口舌の徒石原慎太郎②

口舌の徒軍国少年石原慎太郎② 10月30日
◆戦争体験希薄な好戦的言辞
 石原慎太郎のもっとも許しがたい点は、軽率な好戦的言辞である。たとえば尖閣列島の問題に関しては、あれは日本の領土だ、と主張するまでは許せる。だが、「場合によってはフォークランド紛争のような小戦争も辞さない」とか、アメリカに行って「米中もし戦わばアメリカは負けるだろう」とか、、他国にバカにされないためには戦争も辞せずなどと平気でいう。
 では一体だれが戦いにいくのか、戦争の犠牲者になるの誰なのか、というような想像力はまったく欠如している。ここまで来ると「バカ」というより、極めて「危険」である。親の威光で徴兵逃れをしたブッシュ大統領にも同じことがいえる.戦争の悲惨な自己体験がないがゆえに、気軽に戦争に手を出してしまう。
 石原に関して云えば、彼は戦争中の昭和12年から父親の転勤で少年時代は北海道小樽市で過ごした。ゆえに悲惨な空爆の体験もない。また昭和19年に父親の転勤で逗子市に転居して終戦を迎えた。ここでも戦争体験らしきものは何もない。ただ敗戦と同時に、教師たちが一夜にして、民主主義をいいだしたことに違和感を禁じ得なかったというが、そんなことは、当時、すべての軍国少年が経験したことだ。唯一、石原都知事が戦争話として書いているのは「家内の父親が戦死して、その日記とか遺書を見た」という程度のことだ。
◆戦争の痛みと怖さを知らない軍国少年
 当時の軍国少年の多くは、肉親の父兄や、叔父たちの戦死、遺骨との体面、そして父母、姉妹の嘆きなどを目の当たりにしてきた。空爆での悲惨や、疎開経験の苦しさ、さらに引揚者の家族分散や子供を殺したり、戦地に残したままの悲惨な別離など体験している。また戦後の飢餓状態における食べる、生き残る苦しみをいやというほど体験した。石原慎太郎はそういう戦中、戦後体験がなく幸福な軍国少年時代を経て、23歳で芥川賞授賞、35歳で参議院議員全国区トップ当選、さらに都知事へと挫折を知らない人生を生きてきた。
 彼の言葉の端々に出てくる、弱者への無理解と蔑視は「痛みを知らない」からである。さしたる戦争体験を持たぬことが、軍国少年そのままの、「好戦的な言辞」につながっているのだ。都知事辞任、新党結成の記者会見でも沖縄のオスプレイ、福島原発事故などの目下の国民的関心事には全く触れない。石原には沖縄の戦後数十年の苦痛も、福島原発の犠牲者の痛みもわからない。沖縄など日本民族として認めていないのだ。個人的見解ならば好きにすればいい。勝手に尖閣列島に息子ともども義勇軍でも送って戦えばいい。だが自らは、「戦争で死ぬことは絶対あり得ない」立場にいながら勝手な妄言を弄することは許されることではない。
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徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
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