下半身マヒ少年の老後

下半身マヒ少年の老後 7月30日
 梅雨が明けてからの猛暑、熱帯夜がつづく。エルニーニョ現象で今年は冷夏などと言った気象庁の予報は外れたようだ。眠れても眠れなくても、東京に居る限りラジオ体操に参加する。そして昼寝の日々だ。ラジオ体操に行き出してから9月で満二年になる。公園の自然の移り変わりで、俳句を作ったり、携帯電話で写真を撮ったり、様々な人生に出会ったり、ここには尽きせぬ楽しみがある。
 ラジオ体操に参加してはいないが、毎朝5時半くらいから、黙々とバスケットのボールで遊んでいる方が居た。軽々とボールを操り、天高く放りほうり上げたり、後ろ向きにほうり上げて前で取ったり、玉つきをしながらボールと走っている。そして午前6時過ぎ、公園にラジオ体操の人々が集まりだすころ、自転車に乗って去って行く。身長は高く、髪は真っ白だが体は若い。人を寄せ付けない孤高な感じの方に興味を持った。 
 たまたま昨日の朝、偶然、彼が自転車で帰途に着こうとする瞬間に道路で出会った。いつもは柵のしてある公園の駐車場でボール投げをしているので声を掛ける機会がなかった。コンニチハとあいさつすると意外に汗の滴る笑顔を見せた。思い切って「あの、毎朝やっているボール投げ運動、何年くらいですか」と聞いた。「30年以上です」。「失礼ながらお年は」と聞くと「63歳です」とにこやかに答えた。ということは、彼は30代の現役のころから、この公園の駐車場で、毎朝バスケットのボールを操っていたのだ。そして彼,Aさんは意外な告白を初対面の老人に聞かせた。
―実は私は中学生の頃に、下半身マヒの奇病にかかった。骨髄に菌が入って腰が立たなくなる病気です。両親が病院に運んで治療してくれたが治らない。中学生の年頃の三カ月間、足腰が立たなくなり、病院のベッドで身動きできなかった。恐怖と絶望の三カ月でした。幸い医師の治療で歩けるようになったが、今でも下半身の肢のしびれなどは残っている。それ以来、何よりも体の動かすということを、人生の最大目標にした。退職した今でもここへきて、ボール投げをしている。-
 人に歴史ありだ。一見、楽々とボール遊びに興じているように見えたが,Aさんには知られざる少年の日の、恐怖と絶望の体験があったのだ。今朝もまたAさんの帰途に着こうとした瞬間に出くわした。挨拶を交わし、軽々と操っているように見えたバスケットのボールを手にしてみた。重い、まるで鉛が入ってるみたいだ.Aさんは言った。「練習の時は試合で使うボールより重いボールを使う。そうすると体の感覚で試合の時、素早くトスしたり投げたりできる」。
 この重いボールで、毎朝40分から50分のトレーニングを欠かさないそうだ。「やり過ぎはダメ。体を痛める。帰って食事後に20分くらいの昼寝をして疲れを取る」とおっしゃった。少年時代のAさんを看病した両親は九十代で、いまはその世話をしながらの生活らしい。ランニングシャツに半ズボン。夏も冬もこのスタイルは変わらない。汗の滴るまま、自転車に乗って風のように去って行った。
 蓮の池はよ来いとよぶ友の顔 漫歩
     (写真 小田原城の大賀蓮)

      a

スポンサーサイト
ようこそ!「老人はゆく」へ
「老人はゆく」へようこそ

徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

最新記事
リンク
最新コメント
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR