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九段北町内会の先輩加藤宣幸さんの急死 18・3・25

九段北町内会の先輩加藤宣幸さんの急死 18・3・25
 80歳も半ばとなると多くの先輩知友の多くはあの世に逝き、生きてゐても病に倒れたり、あるいは老人施設に入ったりする。これはやむを得ないが寂しいことではある。2月の7日、九段北の同じ町内に住んでいた加藤さんが急死された。加藤さんは四年前に九段北の靖国神社裏側の、九段中学校前のマンションに引っ越して来られた。かつて1955年から70年くらいまでは社会党本部というところで、社会党が一番元気なころに同じグループで行動していた。以降さまざまな変転を経て、2014年のメールマガジン・オルタ発行の際の編集人の一人としてお手伝いすることになった。
 何しろ元気な人だった。2004年にオルタ創刊以来、一人でかつての社会党時代を中心として幅広く人材を集め、それらの方々に執筆を依頼し、徐々に規模を拡大した。私などは1980年代後半からワープロを習い始め、パソコンに移行したのは90年代からだ。加藤さんはどこで学んだのか知らないが、当初からパソコンを駆使してオルタの編集をされていた。それだけでも驚異的だが、その上に当初はパソコンを持たない昔の仲間に、オルタ創刊当時は、これを印刷して郵送していたというから驚きだ。かくしてメールマガジン・オルタは14年余の長きにわたって継続することが出来た。
 私は同じ町内会に住むようになってからは頻繁に加藤さんのマンションを訪れた。何しろ九段北のホテルグランドパレススの脇道の団子坂を上って、靖国神社裏のマンションまで歩いて10分余りだ。当初は坂を上るのがしんどかったが段々慣れてきた。引っ越して二年目の夏には、加藤さんを誘って飯田橋方面に下った途中にある千代田区の小学校のプールが解放されるので、泳ぎに行ったというより、歩きに行った。このプール歩きは加藤さんも気に入ったらしくひと夏プール歩きを楽しんだ。そのうちだんだん忙しくなって三年目からは、しばしば加藤さんのマンションに出かけて打ち合わせすることが多くなった。
 九段下や飯田橋、神楽坂周辺でお茶を飲んだり食事をご馳走になることも多かった。おまけに買い物をするのに、私は九段下から神保町方面の豆腐屋やコンビニが主だったが、加藤さんは、飯田橋方面に詳しくなり「仲井君、飯田橋のスーパーが安いよ」と教わったりして、以降飯田橋のスーパーにも買い物に行くようになった。お蔭で朝のラジオ体操で3千数百歩、神保町近くの豆腐屋往復で3000歩、飯田橋の行くと3000歩と、老人に一万歩は多すぎると言われるが、生活の必要性と必然性で日々一万歩を日課とするようになった。
 加藤さんは自分で料理も作るし買い物もする。まことに93歳とは思えぬ頑健な身体の持ち主だった。私は時々豆腐をとどけたが、加藤さんからは上野のアメ横にある生活クラブが取引をしている店のキムチをしばしば頂いた。亡くなる前日の午後、加藤さんと二人で仕事の打ち合わせをした。帰り際に「加藤さん、貴方が死んだら、これだけの膨大な書籍をどうなるんですかねえ」と言った。加藤さんは「そうだなあ」と言っただけである。死後、加藤さんの遺体の前で4人の息子娘にその話をした。「親父は百歳までいきるつもりだったらしい」という返事だった。最後まで現役編集者だった93歳の闘魂に及ばずながらついて行きたいものだ。
 友逝くや声なく啼けり寒烏 漫歩
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徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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