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清水港の魚市場と次郎長記念館

清水港の魚市場と次郎記念館 18・4・29
 先週水曜日の25日、岡山の旧友87歳と静岡県清水港で再会した。彼は体のあちこち悪く、年賀状では「もう旅行には行けない。ジパングの更新も中止した」と悲観的な便りだった。何しろ膝が悪くバスの一停留場も歩けない。また耳が遠くなって普通の会話ができない。内蔵の手術もして常に体調悪く医者通いだ。それでも、暖かくなったし、清水市は有名なマグロやカツオの市場だ。あそこなら岡山から一本で来れる行ってみないかと誘った。ようやく同意して25日に静岡乗換の新幹線で来て、10時半過ぎに清水駅に着いた。駅に最短の清水シテイホテルに荷物を預けて駅の裏口から三百メートルの距離にある、清水港の魚市場に直行した。
 そこで新鮮な握り寿司を食べた。本場のマグロやカツオの鮨が千円でおつりがくる。今や東京の築地市場は観光客の増加で、昔の面影はない。かつて千円前後で食べられた寿司屋は姿を消した。今では2000円前後に値上がりしている。しかし清水港の魚市場ではその半額くらいで食事できる。その後港内を巡る遊覧船に初めて乗って、未だ行った事のない三保の松原を目指した。三保の松原から見る富士山は絶景と言われている。しかし実際に行ってみるとがっかり。松はかなりの年輪を経た大木が多いが、散在しているし手入れもあまりされていない。おまけにごみや煙草が散らばっている。「来て見ればさほどでもなし三保の松」というところだ。
 三保の松原からは清水駅にかえるバスに乗った。途中にある清水次郎長の生家と記念館を訪ねることにした。清水港船宿記念館「清水次郎長の船宿」末廣を訪ねた。入場料無料で入れる。江戸城無血開城の立役者は勝海舟となっているが、その海舟の使者として駿府城に乗り込んだ山岡鉄舟のことは良く知られている。だがこの鉄舟の西郷との面会実現のために全面的に協力したのが、清水の次郎長だったことはあまり知られていない。次郎長記念館にはその経緯が明らかにされていた。官軍に追われた鉄舟は漁師姿に変装して次郎長に会い、西郷隆盛と会見場所までの護衛を頼んだ。次郎長は鉄舟を武士の姿に変え、官軍の見張りの手薄な久能街道を通って駿府に入り、官軍総司令官の西郷隆盛のもとに無事に届けた。その日のうちに江戸城総攻撃を中止。その後、江戸で勝海舟と西郷隆盛の正式会談がもたれ、大政奉還明治元年となった。かくして次郎長は同年、官軍東征軍判事の伏谷如水から駿府周辺の市中取締役(現在の警察署長)を命ぜられ侠客家業から足を洗うことになる。
 清水の魚市場も価値はあるが、同時に清水次郎長の記念館や生家などは、三保の松原よりも一見に値する。
 87歳の旧友は、初日は痛み止めの注射を打って来たとかで、足腰スムースに、徘徊老人よりも軽やかに前を歩いていた。しかし一夜明けると、効能は薄れたようだ。もはやバスの一停留場も歩いて行けなくなった。短距離をタクシーで魚市場に向かった。お互いに土産のカツオやマグロ製品を買い、お昼前にサヨナラして、彼は静岡経由で岡山で、徘徊は普通列車で三時間余欠けて東京に着いた。確かに時間はかかるが、ゆっくり電車の中で昼寝して帰るのもいいもんだと分かった。老耄進んで旧友との再会は楽しく、かつ寂しいものだと知る。
  耳遠き友との旅は怒鳴りあい 新緑の山の彼方の白き富士 漫歩

  (晩年の清水次郎長)
   
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姐さんもどこか旅をしたくなりました。三崎にはまだ行ったことがありません。小さい時に行ったような記憶があるような、ないような。体調整えて今度行ってみます。徘徊さんには西武線のハイキングも教えていただきました。また、近間のお気に入りの場所、教えてくださいね。
ようこそ!「老人はゆく」へ
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徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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