杉原美津子最後の「挑戦」

杉原美津子死に向かっての「挑戦」 9月30日
 徘徊は本は好きだが読書家とは言えない。しかし友人には読書家・物識りが多い。わたしはそういう友人を歩く百科事典とか歩く季語事典、植物事典と呼んでいる。友人たちはこれはぜひお読みなさい、絶対気に入ると称して本を送りつける。たしかに読んで見るとはまってしまうから不思議だ。80歳になんなんとして、なお「知的好奇心」を刺激してくれる読書好きの友人がゐることはありがたい。
 そういう友人の一人がこの夏、一冊の本を読みなさいと推奨してきた。それが杉原美津子の『新宿放火事件 生きて見たい、もう一度』(文芸春秋刊)である。1980年に新宿駅西口で起きたバス放火事件は、うろ覚えには知ってはいたが、本を読んでショックを受けた。筆者は、そのバスに偶然乗り合わせ、バスに投げ込まれたガソリンの火のなかで全身の80%という火傷を負った。36歳のときである。だが奇跡的に回復し再生の人生を送ることになるが、その後も再び自殺未遂を起こしたり、まことに苦難な人生を歩むことになった。
 杉原美津子が、その後2010年までに数冊の本を書いていることを知った。何故か、その後の彼女の人生を知りたくなり、図書館で1989年に出版された「老いたる父と」(文芸春秋刊)を読んだ。これはバス放火事件から9年後、筆者の年老いた父母が離婚することになり、その後の母親と父親の両者に娘として付き合わざるを得なくなった物語である。印象に残ったのは父親である。妻と離婚して、新たな伴侶を求めたが得られず、一年後くらいにはボケの兆候が現れる。ついには栃木県の小山市の有料老人ホームに入居することになった。大言壮語しながら自立能力のない老人が、老人ホームの介護でさらに、自立能力を喪失していく姿が哀しい。
 その後の杉原美津子をさらに知りたくなった。彼女は夫とともに名古屋に移り、老人ホームの仕事をしながらの生活を始めるが、また東京に帰り夫壮六が呆けてきたために生活保護費の受給者となつた。荒れ狂う壮六を80歳で死去するまで数年の介護に献身する。そして夫を送った半年後、2009年の夏、肝臓がんを宣告された。彼女、65歳を迎えたときである。原因は1980年のバス放火事件で負った治療に大量の輸血をしたことによるC型肝炎であり、その果てが肝臓がんの発病であった。余命いくばくもないことを宣告され、彼女は一つの決断をする。一切の延命治療を断り、自ら従容として死に向かって歩むことを覚悟する。
 これが2010年に発刊された『再び生きて、愛して、考えたこと』(トランスビュー刊)である。この中で彼女ははいう。30年前の輸血によって生じた肝臓がんで、二度目の死に向かっている。自分自身はどう生き死ぬべきか。それは残された時間を精いっぱい生きるという、自分への最後の「挑戦」であると・・・。そこから彼女の「捨てる」挑戦がはじまる。 
 「捨てるのが惜しいと使いもしないのに保管してきたものは全部捨てた。電気ポットも炊飯器もジューサーも珈琲ミルも処分した。電気ポットがなくても一人分くらいの飲み物はレンジで足りる。炊飯器はなくてもおにぎりを買えば済む。一人ではジュースも珈琲も欲しくなくなった.ペティナイフも一本あれば料理から食事まで不自由しない。スプーン、フォークも大小一本ずつ。二人分の珈琲カップは取っておくことにした。残ったのは、電磁料理器、冷蔵庫、レンジ、テレビ、トースター、ラジカセ、掃除機、折り畳みのベッド、パソコン、プリンター。居住空間は10畳程度、狭いから掃除に手間がかからない」。不治のガン宣告から3年、杉原美津子の消息は聞こえない。いまどこで彼女は自分自身への「挑戦」の最後の刻を迎えようとしているのか。

  余生なほ煩悩具足彼岸花 漫歩
      (写真 彼岸花「アラ古希日記」より)

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Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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