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逆縁に泣く祖母や母親 逝く人たちのこと 17・⒓・10
 「老いるとは未知との出会い桐一葉」という句は、私の俳句の先生でもあった栃木市の富田昌宏さんの名句である。なるほど、たしかに人間は年を取るほどさまざまな出会いがある。生老病死のすべてを味わう年齢なのである。11月の下旬、一枚のハガキが来た。メール友達のユキミ姐さんからだ。彼女は現在、国際交流基金の仕事でスペインのブエノスアイレスに滞在している。それが国内からハガキを送ってきた。それを読んで愕然とした。中身は要旨以下のような文面だった。
 ー徘徊さんお元気ですか。いつもブログ読んでいます。いま私は一時緊急帰国中です。婿さんが11月6日、刈り入れ中の機械に巻き込まれ、即死しました。(36歳) 娘は4人の子供を残されました。明日、私はブエノスに戻ります。悲しいです。ー
 ユキミさんは、数年前ブエノスアイレスから帰国した。そしてわたしの親友だったマスノさんが主催するメールグループのメンバーとして参加した。彼女の娘さんは岩手県の農村の若者と結婚し教員をやっているそうだ。ユキミさんも4人の孫の面倒を見るために、一年の半分くらいは岩手県に行っていた。慰める言葉もない。
 昨年も同じような逆縁に泣く母親が居た、旧知のミヤザキさんだ。事務所を訪れた時、わっと泣き出した。わけを聞くと「今年の3月に39歳の一人娘が心不全で急死した」というのだ。元気に前日ゴルフをやって帰宅した。それが翌日車の運転中に心不全で急死したとか。これもショックだった。ミヤザキさんは、一人娘を亡くして夫と二人になった。そしてもう墓は作らないと決めた。娘の骨は海に散骨した。自分たちも将来は、同じように海に散骨してもらう決意だ。
 逆縁とは、仏の教えを素直に信じない(縁に背く)こと、またはそのような救い難い人をいう言葉だったが、転じて子が親より先に死ぬことを逆縁と言うようになった。先のシナ事変や太平洋戦争では、320万人の犠牲者が出たが、多くは戦争に駆り出された若者が死んだ。日本国中の親たちが逆縁に泣いた時代である。戦後72年の今日では、数少なくはなったが、幼子や成人した子供たちに先立たれて泣く親たちの悲しみは後を絶たない。
 この春から半年近く消息のない富山の親友がいた。二十歳代からの友人で奥さんも良く知っている。いくら携帯に電話しても留守電ばかりだ。そして自宅の固定電話もベルは鳴るがまったく反応がない。これは亡くなったのか病気なのかいずれかだろうと想像していた。12月半ばにその奥さんから電話があった。「主人は昨年の暮に脳梗塞で倒れ療養中です」と言う話である。電話に出なかったのは、脳こうそくで寝たきりで言葉も出せなくなった。一年間のリハビリでやっと片腕動くようになった。声も少し出せるようになったので電話した、というのだった。友人と話をした。「ああ、うう」くらいで意味不明だがやっと声を聴くことが出来た。来年の春には会いに行くから待っていて欲しいと言って電話を切った。雪が消えるころには富山の親友に会いに行こう。
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徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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