今日の日記

夢有のかあさん奥澤喜久栄さん急死 10月31日
 先週の28日、社会党時代以来の友人,Kさんから電話があった。「トミさん、奥澤さんのこと知っているか」と聞く。「先週からメールのやり取りをして、ねこが病気入院したとか、丸山尚さんの小説を読みたいから送ってほしいとかやり取りをしているよ」と答えた「いやその奥澤さんが死んじゃったんだ。昨日の朝発見されて、名古屋の姪御さんが来て、警察で検死されたりしている」という。唖然として声も出なかった。
 彼女とは、1970年に社会党本部を辞めて、公害問題研究会を発足させた時、一緒にやらないかと声をかけた。すぐさま「やりましょう」と快諾した。日頃はおとなしく、表に出たがらないが、ものごとの決断は早かった。加えて同じく本部を辞めた文学さんと三人で無給の専従として、退職金を出し合って、いまこそ公害環境問題をやろうという気持ちだけで始めた。
 会員制の月刊誌『環境破壊』を創刊したが、編集の奥澤さん、実務の文学さんがそろって、三人寄れば文殊の知恵で、何とか17年間持ちこたえた。
 当時の横浜市公害局の助川信彦さん、厚生省公害課長だった橋本道夫さんなど専門家のご指導も得て、様々な人脈を広げることができた。また70年代公害予防闘争の先駆となった、大分県臼杵市の大阪セメント反対運動にも真っ先に参加できた。
 さらに日本における代表的な伊達火力環境権訴訟の正木洋さんなど、全国の反火力運動の東京での裏方をつとめる幸運にも恵まれた。都市型住民運動の典型として、横浜新貨物線反対運動の宮崎省吾さんなどとの出会いも、政党の側からの住民運動の経験しかなかった私には、新鮮で明確な方向性を見出した思いだった。まさに天の時、地の利、人の和がつくり出した70年代公害住民運動だった。
 想い出せばきりがないが、奥澤さんの、静かだが毅然とした存在が、私にはありがたかった。今年の春、奥澤さんの北区の自宅を訪ねて、お昼をごちそうになった。「一人だからいつ死んでもいいように、献体の手続きもしてるのよ」と語っていた。「11月になったらまたお昼でも食べましょう」と先週メールしたばかりだった。昨夜、奥澤さんとかつて一緒に住んでいたKさんから詳しい事情を聴いた。階下の方が、声をかけたが返事がないので、中をのぞくと、ベッドのなかで冷たくなっていた、という。
 夢有という名のネコと一緒だった。愛猫が病気で入院して苦労していると聞いていたが、本人は、入院どころか、一夜でポックリ逝ってしまった。今度会ったとき、どうしても聞いておきたいことがあったが、それもまた夢に終わった。奥澤さん急死の報に、かつて親交のあったKさんから、「菊の香と旅立ちし女傘寿なり」と追悼の一句が寄せられた。没年月日は2011年10月25日。79歳。合掌
  友逝けり巻雲空になびく朝 漫歩


     黄色の菊


スポンサーサイト

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

ようこそ!「老人はゆく」へ
「老人はゆく」へようこそ

徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

最新記事
リンク
最新コメント
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR