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懐かし哀し年賀状の友たち 

懐かし哀し年賀状の友たち 018・1・8
 数年前から年賀状をやめた。八十歳になったころだ。今後は義理や人情というものを捨てようと思ったからだ。年賀状を出さないでいると年々数は少なくなる。だんだん友人知己も亡くなったり、闘病中となったりで、今や年賀状の数は数十枚というところだ。その方々には寒中見舞いということにして、返事をゆっくり書くことにしている。一日に数枚づつくらい書いて出す。
 札幌の南忠夫君は同年輩の85歳だ。彼もそれなりに耳が遠くなったり体力は落ちたらしい。「連日の豪雪と体力の劣化には参りました。でも10月の総選挙では自民9、立憲民主8と互角の闘いを展開しました。憲法が完全実施されるまでは死んではならない。しかし限りある肉体です。千の風になって大空を飛び回る、こと一生懸命研究中です」
 北海道網走郡に独居する86歳の正木老よりは豪雪のなかで車も出せず、郵便配達の女性が来るとき人の顔をみられるそうだ。「来年米寿となります。すっかり老人になりました。諸欲減退の中、食欲だけ旺盛です。大根を干し、蜜柑、柿の皮を干し、久しぶりに沢庵を漬けました。麦飯に味噌汁、鰯の丸干し、佃煮に自家製の沢庵ポリポリが理想の朝飯です」この食欲では当分生きられると言っているみたいだ。
 宇治市の金澤良彦さんからは「元気に徘徊されて居ますか。当方元気に講演活動をしています」と賀状。金澤さん夫妻は四国歩き遍路二回、あまりのごみの多さに驚き、ごみ減量を訴えて鹿児島から北海道までごみ減量を訴え日本縦断を敢行した。そしてもう一度は独りで、今度は省エネを訴えて二回目の徒歩縦断を実行された。尊敬すべきご夫妻である。
 山形の新野祐子さんからは「まだ座敷童子さんとともに旅をしておられますか」とあり、以下の俳句が添えてあった。新野さんとは、かつて1990年代半ばの大規模林道反対運動で知り合った。かつて東京女子マラソンの初期に出場したこともあり、健脚である
 告げたきことついに投函粉雪降る かの世にもぶな林ある聖五月
 秋高し鳶は軌跡を光らせて 人と熊襲い襲われ桃源郷果つ
 1960年代以来の友人、横浜の村田晴雄さんからは例年の如く社会時評の短歌数首。
  人は普通国家を悪と思わぬがその幼さがあなたを殺す
  軍事、防衛、安保、外交、ひれ伏しつくす「美しいい国」
  交易で立国果たし誇りあり琉球王国基地を棄てる日
  70年間戦争だけはしていないこのことだけを言い遺して死ぬか
 古里岡山の旧友の多くはあの世に逝った。それでも小学校の同級生昇君からは毎年賀状が来る。齢85歳にしてなお田圃と畑を耕して生き抜いている。子どもの声ひとつない過疎の里で、黙々と生きてゐる。岡山市の親友田上秀夫からは、以下のような便りがきた。「和田博雄の句、生き死には 風邪にまかせて 風車 ではないが、最近つくづく独り生きてはいるが、長生きし過ぎたのではないか?自ら命を絶つ勇気もなく、だらだら生きてゐる。もはや旅に出る気も亡くなり、ジパング・クラブの会費も止めた」。何処の友も老いを自覚しつつ生きなければならぬ。
  梅古木なほも生きんと冬芽立 漫歩
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徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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