4月の呆け方、呆けても昔は忘れない

4月の呆け進行度 呆けても昔は忘れない 4月30日
 今月もいろいろと呆けに伴う物忘れ、思い込み、方向感覚喪失など多々あったが、呆けてはおれない事も発生した。それは親友Iの急死である。彼は大学教授を退職して千葉県四街道市の自宅に帰り10年、市の教育委員長や自治研究所などの理事長をつとめ、さまざまな活動をしていた。数年前からは、公害研が1970年から発刊していた月刊『環境破壊』の復刻版を出版しようという企画が持ち上がり、全体的な解題をIさんが引き受けてくれることになった。
 何しろ、1970年の公害研発足当初からの因縁があり、解題にも力が入った。私のように、全国を飛び歩いて住民運動の人々を交流を深めることを第一義的にしてきた人間にとっては、わが出版物ながら、編集部の奥澤喜久栄氏(故人)がつくった本誌をきちんと読み込んでいたとは言い難い。それをIさんの解題によって光を当てられてみると、かなりの歴史的な文献があるなあと、我ながら感嘆した。
 初めて会ったのは、忘れもしない1970年の5月12日のことだった。刷り上がった環境破壊の創刊号を持って、千葉市で開かれていた自治研集会に持ち込んだ。そこへ当時、高校教員で千葉の公害問題について早くから調査、研究をしていたIさんが、公害分科会の助言者として出席していた。彼が出来上がったばかりの、環境破壊を激賞、推薦してくれたおかげで、たちまち売り切れた。出発の時から会員配布を原則としていたが、その場で30名くらいの会員ができた。それでこれはいけるーという自信のようなものをもった。公害研の歴史的なスタートの恩人なのである。
 幾星霜を経て、Iさんは大学教師としての人生を歩み、退職して最晩年に公害研、環境破壊の復刻版の解題を担当、精魂を込めて、第4回配本までの原稿を書き進めた。昨年12月には彼を誘って、館山の知友がつくった千葉自由民権資料館を訪ねた。帰途、館山駅前でビールを飲み夕食をご馳走になった。3月末に「銚子の火力反対運動の松本文さんのことを書きたいが資料はないか」と問い合わせの手紙が来た。たまたま東大の公害自主講座で、わたしが司会を担当したときの講師が松本文氏であったことから、自主講座の資料を使ってもらった。先週4月20日頃「資料を返したいから5月の連休明けに会いに行く」というハガキが来た。その後、信州信濃町に句友と小林一茶の跡を訪ねる旅に出ていた。
 その宿に共通の友人Nさんから電話があった。27日の夕刻である。「おい,Iさんが死んだぞ」。一瞬誰のことかと思った。ハガキを読んで連休明けに会うつもりだった。それが、21日の誕生日にワイン一本を空けて眠った。翌日、夫人が2階のベッドに上がってみると亡くなっていた。夫人に聞くと「びっくりするほどきれいな死に顔でした」。親戚兄弟にも知らせず、ひっそりと送ったとおっしゃった。Iさんとの40余年の来し方を想い起こして眠れなかった。呆けても昔は正確に覚えているものだと知った。◆夫人のご意向で体調も悪く当分対応できないので電話、文書などはお断りしたいということでした。
 ぽっくりと死ぬが上手な仏哉 一茶
 旅先の友の訃報や花の雨 漫歩
     (写真 俳諧寺 信濃町)

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徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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