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無言館で反戦句人の碑に詣でる 

無言館で反戦句人の碑に詣でる 18・6・29
 先週、長野市から上田市などを訪ねた。一つの目的は上田市の塩田平にある無言館を訪ねることだった。ここに今年2月、反戦句人の碑が金子兜太らの発起人によって建立されたと聞いたからだ。第二次世界大戦中、反戦の句を詠んだ俳人らが検挙・投獄された「新興俳句弾圧事件」を語り継ぐ石碑が長野県上田市に完成し、2月25日に除幕式があったが、建立の筆頭呼び掛け人兜太は2月20日に九十八歳で亡くなった。東京新聞によると以下のように伝えている。
 ―碑は、戦没した画学生らの絵を展示する「無言館」の敷地内に立つ。「俳句弾圧不忘(ふぼう)の碑 兜太」と刻まれた。その建立へ金子さんと尽力したのが、フランス出身の俳人マブソン青眼(本名マブソン・ローラン)さん(49)=長野市=だ。来日して俳句を研究していた二十年前に金子さんと知り会い、すぐ金子さん主宰の俳誌『海程』の同人になった。二〇一五年に対談した時に俳句弾圧事件が話題となり、「有志で記念碑を建てよう」と決めた。全国の俳人ら五百七十一人から三百万円あまりが集まり、碑とともに、弾圧を受けた俳人の作品などを展示する「檻(おり)の俳句館」と、訪れた人が投句できるポストも併せて設けた。「無言館」の館主で作家の窪島誠一郎さん(76)も金子さんと親交があり、マブソンさんが建立場所として提案すると、金子さんは「無言館なら大賛成だ」と喜んだという
 金子さんが今日の世相を「表現の自由が弾圧された戦前と似ている」と嘆いていたのを忘れないマブソンさん。「その思いを碑と一緒に引き継いで訴えていきたい。ここが金子先生とつながることができる場所になってほしい」と願う。
<新興俳句弾圧事件> 戦時中の1940~43年、戦争や軍国主義を批判・風刺し、反体制的な句を作った俳人ら44人が、治安維持法違反容疑で検挙され、13人が懲役刑となった。対象とされた句では「戦争が廊下の奥に立つてゐた」(渡辺白泉)などが名高い。
◆「平和を希求、心ひとつ」
 金子兜太さんの死去を受け、日本文学研究者のドナルド・キーンさん(95)が21日、コメントを寄せた。コメントは次の通り。金子兜太さんの訃報を知った時、とてもさみしく感じました。私は、金子さんの人柄と業績を心から尊敬していました。金子さんは、俳人として、長い俳句の歴史の中で新しい道を切り開き、大きな業績を残しました。初めて会ったのは30年以上前でしたが、その時から親しみを感じました。私たちは、敵と味方でしたが、同じ時期に戦争を体験しました。金子さんの体験は実にひどいものでした。私たちは戦争がいかに無意味なものであるかを語り合い、平和を希求することにおいて心はひとつでしたー。(以上東京新聞2018・2・22)
 夏草が茂り深い樹林の緑の中に碑は建っていた。蝉の声を聴きながら碑に一礼した。終わって無言館の絵画館へ向かった。ここ約30年前に水上勉の一子窪島誠一郎氏が、全国の戦没画学生の絵と手紙などを集めて開館した。塩田平の辺鄙な山中に建つ絵画館である。偶然、館長の窪島氏と出会い会話することが出来た。彼の30年に及ぶ、デッサン館、絵画館の労苦に敬意を表して別れた。
 夏草やなほ兵語る無言館 漫歩

     (写真 俳人マブソンと窪島氏)

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徘徊老人

Author:徘徊老人
86 歳の徘徊老人です。
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