オバマ大統領のヒロシマ訪問と謝罪

オバマ大統領のヒロシマ訪問と謝罪 16・4・29
 5月のサミット前にオバマ米大統領のヒロシマ訪問が確実視されている。4月11日のケリー国務長官ら先進7カ国外相による広島市の平和記念公園訪問を契機として、大統領のヒロシマ訪問が具体化してきた。オバマ大統領は5月の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)に合わせてヒロシマを訪問する見通しだという。だが日本側の相も変らぬ弱腰と対米従属根性がまるみえだ。岸田外相はこれらの訪問に関して「米側に原爆投下の謝罪を求めない」との考えを明らかにした。そもそも安倍首相が年来の主張してきたことは「戦後レジームからの脱却」であった。
 にもかかわらず昨年、まだ成案も国内で示さないうちに米議会で「安全保障関連法」の提出を約束して喝采を受けた。当然だろう。アメリカは憲法九条の改正よりも、現在の日米安保の下で米軍の指揮下で戦争できる自衛隊の存在を最も望んでいるからである。さらにアメリカ側の意向を組んで、靖国参拝も自重し、戦後70年談話も村山談話を基本的に踏襲した。極め付きは日韓合意である。12月の従軍慰安婦問題で河野談話をそのまま踏襲して謝罪し10億円の国費を拠出することを約束した。今や右翼陣営は親米ポチの右翼を除いて安倍政権の対米従属に怒る声に満ち満ちている。安倍私邸と米大使館にデモを掛けるのは左翼ではなく、正統右翼による怒りのデモなのである。
◆謝罪もせず慰霊碑にこうべを垂れなかったケリー長官
 中國新聞の社説「被爆者の声に耳傾けよ」(16・4・24)は以下のように指摘している。「原爆投下を戦争を早く終わらせるために必要だったと正当化する歴史認識はいまだ根強い。・・ケリー氏は慰霊碑の前でこうべを垂れず、原爆資料館内での表情を見せぬため取材を制限した。さらに被爆者との対話もかなわなかった。やはり残念でならない。核兵器が何をもたらすのか。逃げることなく直視する覚悟を求めたい」岸田外相の米側に謝罪を求めないという姿勢こそ、対米従属根性まる出しの安倍政権の姿勢を象徴する。ただ単なるショーとして米大統領が広島に来たということを政治的に利用したいだけなのだ。
 アメリカは本来ならば国際戦犯法廷で有罪となる、1945年3月の東京大空襲という無差別爆撃で10万人の非戦闘員を殺した。さらに広島、長崎への原爆投下で⒑数万人の非戦闘員を一挙に殺した。その指揮官であった「カーチス・ルメイ将軍」に1964年、『勲一等旭日大綬章』を贈っている。授与を決めたのは当時の首相、佐藤栄作。そして岸、佐藤兄弟の後継として首相となった安倍総理は、今年春の叙勲で、旭日大綬章を米国のドナルド・ラムズフェルドとリチャード・アーミテージにl贈った。2人は、2003年にイラク戦争を始めたブッシュ政権の中枢にいた人物だ
 朝日新聞2015年11月11日付オピニオン面「声」欄に以下の投書が載っている。「イラク戦争を起こしたアメリカの「イラク戦争検証せずに叙勲とは」高村広昭(神奈川県、73歳)「旭日大綬章を受けた外国人として、米国のドナルド・ラムズフェルド氏とリチャード・アーミテージ氏の名前が3日の新聞に載っていた。2人は、2003年にイラク戦争を始めたブッシュ政権の中枢にいた人物である。イラク戦争は「大量破壊兵器を保有している」として米国主導で始まったが、後にこの情報は虚偽だったことが判明、大量破壊兵器は見つからなかった。英国のブレア元首相は「我々が受け取った情報が間違っていたという事実を謝罪する」と米テレビのインタビューで述べている。イラク戦争当時、ラムズフェルド氏は国防長官で、誤った情報で始めた戦争の責任者である。アーミテージ氏は当時国務副長官の要職にあり、イラク復興支援で自衛隊のイラク派遣を促した。「大義なき戦争」と呼ばれるイラク戦争で多くの民間人が亡くなり、結果的に過激派組織「イスラム国」(IS) を生みだした。日本政府はイラク戦争で米国を支持したが、その本格的な検証に手を付けていない。どのような根拠で2人に勲章を与えたのか。政府は国民に対し、検証結果とともに明らかにすべきだ」
 カーチス・ルメイが、後年語った言葉がある。「もし、われわれが負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸い、私は勝者の方に属していた」1964年航空自衛隊創立10周年に、航空幕僚長の浦茂の招待を受け来日、航空自衛隊創設時の戦術指導に対する功績により、日本政府より勲一等旭日大綬章を授与されたが、第二次世界大戦時に日本の都市に対する無差別戦略爆撃を立案・指揮者であることから批判は根強く、現在でも授章を取り消し・返還をするべきだと批判する意見がある。一部の正統派右翼を除いて、親米ポチ右翼や護憲サヨクには、このバカげた叙勲制度に批判を加える政治家はいなくなった。ということは対米従属路線を前提としてしか物を考えない政治家ばかりになったということだ。以下の詩はヒロシマ原爆を経験した詩人栗原貞子の詩「生ましめんかな」である。

 『生ましめんかな』  栗原貞子
 こわれたビルディングの地下室の夜だった。
 原子爆弾の負傷者たちは
 ローソク1本ない暗い地下室を
 うずめて、いっぱいだった。
 生ぐさい血の匂い、死臭。
 汗くさい人いきれ、うめきごえ
 その中から不思議な声が聞こえて来た。
 「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
 この地獄の底のような地下室で
 今、若い女が産気づいているのだ。
  
 マッチ1本ないくらがりで
 どうしたらいいのだろう
 人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
 と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
 と言ったのは
 さっきまでうめいていた重傷者だ。 
 かくてくらがりの地獄の底で
 新しい生命は生まれた。
 かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
 生ましめんかな
 生ましめんかな
 己が命捨つとも




スポンサーサイト
ようこそ!「老人はゆく」へ
「老人はゆく」へようこそ

徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

最新記事
リンク
最新コメント
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR