FC2ブログ

>コロナで蟄居老人物捨てる日々を楽しむ

コロナで蟄居老人物捨てる日々を楽しむ 20・5・6
 小人閑居して不善を為すとは、君子必慎其独也 小人閑居為不善(教養や人徳を備えた君子は、他人の目がなくても必ず慎み深く行動するが、教養や人徳のない、品性に欠ける小人は、一人でいると悪事を犯しやすくなる)という意味らしい。徘徊老人は、このところのコロナ騒ぎで、閉門蟄居のような日々を送っている。何しろ病もち
の老人はもっとも危険といわれ、人からも外に出てはダメ注意される。
徘徊老人のように全国を駆け巡って、面白そうな人と会うことを唯一の趣味にしてきたものは蟄居するなど苦手に決まっている。しかし思いついたことがある。これを機会に長年溜まった資料や本、手紙や写真、手帳、衣類など整理することだ。始めてみると誠に日々楽しくて、やめられなくなった。よくも溜まったものだと思うくらい捨てるものが出てくる。
コロナのお陰で、このマンションに住みだしてから三十七年間の溜まりに溜まった古着や書類、資料、手帳、日記など捨てがたかったものが、思い切り良く捨てられる。かかったらコロリと逝くのだから捨てる意外にない。「コロナ様お陰で進む死に仕度」というところだ。
独居老人は突然死が多いことも考えなくてはならない。私の住むマンションでも風呂場で倒れて亡くなった会社社長が二人居る。かつて社会党本部に居たころの先輩久保田忠夫さんは風呂場で倒れて即死。一〇七〇年以降の公害研で『環境破壊』の編集長だった奥沢喜久栄さんも、猫の看病に疲れて、猫は元気になったが本人は風呂場で溺死した。彼女は常々「私は献体をしているから亡くなっても人に迷惑はかけない」と言っていたが、溺死となると警察で死因を調べるために身体にメスが入る。すると献体は無効となって家族や親戚が葬儀をやることになる。親戚の姪や甥がえらい苦労した。生まれは自分で選べないが、死に方だけは自分で選べると思っていたが人生万事うまくいかないのだ。
●葬式無用香典や偲ぶ会お断りの遺言状
徘徊老人はいまや八七歳、数え年では米寿である。死んだ後まで迷惑はかけられない。したがって家族には以下のような遺言状を会手渡した。①延命治療お断り、葬儀は直葬方式で亡くなったら直ちに病院から火葬場に直行、家族だけで送る。②香典・偲ぶ会などお断り③年賀状を頂いている友人、知人には年末にお知らせするなどである。そして家族も同意の署名をさせた。もとより社会的に貢献した方には、それなりの葬儀が営まれるのは否定しない。だが私は先輩友人の死後の自らの始末についての覚悟を明確にした遺書などを参考にしたにすぎぬ。
延命治療については苦い思い出がある。私は六人兄弟で五番目に生まれた妹がひとり居た。津山市郊外の農家に嫁ぎ三人の息子に恵まれた。晩年肺気腫をわずらい命旦夕に迫ったころ、津山市の病院に見舞った。口と喉に器具をつけられ、強制的に空気を送るだけ、息子三人が延命を希望したせいだった。一週間後に亡くなったが、これは拷問に等しいと思った。
私は四国歩き遍路を始めた二〇〇一年以降、健康保険証に遺言状を入れ、署名捺印して、延命治療拒否を書き込んでいる。延命治療で延々と生かされることなど、かつては考えられなかった。これを医学の進歩と信じている輩が多すぎることこそ問題なのだ。

スポンサーサイト



ようこそ!「老人はゆく」へ
「老人はゆく」へようこそ

徘徊老人

Author:徘徊老人
88歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

最新記事
リンク
最新コメント
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR