親米右翼の轟音に怒る

親米右翼の轟音に怒り心頭 8月16日
 昨日は15日、敗戦記念日にいつもながら九段界隈は、一日中騒音が渦巻いた。40度を超す暑さの中で、右翼の宣伝車が喚いている。ほんとに彼らはいつまでたっても頭が悪い。寝て居る病人だっている。赤ちゃんもいるし、病院もある。そのなかで無神経に一日中、スピーカーを最大にして轟音をとどろかせる。もともと右翼が復権したのは、60年安保の時だ。岸首相が反安保デモ鎮圧に自衛隊出動まで考えたが、ときの赤城宗徳防衛長官に諌められてできなかった。それで右翼の利用を思い立った。
 そしてアメリカのハガチー特使が、来日した際羽田まで阻止行動に行った社青同などのデモ隊に対してはじめて右翼が、角材に釘を打ち込んで待ち構えて反撃してきたのが始まりである。それまで占領軍に右翼は抑えられ窒息していた。それがアメリカと日本政府に認められて公然と活動するようになった。いわゆる親米右翼の登場である。それ以降右翼は自民党や企業の別働隊として、三池闘争や三里塚、あるいは株主総会で企業の雇われ暴力団として労働運動、住民運動に対抗した。
 私は羽田のハガチー阻止闘争の先頭にいたが、右翼が角材を持って待ち構えていたので、正面衝突はできないと思って即座に「逃げろ」と言ってデモ隊をUターンさせた。これはとっさの判断だったが、それまで散々警察に追われたり、逮捕されたりした経験で、これはヤバイとか、大丈夫だとかの判断ができるようになっていた。株主総会では70年代の住民運動がはじめて株主総会に乗り込む戦術を採用した。
 合成洗剤問題で花王やライオンの一株運動、日本鋼管の一株千人委員会などで株主総会での発言を求めた。しかしまず会場に待ち構えていたのは右翼暴力団だった。そして会場に入ると、議長席に近いところは右翼が占領し会社側の用心棒になって、絶対に前に出られない。言葉の暴力だけでなく、時には入場を妨害されたり、小突き回されたりするのはしばしばだった。
 許しがたいのは、本来ならばしずかに靖国や無名戦士たちを追悼する日なのに、小泉首相の参拝を契機として、右翼の轟音で静かな祈りなどできなくなったことだ。彼らはアメリカに対しては羊のようにおとなしい。だから沖縄の不当なオスプレイ配備や事故などに抗議の声を上げることはしない。琉球沖縄を日本民族として認めていないのだ。自民党はもともとそうだが、民主党も政権獲得以来、普天間県外国外移設の約束を裏切り、日米地位協定の改定すら口をつぐんでしまった。その意味では、親米右翼と同じくアメリカのポチになってしまった。私は今日、静かになった九段で、千鳥ヶ淵の無名戦士墓苑に菊の花をささげた。「ブログ8月いっぱい休養します」
 無名戦士墓苑にひそと白木槿 漫歩
 帰らざる戦士の哭くや蝉時雨
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徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
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路上公園などの観察、
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読書、眠り薬になること多し

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