漫歩俳句遊び⑧

春風や闘志いだきて丘に立つ 3月31日
 今日、昨日と暖かい日がつづく。今日は九段下から靖国神社、千鳥が淵緑道を歩いて半蔵門から永田町まで歩いた。桜があちこちで咲き初めている。緑道を出たところにある「荘川桜」が三分咲きだ。この桜は昭和36年に、岐阜県高山市の御母衣ダム建設現場にあった樹齢450年の桜だった。水没を惜しんで有志が千鳥が淵の入口に種子を移植した。立派に成長して、二世の「荘川桜」がわれわれの目を楽しませている。
 春の句で好きなのは、「春風や闘志いだきて丘に立つ」という虚子の句である。この句にめぐりあったのは、数年前、靖国神社の構内で催されていた、短冊の書道展で発見した。それを虚子の句とは知らず、なんとなく若々しいいい句だな、と思った。わたしのもっとも古い俳句の先生は、すでに故人だが、かつての社会党副委員長だった和田博雄さんだ。俳号を白遊子といい、戦前から俳句を作られていた。戦後、岡山で左派社会党から代議士となり、そのころ社会党岡山県本部で駆け出しの書記をしていた縁で和田さんの俳句にふれた。
 和田さんの句で好きな一句に「冬濤の岩噛めば闘志起こるかな」がある。冬の日本海沿岸の列車で、よく目にする光景であり、虚子の「春風や」にも繋がるものがある。東条体制で革新官僚として指弾され、獄中にあったとき、句作にはげまれた。釈放された出獄の日の一句、「満天の春星われに放たれぬ」も好きというか、当時の心境を思うと涙を禁じえないものがある。わたしは喜寿になるまで、俳句の先生についたことはなかったが、和田さんを俳句の最初の先生として尊敬している。
 虚子の「春風や」の句を正確に知ったのは、わたしが勝手に俳句の先生とよんでいる、栃木県大平町の富田昌宏さんの『俳句の一風景』(平成二十一年石田書房刊)である。富田さんはこの書物のなかで、大正2年2月10日、大平町の大平山句会に高濱虚子が参加したとして、虚子はそこで「山居杉に親しめば連翹野に恋し」と詠み、翌日、東京芝浦の三田句会で「春風や闘志いだきて丘に立つ」を作って俳句復帰を宣言するが、この丘は、句会の折、作者の脳裏に前日の大平山が存在していたと理解することができよう、と述べておられる。なるほどと納得した。
 この前後に、虚子の高弟の一人である深見けん二氏の『虚子の天地-体験的虚子論』(蝸牛社刊)なる好著に出合った。ここでは「春風や」の句について、「大正2年2月11日、三田俳句会の作。この年1月号の「ホトトギス」巻頭に、高札が立てられ、その一つに、平明にして余韻ある俳句を鼓吹する事(新傾向に反対する事)があり、虚子の俳句復活の句として有名である」とあった。
 富田さんの大平山句会の翌日、という記述と完全に符号する。俳句も人生と一緒で、人に出会い花に出会い書物に出会って、その邂逅の楽しさに酔うのである。以下は富田さんの農に生きた人ならではの句である。
  老いもまた未知との出会ひ桐一葉 富田昌宏
  咲き満ちぬ妻の遺愛の君子蘭
  虫の音や減反無残農日記
  秋の蝶離農一家の荷にすがる
 
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徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
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路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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