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百歳の句集 朝山義高『高嶺村』を読む

百歳の句集 朝山義高『高嶺村』を読む 17・9・26
 9月初めの定例句会で、規子先生から愛媛県久万高原に近いところにお住いの百歳の朝山義高さんという方の句集『高嶺村』を紹介して頂いた。句会のはじめには、いつもさまざまな俳人の句集紹介の時間があるのだが、今回は百歳の俳人ということで興味を持った。しかも朝山さんは、私が延8年間の四国歩き遍路で最も有難いお接待を受けた愛媛県久万高原の奥にお住いのようである。先生にお願いして本をお借りして読んだ。実に興味深い。年を取ったせいか、若い俳人より年老いてなお俳句を作り続けるような先達に心引かれる。そして『高嶺村』を読了してわかったことを漫歩の推察を交えて書いてみた。
 著者のあとがきによると、平成5年77歳のとき、広田俳句教室に入会、後に砥部金曜句会に参加するようになった、と記している。そして「この度、百歳を迎え、これを記念して、愛媛若葉会の髙岡周子先生のお力添えを賜り句集を出すことになりました」と述べている。しかし朝山さんの住所も電話も句集に載っていない。
◆戦争で徴兵北満での軍隊生活
 この方が、どういう人生を送って、百歳まで久万町もしくは砥部町の山奥の村で自立した一人の生活を送っているのか知りたくなった。だがそれは俳句を通じて類推するしかない。まずこの方の年齢百歳は、昭和より以前大正6年生まれだとわかった。私の二人の叔父はともに徴兵されて戦争に連れ出され二人とも生きて還らなかった。長男の叔父は昭和13年に召集され、同年北支派遣軍として参加、昭和14年河北省隆平に於いて戦病死した。指折り数えてみると、朝山さんはちょうど叔父と同年輩の方である。生きておれば叔父は百歳なのだと思った。朝山さんは、召集されて北満に派遣されたらしい。
 北満の立哨偲ぶ虎落笛 ニイハオを交せし記憶黄砂降る 皸復員の飢ゑを凌ぎし心太 などの句にそのことを推察することができる。
 久万高原の奥の高嶺村は雪深く、馬車で物を運んでいた。私の故郷の岡山県鏡野町越畑も鳥取県境に近い山村で、祖父は馬車曳きだった。物を運ぶのにトラックなどは戦後の話で、木材、木炭などはすべて馬車に乗せて山道を下った。それと同じことを朝山さんの家も先祖代々やっていたらしい。そして北満に召集された朝山さんは、軍馬を使って荷物を運ぶ、輜重部隊に配属されていたと思わせる。 蹄鉄師住みしはここら花はこべ 父の日や父の形見の馬の鈴 落馬せし傷跡疼く今朝の雪 蹄洗いの皸兵を泣かしけり
 朝山さんは百歳にしてなお母恋の句をつくる。母親は早く亡くなったのであろう。12歳で敗戦の年に母を失った漫歩も、その哀切な想いを共有する。 根の国の妣にかたりぬ柏餅 久万山は妣の故郷麦こがし 妣の忌や庭を離れぬ夕蛍 御詠歌のどこか妣似の冬遍路   
◆脱藩の道に通じる久万高原
 久万高原には山間の難所として知られる名刹、44番大宝寺、45番岩屋寺がある。朝山さんは遍路関係の句も多い。 勅使橋渡る子連れの秋遍路 接待の葛湯に読経老へんろ ちやんちやんこ召され札所の水子札 逆打の遍路大師に見えむと  
 高知からの山越えの道は明治維新の脱藩の道でもあった。志士たちは大門峠を越えて久万町から松山に下り、松山港から船で大阪に向かったのだ。坂本龍馬もその一人だった。朝山さんは詠んでいる。  竜馬越ゆ大門峠黄菅咲く 脱藩の雀隠れの道急ぐ
 朝山さんのひとり暮らしの愉しみの一つは、お盆や正月に帰って来る子や孫と酒を酌むことだ。しかも近くに同じく百歳を過ぎた友人もいる。百歳にしてなお健康なひとり暮らしだ。わが風鈴会には、間もなく90歳をむかえる佐藤稔山老が万病を克服して健在である。この方々に較べれば、84歳の漫歩などまだ青二才だなと思ってしまう。 
 正常と医師の一言冬ぬくし 赤丸は子らの来る日や新暦 百越えし友と筆談年惜しむ< まだ生きる積り糸瓜の種をとる/span(注)現在高嶺村という地名はない。合併によって統合されたのである。     
  初句集為して白寿の秋日和 漫歩
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徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
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路上公園などの観察、
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