今日の日記

一月の呆け進行度を点検する 1月31日
 一年の計は元旦にありで、今年こそ物忘れをなくしたい、そのためには家を出るときに昨年よりも入念に点検すること、と固く心に誓った。しかしそれも空しく、元旦早々息子のマンションに、帽子を忘れて帰った。やれやれと思ったが、それに加えて、丸首のセーターも忘れていた。忘れたものも気が付かないで、帽子だけだと思っている。先週もある会議に出て、資料と記入したメモなどを忘れた。これも事務局の方が「忘れていましたよ」とメールくれるまでは気が付かなかった。
 物忘れや思い込み、勘違いはなくならない。したがって、その後の対処法をどうするかということになる。物忘れや勘違いはもはや救いがたいところまで来ているとすれば、忘れたときに、あるいはとんでもない勘違いをしたときにどうするか。
 昔のように、がっかりしたり、カギがかかっていない部屋にかえってきて「泥棒だ」だと騒いだりはしない。昔は、部屋に帰ってみると、カギがかかっていない。泥棒かとあわてる。しかし盗まれた気配はない。そういうややこしい発想を捨てる。ものを無くしといっても、大半は自室でのことだから、神隠しのように、ハンコや通帳や財布が消えてもあわてないで、じっくり待つ。たとえなくなっても自分の命が無くなったわけでもない、あわてないで時を待つ。およそ大半はそれで解決する。
 もう一つの対処法は、ともかく笑って済まそう、ということだ。自分自身の馬鹿さ加減を笑い飛ばしてしまう。亡くなった畏友、豊前火力の松下竜一は、昔「タタカイは一編の笑いもの」という一文を書いた。それを読み返して、そうだ「人生は一編の笑いもの」だ。呆けと言われようが、バカと言われようが、笑ってしまおう。
 最近読んだ本の中で、ノーマン・カズンズの「笑いと治癒力」(岩波現代文庫)が面白かった。カズンズは笑いを積極的に利用して、不治と言われた膠原病を克服した体験記を書いている。物忘れくらいで悩む必要は毛頭ない。「アハハばか者」と自分を笑い飛ばすことにした。友人Iから同じような年賀状が三枚届いた。ある友人は「Mさんから年賀状が二通も来た。あの人呆けたのかしら」などと言う。あいつらもかと、徘徊はニンマリする。これが笑わずにおれようか。

  人も吾も笑うてゆけや老いの春 漫歩
   (写真 恵比寿大黒 「いわき絵のぼり吉田」より)

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徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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