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樹木希林さんと良寛の句

樹木希林さんと良寛の句 18・⒓・2
 良寛さんのことは好きで何度か新潟に行った時、良寛の住んでいた庵をたずねたり、史跡を辿った。最近読んだ朝日新聞の記事に樹木希林さんと良寛の話が出ていた。今年の9月に亡くなった希林さんは良寛の生き様が好きだったらしい。以下にその要旨を紹介する。
―うらを見せおもてを見せてちるもみぢ 良寛の辞世の句だ。希林さんと長年の友人で、何必館(かひつかん) ・京都現代美術館長の梶川芳友さん(77)はしばしばこの句について語り合った。希林さんはこう語った。「裏から始まる所がすごい。年や経験を重ねても、人間は裏表を持ち続けているという本質を見抜いた人の句ね。こうありたい」
 ふたりは別の良寛の句「散る桜 残る桜も散る桜」も好んだ。誰にの等しく訪れる死に、人は一喜一憂するが、終わりが決まらないのに、そこに至る生き方が定まるわけがない。「そう考えると、心強いわね。でも、死ぬことは誰かの心の中で生き続けることなんじゃないかしら」
何必館には、近代日本画家村上華岳の「大師樹下善那」がある。51歳で早世した雅岳がぜんそくの発作の中で描いた作品で、若き日の釈迦が座禅修行する姿が描かれている。絵には「官能性」「遊び心」と同時に「死への不安」が同居している。希林さんは京都に来るたびにこの仏画に向き合い、「孤独」について語り合った。二人は60歳を過ぎる頃に大病を患った。希林さんは61歳で乳がんになり、梶川さんは60歳のとき心筋梗塞で1カ月間入院した。希林さんはこう言った。「病が不幸だなんて。もったいない。がんは特に残り時間が読めるからありがたいわよ」
 希林さんはがんを機に「所有しない生き方を選び、名刺1枚受け取らなかった。それなのに、2年ほど前、梶川さんに「大師樹下禅那」の複製画を求められた。9月16日。訃報を受け、希林さんの枕元には、あの仏画がかけられていた。晩年は丸くなったという希林さんだが、物事や人に対して厳しい人でもあり、電話でこぼすこともあった。梶川さんは釈迦の弟子の一人、提婆達多(だいばだった)の話をした。釈迦に立てつき、困らせる、みんなが彼を遠ざけた。だが釈迦は「役立つ人だけがいいのではない。困らせる人も己を磨く上で必要だ」と説いた。すると、希林さんは「くつくつ」笑いながら言った。「そういえば提婆達多は私にとっての裕也ね」―(朝日新聞2018・11・29 山内深紗子)
 なかなか面白い話を、朝日の山内記者が書いてくれている。大師樹下禅那の話も良かったが、釈迦を困らせた提婆達多の話が面白い。困らせて嫌な奴と思っていたが、そういう人の存在もあってこそ人世は愉しいものになるのだと気づかされた。
   
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とてもいいお話をありがとうございました。
「困らせる人」ではないけど、障碍児の孫は身体が弱く「心配な子」ですが、私にとっては、生き方を教えてくれる師です。何より可愛く、愛すべき子です。また、先日、ある先輩夫婦(80代初)に心打たれました。夫さんは糖尿病で目と歩行が不自由になりつつあります。でも、オーナー社長で週に2~3回職場に行きます。新聞は赤旗も含めほとんど全紙読みます。私と会った夜はお粒の雨のカーテンが出来ていました。その中、傘もささずにコンビニにその日にまだ読んでいない新聞を妻が買いに走りました。妻も背中が曲がっています。妻はかつて東大闘争での分離裁判組。最後まで数寄屋橋〇〇号と呼ばれていた女性です。一日ぐらい新聞一紙読まなくても、と彼女がコンビニに走る姿を見て私は思いました。我儘な夫、困った夫だな、とも。翌日彼女からメールが来ました「私は自分の姓が××(夫さんの)になったときの、喜びと誇りを生涯忘れない」と。
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徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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