沖縄本土復帰45周年 差別と基本的人権無視

沖縄本土復帰45周年 差別と基本的人権無視 017・5・15
  今日は沖縄の本土復帰45周年である。今日送られてきた『「立憲フォーラム通信694号』」(5月15日号)に以下のような記事があった。『オキナワと憲法』(法律文化社)や、『沖縄・読谷村の挑戦』(岩波書店)などの著書を出版し、メディアや現地での講演している早稲田大学教授水島朝穂さんの「直言」が載せられていた。以下に紹介する。
ー私は20年以上、沖縄の問題について発言・発信してきた。目下、安倍政権は、沖縄県や県民の主張に一切聞く耳をもたぬという姿勢を貫いている。ここまでかたくなで、あからさまな態度をとった政権はこれまでになかった。「沖縄は日本ではない」という植民地感覚が米軍にも中央官庁の出先にもあり、政府も沖縄に対しては、本土の地方自治体には決してとらない強引かつ傲慢なやり方で押し通す。菅義偉官房長官は、45年前まで「植民地総督」(琉球列島高等弁務官)が使っていた「ハーバービュークラブ」跡に立つホテルに翁長沖縄県知事を呼びつけ、沖縄県民の怒りをかった。
 北部の高江で起きている現実は、昨年私も直接目撃したが、これが本土のどこかで起きれば大騒ぎになるのに、メディアの「静けさ」は一体何だろう。本土の人々の沖縄への無関心は、「(北緯27度線の)海に見えない線が引かれて、沖縄の人々は本土と切り離された」状態を許している。トランプ政権の誕生を契機に、直言「「壁」思考の再来」を出したが、これをヒントにした朝日新聞の企画「分断世界「壁」は何を守るのか」(『朝日新聞』2017年5月6日付)のなかで、私は、「北緯27度線に「壁」がある。沖縄と本土を隔てる海上に一線が引かれている」と語っている。いま、「本土の沖縄化」と「沖縄の復帰前化」が進んでいる(『週刊金曜日』2017年4月28日/5月5日合併号31頁の拙稿の指摘)。―
◆本土の改憲反対63%、沖縄の反対44,2% 悲痛な戦争体験忘れるな
 水島教授の指摘の通り、沖縄に対する差別と米軍基地の押しつけはまったく米軍占領時代と変わっていない。復帰45周年の今日も、米軍占領時代に作られた日米地位協定はまったく改正されていない。2009年、民主党政権がマニュフェストで、その改定をすると約束したが、辺野古基地反対から容認へ変わった時点で、民主党も日米地位協定改定を一切言わなくなった。
 朝日新聞が四月に調査した改憲について世論調査では、憲法9条は「変えないほうがよい」63%(昨年調査68%)、「変えるほうがよい」29%(同27%)。安倍政権下での改憲に「反対」は50%(同58%)、「賛成」は38%(同25%)。
 琉球新報社は3日の憲法記念日に合わせて4月末、憲法9条の改正是非について、沖縄県民を対象に電話世論調査を実施した。憲法9条に関する質問では「堅持すべきだ」との回答が44・2%で最も多く、「改正すべきだ」の21・7%を22・5ポイント上回った。賛否保留が多くなっていることに注目すべきだ。沖縄は憲法九条ともっとも遠い存在となっているのだ。




簡素な生活③清貧」ムヒカが見た日本

簡素な生活③清貧」ムヒカが見た日本 17・5・11
 南米ウルグアイから、前大統領のホセ・ムヒカさんが初めて日本にやって来たのは昨年4月のことだった。1週間の滞在中、東京や大阪の下町を歩き、多くの学生とも触れあった。「清貧」を貫く哲人政治家の目に、日本の何が、どう映ったのか。朝日新聞の記者が、首都モンテビデオにムヒカさんに会いに行った。以下はその記事の要旨である。簡素な生活ということを考える上で、世界一貧しい大統領と呼ばれた男。ムヒカさんの幸福論に多くの共通点を感じる。
―◆ロボットは消費をしない 日本を訪ねて見えたものは、一つ心配なことを発見した。というのは、日本は技術がとても発達した国で、しかも周辺には労働賃金の安い国がたくさんある。だから日本は経済上の必要から、他国と競争するために、ロボットの仕事を増やさないといけない。技術も資本もあるから、今後はロボットを大衆化していく最初の国になっていくのだろう。ただ、それに伴って、これから日本では様々な社会問題が表面化してくるだろう。いずれ世界のどの先進国も抱えることになる、最先端の問題だ。確かに、ロボットは素晴らしいよ。でも、消費はしないんだから。
 日本人は親切で優しく勤勉だがイカれている 「世界で一番、勤勉な国民はドイツ人だと、これまで思っていたが、私の間違いだった。日本人が世界一だね。だが京都で泊まったホテルで、『日本人はイカれている!』と思わず叫んでしまった夜がある。トイレに入ったら、便器のふたが勝手に開いたり閉じたりするんだから。あんなことのために知恵を絞るなんて、まさに資本主義の競争マニアの仕業だね。電動歯ブラシも見て驚いた。なんで、あんなものが必要なんだ? 自分の手を動かして磨けば済む話だろう。無駄なことに、とらわれすぎているように思えたね。それに、あまりにも過度な便利さは、人間を弱くすると思う。
 「とても長い、独自の歴史と文化を持つ国民なのに、なぜ、あそこまで西洋化したのだろう。衣類にしても、建物にしても。広告のモデルも西洋系だったし。あらゆる面で西洋的なものを採り入れてしまったように見えた。そのなかには、いいものもあるが、よくないものもある。日本には独自の、とても洗練されていて、粗野なところのない、西洋よりよっぽど繊細な文化があるのに。その歴史が、いまの日本のどこに生きているんだろうかと、つい疑問に思うこともあった。
◆豊かな国ほど幸福について心配する 2015年に大統領を退いてから訪れた国は トルコ、ドイツ、英国、イタリア、スペイン、ブラジル、メキシコ、米国だ。行った先で私はよく大学を訪れる。年老いてはいるが、なぜか若者たちとは、うまくいく。そこで気がついたんだが、どこに行っても、多くの人が幸福について考え始めている。日本だけではない。どこの国もそうなんだよ。豊かな国であればあるほど、幸福について考え、心配し始めている。南米では、私たちはまだショーウィンドーの前に突っ立って、『ああ、いい商品だなあ』って間抜け面をしているけれど、すでにたくさんのモノを持っている国々では、たくさん働いて車を買い替えることなんかには、もはや飽きた人が出始めているようだ。
 おそらく、自分たちは幸せではない、人生が足早に過ぎ去ってしまっている、と感じているからだと思う。これだけ物に溢れているのに幸福度ランキングだと、日本は53位だそうだ。「東京は犯罪は少ないが、自殺が多い。それは日本社会があまりにも競争社会だからだろう。必死に仕事をするばかりで、ちゃんと生きるための時間が残っていないから。家族や子どもたちや友人たちとの時間を犠牲にしているから、だろう。働き過ぎなんだよ。もう少し働く時間を減らし、もう少し家族や友人と過ごす時間を増やしたらどうだろう。あまりにも仕事に追われているように見えるから。人生は一度きりで、すぐに過ぎ去ってしまうんだよ。―(2016年12月23日 朝日新聞)

洲崎美子さん96歳の死 延命拒否の遺書 17・5・5
 このブログでも何度か紹介した、松本市の郵便友達の洲崎美子さんが逝去された。大正9年(1920)3月17日生まれで、昨年12月13日没、享年96歳。初めてお会いしたのは2013年の5月、娘の木島知草さんが長年続けている人形劇の例会に参加した時だった。以来まる3年余手紙のやり取りをしていた。25歳でブーゲンビル島で飢え死にした叔父と同年代の人だった。筆字で時には水墨画を交えたお便りを楽しみに文通していた。人形劇で全国を歩いている娘の知草さんの留守を一人で守り、後顧の憂いなく活動をさせた。そして以下の遺書を千草さんの『風知草通信』で見せていただいた。
 洲崎美子のリビングウイル(遺書)
 私は現在95歳6ヶ月、長い人生を生きてきました。43歳で夫卓夫を亡くして中三の長男と小五の長女二人の子供をかかえて悲しむ暇もなく、如何に生きるか、それのみでした。でも二人の子供は立派な社会人として自分の生きたい道に生き、私も私なりに多くの方々の友愛と支援に包まれて私らしく仕事に喜びを見出して、72歳まで現役で働き、充実した人生を生きて参りました。今はとても倖せです。
 それ故に人生の最後は、いえ最後も自分らしく終りたいと思っています。誰にも御迷惑をかけず生命がつきるのを願っております。でも世の中そう思う様にはなりませんね。でも意思を失なっているとか、呼びかけても少し反応するだけの状態でしたら決して救急車を呼ばない事。既に病院にいるなら人工呼吸器をつけない事。但し苦しんでいる様でしたら痛みを柔らげるケアはしてください。延命のための治療は何もしない事。今私の命を少しでも延ばそうと力を尽くして下さっている方に感謝を致しますが恐れ入りますが、私の願い通りにして下さい。この事は二人の子供にも話して承知して了解を得ております。
 最後の今一度、延命治療はなさらないで下さい。私の最後のお願いです。どうかかなえて下さい。 平成二十七年 松本市井川域3町内7-6  洲脇美子
証人 木島千草 木島恭
 千草さんの『風知草通信』には以下のように書いてあった。
―島根の海の町から信州の山の街に住み(72歳から仕事をやめて24年間)96歳と9カ月生き抜いた母でした。死を意識して遺言書、日記もつけ続けていて、家族でよく看取りの話もしていました。私のとなりの長屋で元気な時は畑、花、お茶を点て、水墨画、老人大学、地域の老人会にも出ていき、愛犬と散歩したり、料理も好きで梅干、ぬか漬け、らっきょう、からし漬け、掃除、洗濯など、自立した老後の生活を楽しんでいました。新聞も隅々まで読み、政治や社会の話も意見交換しました。(中略)余命2カ月を宣告されてから、家で看取ってほしいという願いどおり・・苦しむこともなく私の胸の中で息を引き取りました-

岡山の老友に教わる東京名所2

岡山の老友に教わる東京名所2 17・5・1
 岡山の友人Tは4月27日、3泊4日の東京滞在を経て帰った。一日目は、まだ行ったことのなかった新井薬師にお参りした。二日目には日本橋三越前の通りを入ったところにある、福徳神社に参詣した。ここは二代将軍徳川秀忠の創建したといわれ。子宝、安産を願う神社として古来知られている。また宝くじの運がつくというので有名だという。Tはそこで、例によって御朱印をもらい、宝くじ当選の祈願をした。毎年、宝くじを西銀座の宝くじ売り場で買って送っているが、当ったという報告はない。それでも宝くじを買って行くのである。福徳神社から、日本橋を銀座に向かって数分歩き、高島屋に入った。
 彼のテレビで仕入れた情報によると、高島屋の屋上には植物を植えた庭が作られていて実にきれいだったという。ところが、当日は屋上ガーデンは整備中とかで中に入れてもらえなかった。そこでまた例の410円タクシーに乗って有楽町駅まで出て、そこからJRで御徒町駅へ、彼が東京で最も愛するアメ横での買い物である。彼の目的は、アメ横最大の店である「二木の菓子」というお店でスナック類を購入することだ。岡山でよく行くバーの女将さんにも喜ばれるというので、大量のスナックを買い込んだ。さらにこれも顔なじみのアメ横で有名なピーナツ屋で30から40袋のピーナツを買い込んだ。なにしろ1000円で、およそ10袋はある。どうみても大サービスである。昔からアメ横はよく歩いたが買い物はしなかった。彼のおかげでアメ横を歩く楽しみを知った。中には年季の入った豆類専門の店があって、しっかりとした品物を売っていることも彼のおかげで知った。
 三日目は、ホテルから電話がかかって、九段坂を上がって国会方面に向かう通りにある二松学舎大学に夏目漱石の展示が在るから行きたいという。近くでもあるし、やっているかどうかを確かめるために9時半ころ、二松学舎一号館に行った。あいにく当日は催しはやっていないが、すでに地下一階の食堂は開いていた。中を覗いてみると学生食堂は100円の朝食をやっている。学生だけが対象らしい。しかしそれ以外の食事は一般の人も出入り自由である。昼間は最上階の12階では、眺めのいいレストランで食事が出来る。東京の大学レストランのランキングで上位に入っている、いま人気の学生食堂だと聞いた。九段下に30年も住んでいて初めて知ったことだ。その後疲れを取るために、温泉に行くことになった。
 これもKが仕入れたテレビ情報による、東京巣鴨の極上癒し温泉「染井温泉」,に向かう。染井吉野発祥の地に立地する癒しの天然温泉である。三田線の神保町まで410円のタクシーに乗り神保町から巣鴨に向かう。巣鴨はぽっくり寺として知られる「とげぬき地蔵」の高岩寺に何度も出掛けている。しかし染井温泉というのは初めて知った。巣鴨の地下鉄を上がってから温泉専用のバスが5分おきに出ている。入湯料金は1200円、新しい温泉には誇大広告があって失敗することも多いがここは違った。お湯も38度台から42度位まで、好みに合わせられる。清潔で上がってからのマッサージ、休憩室、食堂と整備され高くはない。従業員も親切丁寧で気に入った。連休明けに行ってみたい気分させる温泉であった。岡山の老人に東京の名所を案内された佳き3日間だった。

岡山の老友に教わる東京名所

岡山の老友に教わる東京名所 17・4・27
 岡山市の老友Tが上京してきた。彼は当年86歳、私より2歳年上だ。毎年一二回は東京及び東京近辺を目指してやって来る。お互いに年を取った。何しろ昨年までは地下鉄に乗って移動したが、今年からは地下鉄はイヤだという。理由は東京の地下鉄は階段が多くて歩きづらい。しかも多くの路線が集まる大手町駅に至っては、乗り換えるのに延々数百メートルを要する路線もある。足の悪い彼は、初日に足を痛めて歩けなくなってしまった。よって今年は地下鉄には乗らないで、都バス中心に計画を組んでくれという連絡が来た。「もう年だからこれが最後だと思う」と付け加える。毎年、来るたびに今年こそ最後というが、なかなか死にそうにはない。
 老友Tは20年前に夫人を癌で失い、息子も家を出て今は一人暮らしだ。おまけに老年と共に、さまざまな病苦が襲ってきた。腎臓も片方手術、肝臓も悪い。目も白内障の手術をしてはみたが良くはない。足も膝を痛めて常にサポーターを付けて歩いている。心臓も不整脈で難渋している。したがって病院の検査に行く以外は、自宅にいて、ひたすらテレビを見て生活している。それくらい病名があれば、当然デイサービスの恩恵にもあずかれる。介護施設で送り迎えしてもらえば昼食にもありつける、と勧めるのだが、人とお喋りが嫌だと言って一向に外に出ようとしない。
 その親友Kと24日から26日まで都内を歩いた。1日目は、新宿までJRに乗って下車、そこから徒歩で西武新宿線にたどりつき、約15分の新井薬師駅へ、バスに乗って新井薬師前下車。昼飯を商店街の中華屋で食べる。これも彼がテレビで調べた店らしい。しかし食べ終わって外に出た途端「しまった、隣の中華店だった」という。美味しいという店の並びの中華店に入ってしまったのだ。午後は高田馬場駅からJRに乗って山手線駒込駅へ、有名な岩崎弥太郎の別邸であった六義園へ。駒込駅から1キロ少々の道のりだが、最近タクシー会社が始めた初乗り1K410円を利用して往復する。駒込駅から隣のJR王子駅へ。徒歩数分の北トピアビル17階の展望台から都内を見下ろしす。彼の方がテレビで情報を収集していて都内の名所旧跡に詳しい。もともと旧職は岡山地裁の書記官ときているからメモ魔である。テレビの情報を仔細にメモして送ってくる。それをもとに地下鉄ではなく都バスで移動する道を研究しろというお達しである。こちらも最近では、千代田区に籍を移したお蔭で都内の老人無料パスを頂いた。都営地下鉄とバスには無料もしくは百円払えば載せていただける有難い制度を利用している。というわけで2人でバス中心の都内名所めぐりとなった。
 昨日午前中は、彼のみつけた東京のお寺で有名な新井薬師へ。新宿までJR、西武新宿線で新井薬師駅へ、バスを利用してお寺に行く。そして商店街で彼がテレビで見つけた中華蕎麦屋へ。JR高田馬場駅から山手線で駒込駅、初乗り410円のタクシーで六義園へ、そのあと駒込駅からJRで王子駅、駅近くの王子北トピアビル17階展望台で晴れた青空の東京を見渡す。ともかく岡山の老人は、お寺、神社と高い所が好きなのである。翌日以降もJR、バス、タクシーで地下鉄を敬遠しつつ3泊4日の都内散策を楽しんだ。(以下次回へ)

4月の風鈴会定例句会 17.4

漫歩俳句遊び 4月定例句会 17・4・23
 4月の風鈴会定例句会は、4月7日だった。当日の兼題 長閑、椿 席題 紫、さへずり。漫歩提出句は以下の7句だった。
  清楚とはかくの如きか利休梅 ◎
  花よりも花撮る人の面白き ▽ 
  紫木蓮女王の如く街に咲く ▽
  地に落ちて五辨の椿なほ燃ゆる ▽
  恋ごころ秘すれば一花寒椿 ◎▽
  花咲けど長閑さ遠き被災の地
  猫も人も居眠り長閑春の園 ▽
 先生の選句では「清楚とはかくの如きか・・・」と「恋心秘すれば花の・・・」の2句が特選句に選ばれた。ただし「恋心」の句は、当初は「恋ごころ秘すれば花の寒椿」だったが「恋ごころ秘すれば一花寒椿」と添削された。また句友からは 花よりも、此木蓮、地に落ちて、恋ごころ、猫も人も、の5句が選ばれた。
 漫歩の選んだ7句は以下の通り。特選には「差へずりや礼儀正しき島の子ら」を推した。
  初恋は想ひちぐはぐレンゲ草
  襖絵の墨絵の椿あれは紅
  のどけしや皆寝そべりて牧の牛
  それぞれの旅立ち見てる春の月
  むらさきの祖母の袱紗やこぶし咲く
  主のなきお屋敷静か落椿
  さへずりや礼儀正しき島の子ら 特選 
 次回5月8日、月曜日 兼題 ちんどんや 春深し と決まった。
 四月号の『雛』では、漫歩の提出した句が風神子先生の選句で以下の3句が選ばれていた。また規子先生の選句では、以下の2句が選ばれた。漫歩は「自由とはかくの如きか・・・」と、「寒暁や声なく飛べり・・・」の2句が選ばれたことが嬉しかった。
 風神子選
  自由とはかくの如きか枯れけやき
  懐かしき人の夢見し老いの春
  ポケットのキイ冷え冷えと寒の入り
 規子選
  寒暁や声なく飛べり烏二羽
  手袋の握手なにかが欠けてゐる

会津田島の蕗のトウを九段で 17・4・13
 先週末から今週はじめまで、雨が降り続いて寒い日だった。桜が咲いているというのに、菜種梅雨ともいうべきか、暗いじめじめした憂鬱な日々だった。その11日火曜日の夜、行きつけのカレーの店ベルで、九段近辺に住むベルの常連が集まって、蕗の薹を食べることになった。これは、わが友文学さんが所有する会津田島の800坪の旧家の庭に生えた蕗の薹だった。話は昨年に溯る。九段のラジオ体操の仲間たちは、達磨さんや山ちゃんの先導で、北の丸公園の梅を落として梅酒をつくたりしている。さらに昨年は田安門の石垣の上に蕗の薹がたくさん生え出た。それを採って持ち帰って食べることにした。徘徊も石垣の上を必死の思いで、蕗の薹取りをした。
 その蕗の薹を九段のカレー屋ベルに持ち込んだ。30年間通っているベルのママに頼んで天ぷらに揚げてもらった。それがまことに美味であったので、今年もと狙ったが、取り過ぎたせいか、今年はまったく蕗の薹にお目にかかれなかった。文学さんがようやく雪の消えかけた会津田島町の旧居の雪囲いを外したり、住いの周辺を整備するために会津に行っていることを知った。そこで彼に電話した。「旧居の庭に蕗の薹は出ていないか。出てゐたら食べたいから持って帰ってほしい」と頼んだわけである。ところが、ことしの春はまだ遠かった。「まだ庭の雪が消えていないので蕗の薹にはお目にかかれない」という。東京ではとっくに蕗の薹の季節は過ぎ去っているのに、会津の春はまだ遠いのだ。    
先週の末に文学さんから電話があった。「先日来の雨のせいで800坪の庭の雪が消えてきて蕗の薹が顔を出してきた。帰るまでには蕗の薹を摘んで持ってかえります」いうのだ。バンザイ。近隣のベルの常連に声をかけた。蕗の薹の天ぷらをご馳走するからいらっしゃい、と連絡した。近く都営マンションで急死した南さんの知り合いの女性らもかけつけた。渡辺夫妻他数名のメンバーで南さんを偲びつつ、ベルのママのお陰で、揚げたての蕗の薹天ぷらを心行くまで賞味した。文学さん自身も「揚げたての蕗の薹は実に美味しかった。会津では近所の方から蕗の薹の天ぷらを頂いたが冷えていた。今夜のような揚げ立てをすぐ食べるというのでは全く味が違う」という。
 南さんが居たらカラオケの一曲も出る筈だが彼は居ない。替ってウクレレを持参した文学さんがお得意のハワイアンやロシア民謡などを独演二回。大いに盛り上がった「蕗の薹を食べる会」だった。これに味を占めて、来年も何とか会津田島の蕗の薹をと思って居る慾張りの徘徊である。昨夜12日は、定例の九段二水会の句会だった。互選句は以下の4句。  
 郷の春隣家の猫も挨拶に 文里 残雪が溶けて顔出す蕗の薹 文里
 菜の花や街の外れを川沿いに 游子 菜の花の散るを待たずに君逝けり 漫歩



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徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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