入浜権運動の高崎裕士さん死去

入浜権運動の高崎裕士さん死去 15・11月29日
  霜月に入ると先輩、友人の訃報が相次ぐ。いずれも80代以上の方が多い。自分も傘寿を超えているのだから、やむを得ない。70代以下の若い人たちの死は心が痛むが、同年輩以上の方の訃報は悲しみの質が異なる。さびしさと共に、この苦難の時代を共に生きて来たものとして、この世の業苦から解放されてほっとしただろう、などと思ってしまう。寂しくはあるが受け入れることができるのだ。先日は高崎裕士さんの訃報が届いた。私より二つ年上の84歳だった。奥様の喪中挨拶には以下のように記されていた。
―去る11月8日、夫高崎裕士が天の故郷に帰りました。生涯を走り抜き、平安のうちに召されることの出来ましたことは感謝でした。ここに生前に給わりましたご厚情を深謝いたしますとともに、皆様に良い年が訪れますようお祈りいたします。また今後とも変わらぬご交誼のほどお願い申し上げますー
 高崎さんは、クリスチャンであったことを思い出した。聞くところによると間質性肺炎で死去し、葬儀は近親者で営まれた。1960年代、謡曲「高砂」で知られる兵庫県高砂市の臨海部で工場進出が進み、高砂港でポリ塩化ビフェニール(PCB)などによる汚染が問題となる中、住民団体を結成。75年2月21日、東京で 「海を活かしコンビナートを拒否する東京集会」で「入浜権宣言」入浜権宣言を採択した。「古来、海は万民のものであり」で始まる宣言は、海岸の埋め立てなどに反対する住民運動を支える理念にった。
 数年前、入浜権運動35周年の記念集会に、高砂市に出かけて再会した。昔と変わらず明るく、生き生きと今後の展望を語る姿に感動した。このひとは老いてないなと思った。今年2月に高砂市で宣言40年の記念集会を開催すると連絡があった。その烈々たる呼びかけに感動したが、1月にインフルエンザに罹っていたので、遠出は無理と思ってお断りした。
 日々、やがて自らにも訪れるであろう死を思う。昔、死は遠いと思いつつ、恐れおののいていた。いまや男の平均寿命をとっくに過ぎて、いささか生き過ぎたという思いも強い。寝たきりにならないように、1日を歩くこと主体の生活を心がけている。昔、田辺誠元社会党委員長に会った時、こう言われた。「君い、90迄生きるとぽっくり逝く人が多いよ。90まで頑張ろう」と。当時70代初めの私は「そんな後20年近く生きるなんて」と言った。前橋で親譲りの老人福祉施設を経営する田辺さんならではの言葉だった。予言通り、本人は見事に今年7月2日、93歳での大往生だった。
  木枯らしや友の訃報を運びくる 漫歩      

      (写真 1975年入浜権運動東京集会 右高崎氏、左筆者)

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徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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