わが師わが友①南国市にある田尻宗昭さんの墓

わが師わが友①南国市にある田尻宗昭さんの墓
 四国遍路の旅は亡くなった先輩、友人の思い出と共に歩く旅でもある。七〇年代の反公害運動の旗手、田尻宗昭さんの墓が高知県南国市にあることを知る人は少ない。一九九〇年7月4日、転移性肝臓がんで、惜しまれながら六十二歳の生涯を閉じた。田尻さんは九州宮崎生まれ、高等商船学校を出て海上保安部一筋に生きた。四日市海上保安部時代、石油コンビナートの公害を告発したことで一躍、「公害の田尻」として全国に名をとどろかせた。田尻さんの墓所が遍路道に近い高知県南国市にあることを教えてくれたのは、田尻さんと浅からぬ縁のあったY女史である。最初の墓参は十年前、徳島県木頭村の細川内ダム問題で高知空港に降りたときだった。二度目は遍路を始めた最初の年の二〇〇一年十月、小高い丘の上に造られた第二南国公園墓地に田尻さんの墓を訪ねた。晴れ渡った南国土佐の秋空の下で、水をあげ、花を供えた。「海の男は海をみたいだろうに」と呟くと、なぜか感傷的な涙が溢れて止まらなくなった。なんだこの涙はと自分自身におどろきながら泣いていた。
 田尻さんを藤沢の病院に見舞いにいった日の出来事を思い出した。「もう永くないらしいからいまのうちに見舞いに行こう」とエネルギージャーナルの清水文雄、禁煙運動の渡辺文学さんらと連れ立って病室に入った。さぞかしやつれているだろうとの想像を覆して、田尻さんはベッドの上に居ずまいを正して端然と座っていた。そして次の言葉に驚かされた。「諸君、今日は君たちに暴露することがある」というのだった。唖然とするわれわれに田尻さんは続けて「じつは僕は大腸がんが肝臓に転移して、いまこれとたたかっている最中だ」と自らのがんを告白した。意気昂然としてとても命旦夕に迫った人とは思えなかった。あまり長居してもと早々に辞去したが、田尻さんは一人一人と握手を交わした。私も最後に握手した。おどろくほど頑丈な掌で、痛いと思うほど堅く握った。それはまぎれもなく「海の男」の手だった。いまでもあの強烈な握手の感触は忘れられない。
●海の男のダンディズム
 後に聞いたY女史の話では「肝臓にがんが転移したことは本人には隠し通していたはず、トミさんたちにそんな話をしていたなんて夢にも知らなかった」という。田尻さんを見舞った翌日の夕刻、私は市民運動センターの須田春海氏と会っていた。「いやなかなか元気そうで、握手にもすごい力があった」と話している最中、須田氏に電話が入った。「仲井さん、田尻さんが先ほど亡くなったそうです」。やられた、と私は思った。死の前日、端然と居ずまいを正してわれわれを迎え入れ、がんを堂々と告白し、そして最後の握手にも渾身の力を込めた。まさに海の男のダンディズムを見せつけて逝ったのだ。港々の酒場で修行したカラオケは玄人はだしで哀愁のある歌い手だった。ダンス教師の資格を持ち、踊る姿は颯爽としてダンスホールの女性のみならず男性をも魅了した。海の男田尻宗昭の最後の握手を思い出して「海が見たかろうに」と涙したのだった。
 海見えぬ男の墓に秋の風 漫歩


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No title

私もなんだか、鼻の奥がツーンときました。カッコいい人がいるんですね、徘徊さんのまわりには。姐さんも田尻氏のようにありたいです。人のつながりは大事に、大事にしようと思います。
ようこそ!「老人はゆく」へ
「老人はゆく」へようこそ

徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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