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福島第1原発事故振り返る 脱原発こそ生きる道 村上達也前東海村村長 21・3・1

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から間もなく10年。「原子力発祥の地」ともいわれる東海村で村長として原発事故と臨界事故を経験した村上達也氏(78)が毎日新聞のインタビューに応じた。原発事故を主なきっかけとして「脱原発」を訴えてきた村上氏は「事故を経験しても日本は変われなかった」と振り返った。以下は毎日新聞21年2月22日の要旨である。【聞き手・鳥井真平】
◆福島の原発事故から10年が経過したが、事故は安全神話と人災
このとき、村役場の朝礼で職員に「人に冷たく無能な国に原発を持つ資格はない」と伝えた。村は1999年に核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」の臨界事故も経験した。臨界事故も原発事故も基本的に同じだ。立地地域には人が住んでいて、文化もある。(混乱する国などの対応を目にして)経済発展を優先し、住民に配慮がない国なのだと思った。原発事故は起こるべくして起きた。人工的に建設したものには技術的な面で穴がある。それを想定して利用するのは許せるが、「完璧な技術で防護策はとれている」などと説明してきたのは、寓話(ぐうわ)だ。電力会社は安全神話を作り上げてきた。県内にも津波が押し寄せた。東北の三陸地方のように海岸線が入り組んでいないため、私も鹿島灘に津波は来ないと考えていた。完全なる不明で、間違いだった。
◆事故は原子力政策の転換点になり得る出来事だった
日本は地球温暖化対策の必要性から、原発の復権を唱える「原子力ルネサンス」を叫んで原子力を推進してきた。しかし、「地震大国」と呼ばれる日本で原発を稼働させ続けるのは無理があった。もっと慎重になるべきだったし、国を挙げて推進してきたことを反省し見直すべきだった。しかし、日本は変われなかった。政府は現行のエネルギー基本計画で、全電源に占める原発比率を2030年度に20~22%とする目標を設定している。核燃料を再利用する「核燃料サイクル政策」の中核施設だった高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の廃炉が決まったのに、国は核燃料サイクルの看板を下ろさず、いまだに続ける方針を示している。
◆立地自治体の首長が再稼働に同意することが理解できない。何も学ぼうとしていない
東海村には日本原子力発電東海第2原発があるが、30キロ圏内に住む住民は国内最多の約94万人。(原発事故の避難状況を踏まえれば)避難計画通りの避難はできないだろう。94万人を避難させることができるなんてばかげた話だ。実行できないことを、できるかのように作るのは、時間と労力、税金の無駄と言える。人口が多い場所での再稼働はあってはならない。
村上達也(むらかみ・たつや)氏
 1943年、東海村出身。66年一橋大社会学部卒。同年常陽銀行に入行し、ひたちなか支店長などを経て97年から東海村長を4期務めた。99年の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」臨界事故では、国内初の住民避難要請を決断。2011年に起きた、東日本大震災による東京電力福島第1原発事故後から「脱原発」を訴えている。
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徘徊老人

Author:徘徊老人
88歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
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路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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