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パーキンソン病の友は練馬から群馬県桐生市へ

パーキンソン病の友は練馬から群馬県桐生市へ 019・10・8
 先月9月17日のブログで、パーキンソン病の友は何処、という記事を書いた。ともかく行方が分からないのだ。しかし練馬の元都議佐々木さんの八方手を尽くしての探索の結果、練馬のM君は何と群馬県桐生市の介護施設にいることがわかった。その介護施設に電話して確かめた。
 昨日、M君の施設に電話して、話しが出来るか聞いてほしいと頼んだ。本人が出て徘徊のことも覚えていた。そして会いに行っても言いかと問うた。会ってもいいよ、という返事で短時間なら話も出来そうだ。そこで11月の1日午後1時桐生の施設に会いに行くことにした。やれやれ一ヶ月近くかかってM君の所在が分かった。当日は横浜市の友人初岡さんと一緒に桐生に行くことにした。
◆死に方も自分で選べない時代となった
 私は長年、生まれるところは自分の意思にかかわりなく選ぶわけには行かない。然し死に方は自分の意思を表明しておけば選べる。ということでお四国歩き遍路を始めて2年目の69歳の時遺言状を書いた。①延命治療はお断り、②葬儀は人に言わず家族葬のみ、葬儀場での直葬で、③偲ぶ会などは一切お断り等々である。
 もう男の平均寿命を数年以上過ぎた人間が葬儀などやる必要はない。然し最近さまざま友人知人の死に方を見ていると、そう簡単ではない。
 たとえば1970年から公害研の月刊環境破壊の編集長だった奥沢喜久江さんは、常々言っていた。私は死後は献体をすることにしているから、誰にも迷惑はかけませんと。ところが彼女は愛猫家だった。猫の病に病院通いで苦労した。その疲れのせいで猫は元気になったが、彼女はお風呂に入って溺死した。
 溺死になると当然警察の調べがあり、警察病院で調べられる。いったんメスが入ったら献体は受け付けない。従って生前の思惑はパーになった。葬儀のためにきた彼女の姪や甥はまったくお金も引き出せない状態で大変苦労した。
 私の友人、知人の多くは突然死、事故死がじつに多い。ましてや昨今は、老人の車の運転で老人や若者、子供まで巻き込まれる事故が頻発している。いくら死に方を決めていてもいつ突然事故に合う可能性もある。
 私の祖父母は1957年相次いで亡くなった。二人の男の子はすべて戦争で死んだ。母も敗戦の年の四月に肺炎で死んだ。すべての子供に先立たれてさびしい老後を過ごした。そして、祖父が数え年77歳で逝き、祖母も同年病に倒れた。そして病院に連れて行こうとした直前、ちょっと目を離した隙に首吊り自殺した。
 口うるさい祖母で、祖父はいつも苛められていたが、祖母の最後はさすがだった。当時病院に行くということは死ぬことと同義語だった。祖母は自ら死に方を選んだ。私は祖母の最後を見習いたいと思っている。
   夜なべして 炭俵編みし 祖母のこと 漫歩

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ご無沙汰です。お一人おひとり順番で友人が、現世とは違う世界へ旅立ち、皆さんのすぐあとを追う自分がいます。パソコンのメルアドに近況を送りました。無事に届いていればいいのですが……。
ようこそ!「老人はゆく」へ
「老人はゆく」へようこそ

徘徊老人

Author:徘徊老人
88歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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