014年の呆け物忘れ進行度 14・12・28
 あわただしく一年が過ぎた。もう今年も終わり。喪中の便りが相次ぐ。恩寵に与った先輩、若い友人などが亡くなった。私は、こういう方々から命をいただいて、いまなお生かされている。今日は冬日和なので、布団、毛布などを屋上に干した。シーツ、寝間着など洗濯機で洗う。さらに絨毯の雑巾がけ、電気掃除機を捨てたので、労力はかかるがいつも雑巾で拭くことにした。これはけっこう重労働でくたくたに疲れる。いつも「どっこいしょ」という言葉が出てくるようになった。
 今年を振り返って、呆け物忘れは確実に進行していることが分かった。もはや半端ではない。いま、ここにあったはずの老眼鏡とか携帯とか、手帳とかが、あっという間に消える。まるで神隠しにあったみたいだ。何のことはない机の下に落として見えなかったり、翌日に出てきたりする。だんだん顕著になってきたのは、トイレやガス、あるいはパソコンなどの電源を切ろうと思って切っていないということが日常茶飯事になった。「切らなければ」と思ったことで「切った」と錯覚する。「カギをかけた」つもりで帰宅すると「かけていない」のだ。以前は焦ったがもう焦ったり、うろたえたりしない。これが常態だと思って受け止める。無くなっても、命が無くなるわけではない。どうせ物はいつか消滅するのだ。
◆鉄棒に頭をぶつけてわかったこと
 とくに11月に、頭を鉄棒に打ち付けて、医院でCTを撮影してわかったことがある。それは大脳の委縮が進んでいるということだ。これは直ちに認知症に結びつくわけではないが、まったく無関係とは言えないと医師はいう。調べて分かったが、人間の体は新陳代謝を繰り返しながら一生を終る。だが大脳と心臓は生まれてから死ぬまで変わらないそうだ。だから大脳は年齢とともに縮小していくのだ。心臓も同じだという。人間の生死を一瞬に決める大脳と心臓は新陳代謝なしに、昼夜休みなく動いている。
 振り返ると、365日昼夜兼行で働き続けて下さっている心臓と大脳に対して、ずいぶん粗末にしてきた。カッとなって興奮して血圧をあげたり、心臓の脈拍を早めたり、ときには肥りすぎて心臓の負担を増やしたりしてきた。そもそもおっちょこちょいで、怒ったり怒鳴ったりしやすいタイプの人生だった。心臓も大脳もパンクしないで80年余も付き合って、働いてくださったと感謝したい。
 80代に入って、体力気力の衰えは覆いがたい。要するに草臥れやすくなった。持久力もなくなった。疲れると、今まで簡単にできたことができなくなる。図書館に行っても、暖かいから睡魔に襲われる。読書に行ったはずなのに、半分は居眠りをしに行っているようだ。階段などであわてて転倒すれば骨折、長期入院、呆けにつながるという例を数多くみている。自分自身も67歳の時、電車に飛び乗ろうとして胸骨骨折三カ月の重傷を負った。痛い目に会うと、階段も手すりで慎重に降りるようになる。
 呆けを自覚しつつ、来年は自分がどうなっていくのか、不安でもあり、楽しみでもある。いずれにしても友人、知人各位には、呆け物忘れの進行で、ご迷惑をおかけすることが多くなると思うがご寛恕ねがいたい。新しき年に向かって留意することは以下の三項目。①慌てるな。ユックリズムで歩け、転ぶな、転倒は呆けの最短距離である。②人と会うことや会議は一日一回。約束をたくさんすると確実に忘れる。③物を書いたり、他人と会うことなどは、できるだけ少なく、無理をして続けない。というようなわけで、年末年始、当ブログもお休みと致します。
 来し方は 一夢と思う 柚子湯かな 漫歩
      (写真 一刀彫仏像 飛騨高山位山堂制作)

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徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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