FC2ブログ

慰安婦問題の視点 木原実さんの自歌自注

慰安婦問題の視点 木原実さんの自歌自注 17・6・25
 戦後72年、またもや韓国との慰安婦問題が再燃している。日本政府は10億円の基金を支払うことで最終的に合意したと強調する。だが慰安婦問題については相変わらず「日本軍や政府が関与した資料はない」と強弁する。ここに問題の根本がある。それが嘘だと分かっているからだ。敗戦時の新聞には参謀本部や軍令部では重要書類の焼却が連日行われた。毎日書類を焼く煙が立ち込めたと当時の新聞は書いている。当然だろう。慰安婦の強制連行等の資料を残せば国際戦犯法廷で戦争犯罪として追究されるからだ。焼いてしまって「ないことにした」が被害者は「あった」と証言するのは当然だ。かつて社会党本部でともに仕事をした木原実さんは千葉県から代議士となり、脳卒中で倒れてなお92歳まで歌を作り続けた。木原さんの死後見つけた一文に以下のような慰安婦に関する二首の歌と一文が残っていた。

・ やわらかいものにしがみつきしがみついては白夜のあがき
・ 女には名前がない 席の床に毛布が一枚ほしいといった

慰安婦という見なれない文字が、大きな活字で新聞紙上にあらわれたとき、私は目を疑った。韓国の元日本軍の慰安婦にされた女性が、日本政府の謝罪と賠償をもとめたという記事だが、私は瞬時にして、忘れることもなく忘れていたことを思い出していた。戦争のもう一つの側面を、罪の意識もないまま都合よく私は忘れていたのだ。それがいま白日のもとにあばかれる。私は告発されているのだ。
 戦争が侵略であるならもう一つの側面とは性の侵略を伴うということだ。 戦後それは知識としてもおなはしとしてもさまざまに広がったが、それはそれだけで何らの価値判断をみちびき出すものではなかった。むしろそういう話にまぎれこんで、自分たちの行為を一般化し、罪なきものとしての過去の、ただ忘れ去っていく手段にもなったような気がする。
 私は慰安婦のことが戦争にともなう性の侵略の問題追求がはじまると、日本中の男性、すくなくとも戦争にかり出された男たちは、顔をあげて外を歩くことができないだろうと思った。当事者たちには、誇大なまでに公然の、そして多くは殊勝な秘めごとのように、語られることの少なかったことへの挑戦である。大事なことは、問われているのは国家の罪と責任であるが、行為そのものは個人が深くかかわっている。いわば加害者としての個人の問題がさけられなくあるということだ。
 旧満州の水辺に虎林という町があった。私の所属する部隊はそこを拠点に展開していた。その大きな営門から1キロほどのところに、板囲いの兵舎まがいの小屋が立っていた。兵隊はそこをピー屋と言った。そこにいる女のことをピーと呼んでいた。入営してはじめて外出が許されたとき、外出の注意と一個ずつのサックをもらった。当日は例の小屋には、入口ごとに行列ができるような盛況であった。小さな部屋にはワラ布団のベッドとその上に若い女が坐っていた。言葉使いで朝鮮の人であることが分かった。
 慰安婦について日本政府は謝罪を拒み、民間の金を集めて対応している。謝罪の機会は失われ、あいまいな金の運営で事態を処理しているようにみえる。加害者である個人もいら立ちが残り、やがて忘却に沈んでいく。それでよいのであろうかとの、思いは切である。
(「掌」68号(2001・7発行)木原実「自歌自註」より転載)

      (写真 ねむの花 北の丸公園)

       a
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

ようこそ!「老人はゆく」へ
「老人はゆく」へようこそ

徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

最新記事
リンク
最新コメント
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR