道路を閉鎖すると公示してあった。
 標高2千メートルの美ケ原高原から、眼下に上田市内を中心に塩田平がひろがり、遥か彼方には浅間山が雪を被って煙を上げている。まさに絶景かな。一気に松本市内に降り、市街地を越えてまた山を上がって行く。着いたところが標高700㍍にある青木村・田沢温泉富士やホテルだった。この田沢温泉は日本秘湯の会のメンバーであり温泉愛好者にひろく知られているそうだ。
 当日は夕方4時半頃、田沢温泉の宿「富士屋ホテル」に到着した。徘徊にとっては珍しい車での大長征だ。いささか疲れてホテルのかけ流し温泉に入った。ここも昨日の七味温泉よりさらにお湯の温度がよろしい。S君は例によって露天風呂に入ったが、徘徊は慎重を期して内湯でゆっくり体を温めた。夕食は和食でけっこう品数が多い。いつもは朝昼兼用の食事と夕方の玄米雑炊で過ごしているのに、昨夜からは三食食べている。やはり車に乗ったり、温泉に入ることで自然に体が求めるのだろう。午後9時くらいには寝て、朝は午前6時過ぎに起床。
 S君から「公衆浴場に行ってみましょう」と誘われた。朝の寒さは厳しい。厚着をして手ぬぐいを持参して出かけた。温泉の階段下には「足湯」がある。その傍らに滔々と太いパイプから温泉が流れ出している。公衆浴場の正式名称は「有乳湯」(うちゆ)。言い伝えによると、田沢温泉は、鬼女がここのお湯で懐妊し、坂田金時(金太郎のモデル)を産んだたという伝説がある。この湯は子宝を授かり、乳の出が良くなる温泉だとして、子持ち湯、有乳湯の呼び名がある。
 風呂場の入口で入湯料200円を払って湯に入った。まず掛け湯が適当な温度で心地よい。温泉に入ると温度が徘徊の好みにぴったり。これは全国の温泉に入って感じることだが、自分に合った適温の温泉は中々見つけがたい。熱すぎるのはダメ。あまり温くても困る。体感で心地よいと感じるのがまず第一だ。有乳湯はまさに自分の感覚にピタリの温度。さらにその湯量、まさに滔々と溢れ出ている。これだけの湯の量はめったに見当たらない。
 早朝から入っている方の話を聞いた。上田市内からもう10年毎日通っているそうだ。「5年前に腰を痛めて難渋したが、ここに通って完全に治った。医師や薬に頼るより、この200円のかけ流し温泉の方が効き目がある」。徘徊は2005年の11月、四国遍路の途中、土佐清水市で石に飛び降りて右腰を痛めた。以後、二回連続して同じ場所を痛めた。今でも腰痛は去らないが、我慢して毎日歩いている。不思議なことに「有乳湯」に入って帰京して以後、腰の痛みが軽くなった。紅葉と秘湯の旅で腰痛に効く温泉を発見した。若い友人夫妻の招待に感謝、感謝である。(田沢温泉 有乳湯(うちゆ)電話 0268-49-0052 長野県小県郡青木村大字田沢111) 営業時間 6:00~21:30 年中無休 交通 東 京から長野新幹線上田下車(約1時間30分)
 木枯しや有乳湯溢るる幸ありて 漫歩
     (写真 田沢温泉有乳湯)

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紅葉の信濃路温泉の旅①

紅葉の信濃路と温泉を旅する①秘湯七味温泉  11月120日
 長野に赴任している若い友人のS君が、紅葉の信濃に遊びにいらっしゃいと招待してくれた。彼とは仕事の関係で知り合って十数年になる。まだ年は40代半ばを過ぎたばかりだが、古寺旧跡めぐりや、由緒ある温泉などが好きで趣味が合う。かつて大阪に居たころは、四国遍路中の徘徊を車に乗せて88カ所以外の旧跡を案内してくれた。また奈良近辺の泥川温泉や、古いお寺なども連れてもらった。
 何しろ、列車に乗って、多くは都市部の駅の周辺の散策とかお寺や歩く道を辿る徘徊にとっては、たまに車で案内してくれるS君は、生涯行けそうにないところに連れて行ってくれる、まことに貴重な存在なのである。今回もまさに紅葉盛りの信濃へのお接待を受けたわけで勇んででかけた。そして18日から二泊三日の、信濃路紅葉の車旅を満喫して今日夕方帰京した。
 18日午後、駅まで車で出迎えてくれたS君夫妻と先ず向かったのは、いまだ行ったこともない秘湯として知られる七味温泉だった。ここへは長野市から須坂市を経て、更に高山村というところにある七味温泉の山王荘に到着した。道路わきにある表示では「標高千三百メートル」と出ている。すでに降雪があったようで道端には雪が残っていた。ひなびた感じの宿で玄関から入ると廊下がポカポカ暖かい。冷え切った空気の中で有難いと思ったが。どうやら電気暖房ではなく、地下から湧き出る温泉水を床下に通して暖房をしているらしい。
 日帰り温泉の入湯料は500円。一日中居ても同じ値段だそうだ。S君は直ちに外にある露天風呂に行ってしまった。徘徊は慎重を期して室内風呂に入った。白濁したお湯が滔々と流れている。先客が一人いたが、さぞかし熱いだろうと覚悟していたが意外にぬるく入りやすい。先客に話しかけると「風呂の熱さはこんなものではないが、今日は先に来た客が、ぬる湯好きで大分水を入れたらしい」と解説してくださった。須坂市の辺りに住んでいて、もう10年間、この日帰り温泉に来ているということだった。
 体が温まったので、露天風呂の方に出てみた。広い敷地に露天風呂の数が三か所あった。、全体として内湯より外気温が低いせいか我慢できぬ熱さではない。これまたゆっくり肩までつかることができた。先ほどの先客の話では、「いつも同じ風呂でなくたまには替えてくれと言ったらそうしてくれた。ここは本来は女性風呂なんだ」と聞いていた。彼によると、男風呂は狭くて。露天風呂も一か所しかないそうだ。偶然の幸運にも恵まれたわけである。いずこも女性の旅行客、団体客が増えているから、風呂場の作りも女性優先になっているということらしい。
 9月末に草津温泉に出かけたが、ここは伝統的に熱い湯として有名なだけに、ゆっくりと温泉を楽しむことはできなかった。久しぶりに広々とした、ぬるめのお湯で、かけ流し温泉の醍醐味を味わうことができた。一時間ばかり滞在して長野に着くころには日は暮れていた。往復二三時間の車旅で、千三百メートルの高度にある秘湯「七味温泉」を楽しむことができた。(山王荘 住所 〒382-0800 長野県上高井郡高山村七味温泉 TEL:026-242-2627  交通アクセス 長野駅→長野電鉄にて須坂駅下車→山田温泉行バス終点。ここから送迎車あり)。
 冬紅葉秘湯はるかに雪の山 漫歩
     (写真 山王荘 七味温泉 楽天ブログ)
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93歳の女性に出会う

松本市で会った93歳の女性 5月22日
 5月17日は、伊賀市を立って各駅停車で亀山を経て名古屋まで引き返した。4月末に風邪を引いて軽い咳が残っていたが、極楽寺に参詣したせいかやっと風邪が抜けた感じになった。そこでかねてから考えていた、名古屋経由で松本市に行くことにした。昨年も同じころに行った、ちいばあさんこと、木島知草さんが毎年やって居る「つぶやき展」に顔をだすことにした。昨年の同じ時期にブログでも紹介したが、ちいばあちゃん、40年以上、指人形「がらくた座」で全国を回り、子どもや親たちに性教育や原発などの話をして回っている女性だ。毎年「つぶやき」という手作りのカレンダーを発行している。友人の紹介で、昨年初めて松本市に「つぶやき展」を見に行ってすっかりファンになった。
 松本駅から歩いて二三キロの井川城という地域にある、「がらくた座」を訪ねた.なししろ、ちいばあの家は15アンペアの電気で生活しているから、テレビも冷蔵庫もない。もちろん空調設備もない。地震が来たら真っ先に崩壊するだろうと思われる古い借家を拠点にして活動している。いつもうすぐらい室内だが、なんだかほっとする雰囲気がここにはある。
 今日は、と声をかけると「やっぱり来たね」と笑顔のちいばあちゃんが現れた。そして「徘徊さんに93歳のおばさんのお茶を点ててあげるから待って」と言った。間もなくお茶が出て、93歳とは思えない女性が現れた。「私の母です」とY子さんを紹介された。なるほど、こんな元気な母親がいるから、60歳の娘のちいばあは、安んじて全国を駆けめぐることができるのだと思った。
 Y子さんと話を交わすと初対面なのにすぐに通じるものがある。なんだか懐かしい感じの人だ。よく考えてみると、敗戦の年の1945年8月に数え年25歳で南方で飢え死にした叔父とほぼ同年齢の方だった。あれから67年余、93歳の母親が健在で、娘、孫の三世代が協力して生きている。うらやましいと思った。世間では、母親が呆けた、父親が入院したとか、老親の介護できりきり舞いをしている方が多い。その中で93歳になっても自立し、自分の事はちゃんとやって留守を守ってくださる。有難い話だ。
 まもなくY子おばさんは病院に行くと言って席を立たれた。見ると徘徊が東京でやっているノルディック・フィットネスの二本杖で、お出かけになるところだった。93歳にして一人で病院に歩いてゆくという身体能力に敬服した。今後、松本に行った時は、二本杖を引いて、一緒に散歩しましょうと約束した。かつて友人が、遍路歩きの徘徊を激励して「脚力尽きるとき山さらに好し」という蘓武の漢詩を教えた。蘓武は中国の11世紀、北宋を代表する詩人として有名。たとえ老いても山に向かって歩めという激励だ。93歳のY子さんの背に、はるかな山に向かって歩みを続ける孤高なひとの姿を見た。
 この日の朝は、松本神社の境内で行なわれているラジオ体操に参加した。境内には欅の巨木が数本立っている。松本神社の御神木だそうだ。今年の信州は春が遅い。北アルプス連峰はまだ深い雪に覆われていた。松本近辺の農家では霜などの被害で、桃やリンゴなど果樹類は大きな被害を受けた。収穫予想は平年の三割くらいと推定されているそうだ。
 残雪の連峰はるか白ツツジ 漫歩

     (写真 松本神社の御神木ケヤキ)

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徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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