池田会長の入院と現役医師としての生き方

池田会長の入院と現役医師としての生き方 17・2・28
 今月はラジオ体操の友人の南光冶さんの急死という事件が2月8日に起きた。その同じ日に頑健で知られる池田会長が、体調を崩して急遽入院されていた。達磨くんたちからラジオ体操に池田会長が二三日見えないという話を聞いた。そこで池田耳鼻咽喉科医院に連絡したが通じない。やむなく池田会長の携帯電話にかけたが何回鳴らしても通じない。南さんのこともあったからこれは危ないと思ったが手の施しようもない。やがて池田会長から携帯電話があった。「いま慈恵医大に入院しています」ということだった。 
 2月8日の午後、診察中に急に体調が悪くなった。診察を中止して車で自宅に帰ろうと思ったが、いくら経って麹町の自宅にたどりつけない。三時間ばかり車でぐるぐる回って本郷の交番にたどりついた。警官に話をして息子の自宅に電話してもらった。駆けつけた息子夫妻が、車で慈恵医大に運んで緊急入院となった。肝臓の障害だというお話だった。「一週間で退院できますから来週の水曜日には出ていきます」というお話に一安心。先生の好きな四谷の鯛焼きを買って、水曜日にお持ちしたが先生の姿はなかった。また携帯で電話すると退院が延びて自宅には木曜日に帰るが、体操には来週20日の月曜日に行くということで一安心。かくしてみんなが心配した池田会長は無事復帰された。
 池田先生によると、本郷の交番では「もう90歳というお年だし免許証もこの際返還されては」と忠告されたそうだ。しかし先生は、仕事のこともあるしもう少し待って下さいと言って断った由である。驚いたことに月曜日にお会いした先生は、これから墨田区の医院に行って仕事だとおっしゃる。先生の日常は、多少認知症気味でしばしば転んで怪我をされる奥様の朝夕の食事などの面倒を見て、耳鼻咽喉科の仕事を週4回なさっている。自分の日常生活だけでウロウロしている徘徊老人など足元にも及ばない日常である。
◆高齢者の先達の後を追って行くということ
 2001年、68歳の時に初めてお四国遍路に旅立ってから、今日までいちおう自立して生活できる原因の一つは、106歳で亡くなられた吉行あぐりさんとの出会いがある。あぐりさんは98歳まで美容院の仕事をつづけられた。そのあぐりさんと朝の散歩でのお会いして名前は知らぬが会話するようになった。100歳まで現役のスキーヤーとして生き抜かれた三浦敬三翁の85歳からの自主自立した食生活など、徘徊は大先達の自立した生き方、食生活に学びながら今日の人生があるという思いが強い。はじめて散歩の道でお会いした吉行あぐりさんは93歳だった。曰く「私はね、年取ってから寝たきりになりたくないからこうやって歩いているのよ。貴方若いだからしっかりしなさい」と叱咤された。
 三浦敬三翁は85歳で妻に先立たれ、息子の三浦雄一郎の札幌の自宅に引き取られたが三カ月で「これでは自分がダメになる」と翻然と自覚し、東京に帰って自主自立の食生活を始められた。その三浦敬三翁の食生活、酢卵とはと麦ポンに学んで2005年以降、前立せん肥大、狭心症、高血圧、胃弱、大腸ポリープなどの薬を順次捨てて、いまや薬ゼロの日常生活となった。いつ果てるかはわからないが、現役医師の池田会長や公園最高齢、やがて91歳になる松崎翁などの後を追い続けている日々だ。
 木瓜好きと 言わせにんまり 老いの春 漫歩
      (写真  北の丸公園の梅とメジロ 中本勝美撮影)

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徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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