4月の風鈴会定例句会 17.4

漫歩俳句遊び 4月定例句会 17・4・23
 4月の風鈴会定例句会は、4月7日だった。当日の兼題 長閑、椿 席題 紫、さへずり。漫歩提出句は以下の7句だった。
  清楚とはかくの如きか利休梅 ◎
  花よりも花撮る人の面白き ▽ 
  紫木蓮女王の如く街に咲く ▽
  地に落ちて五辨の椿なほ燃ゆる ▽
  恋ごころ秘すれば一花寒椿 ◎▽
  花咲けど長閑さ遠き被災の地
  猫も人も居眠り長閑春の園 ▽
 先生の選句では「清楚とはかくの如きか・・・」と「恋心秘すれば花の・・・」の2句が特選句に選ばれた。ただし「恋心」の句は、当初は「恋ごころ秘すれば花の寒椿」だったが「恋ごころ秘すれば一花寒椿」と添削された。また句友からは 花よりも、此木蓮、地に落ちて、恋ごころ、猫も人も、の5句が選ばれた。
 漫歩の選んだ7句は以下の通り。特選には「差へずりや礼儀正しき島の子ら」を推した。
  初恋は想ひちぐはぐレンゲ草
  襖絵の墨絵の椿あれは紅
  のどけしや皆寝そべりて牧の牛
  それぞれの旅立ち見てる春の月
  むらさきの祖母の袱紗やこぶし咲く
  主のなきお屋敷静か落椿
  さへずりや礼儀正しき島の子ら 特選 
 次回5月8日、月曜日 兼題 ちんどんや 春深し と決まった。
 四月号の『雛』では、漫歩の提出した句が風神子先生の選句で以下の3句が選ばれていた。また規子先生の選句では、以下の2句が選ばれた。漫歩は「自由とはかくの如きか・・・」と、「寒暁や声なく飛べり・・・」の2句が選ばれたことが嬉しかった。
 風神子選
  自由とはかくの如きか枯れけやき
  懐かしき人の夢見し老いの春
  ポケットのキイ冷え冷えと寒の入り
 規子選
  寒暁や声なく飛べり烏二羽
  手袋の握手なにかが欠けてゐる

会津田島の蕗のトウを九段で 17・4・13
 先週末から今週はじめまで、雨が降り続いて寒い日だった。桜が咲いているというのに、菜種梅雨ともいうべきか、暗いじめじめした憂鬱な日々だった。その11日火曜日の夜、行きつけのカレーの店ベルで、九段近辺に住むベルの常連が集まって、蕗の薹を食べることになった。これは、わが友文学さんが所有する会津田島の800坪の旧家の庭に生えた蕗の薹だった。話は昨年に溯る。九段のラジオ体操の仲間たちは、達磨さんや山ちゃんの先導で、北の丸公園の梅を落として梅酒をつくたりしている。さらに昨年は田安門の石垣の上に蕗の薹がたくさん生え出た。それを採って持ち帰って食べることにした。徘徊も石垣の上を必死の思いで、蕗の薹取りをした。
 その蕗の薹を九段のカレー屋ベルに持ち込んだ。30年間通っているベルのママに頼んで天ぷらに揚げてもらった。それがまことに美味であったので、今年もと狙ったが、取り過ぎたせいか、今年はまったく蕗の薹にお目にかかれなかった。文学さんがようやく雪の消えかけた会津田島町の旧居の雪囲いを外したり、住いの周辺を整備するために会津に行っていることを知った。そこで彼に電話した。「旧居の庭に蕗の薹は出ていないか。出てゐたら食べたいから持って帰ってほしい」と頼んだわけである。ところが、ことしの春はまだ遠かった。「まだ庭の雪が消えていないので蕗の薹にはお目にかかれない」という。東京ではとっくに蕗の薹の季節は過ぎ去っているのに、会津の春はまだ遠いのだ。    
先週の末に文学さんから電話があった。「先日来の雨のせいで800坪の庭の雪が消えてきて蕗の薹が顔を出してきた。帰るまでには蕗の薹を摘んで持ってかえります」いうのだ。バンザイ。近隣のベルの常連に声をかけた。蕗の薹の天ぷらをご馳走するからいらっしゃい、と連絡した。近く都営マンションで急死した南さんの知り合いの女性らもかけつけた。渡辺夫妻他数名のメンバーで南さんを偲びつつ、ベルのママのお陰で、揚げたての蕗の薹天ぷらを心行くまで賞味した。文学さん自身も「揚げたての蕗の薹は実に美味しかった。会津では近所の方から蕗の薹の天ぷらを頂いたが冷えていた。今夜のような揚げ立てをすぐ食べるというのでは全く味が違う」という。
 南さんが居たらカラオケの一曲も出る筈だが彼は居ない。替ってウクレレを持参した文学さんがお得意のハワイアンやロシア民謡などを独演二回。大いに盛り上がった「蕗の薹を食べる会」だった。これに味を占めて、来年も何とか会津田島の蕗の薹をと思って居る慾張りの徘徊である。昨夜12日は、定例の九段二水会の句会だった。互選句は以下の4句。  
 郷の春隣家の猫も挨拶に 文里 残雪が溶けて顔出す蕗の薹 文里
 菜の花や街の外れを川沿いに 游子 菜の花の散るを待たずに君逝けり 漫歩



辺野古の現場から毛利孝雄のレポート 

辺野古の現場から毛利孝雄のレポート 17・4・9
 友人の毛利孝雄氏から、2017年3月25日の「辺野古新基地建設断念を求める県民集会-3500人超が辺野古ゲート前を埋める」が送信されてきた。しばしば辺野古の現場に出かけて貴重な体験を報告して下さる。以下は毛利氏による、3月末の辺野古現地集会の報告だ。
―翁長雄志知事「埋立承認必ず撤回」「闘いは新たなステージに」山城博治さん「沖縄の誇りある心を折ることはできない」。政府による辺野古工事再開強行から3カ月。久しぶりの大きな取り組みとなった「3・25違法な埋立工事の即時中止を求める県民集会」(辺野古に新基地を造らせないオール沖縄会議主催)。小雨のなか、辺野古ゲート前は各地から押し寄せる人波で埋まった。
 集会前段には、1週間前に保釈された山城博治さんが登壇。支援の感謝とともに「どのような暴力が振るわれても、機動隊が何百・何千と来ても、私たち県民の誇りある心を折ることはできない」との訴えに、参加者からは“博治コール”が起きた。11時に始まった集会は、オール沖縄会議共同代表の玉城愛さん、呉屋守將氏、県政策調整監に就任予定の吉田勝廣氏、稲嶺進名護市長、県選出国会議員らが次々に決意を表明。最後に登壇した翁長雄志知事は、「沖縄の新しい闘いがまたこれから始まるということで私も参加した」「辺野古新基地阻止の闘いは新たなステージに入った」として、辺野古埋立承認に関し「あらゆる手法で撤回を必ずやる」と初めて明言した。
 「島ぐるみ那覇の会」のバス10台の添乗員のひとりとして参加した長堂登志子さんは、集会参加した人たちの思いを次のように語る。「県庁前からは3台出したが、3台とも満員の60人で乗れない人も出た。9時30分出発なのに7時から県庁前で待っている人もいた。母親の介護で何とか行きたいのだが、行けないので残念だと涙を流しながら断りにきた人もいた。何とか辺野古の工事を止めたい、翁長知事の声を聞いて共に頑張りたいという熱い思いが、参加者の顔にみなぎっていた」すでに政府は、3月末に期限切れとなる「岩礁破砕許可」について、「地元漁協が漁業権を放棄したため再申請は不要」として、工事強行の構えだ。「埋立承認撤回」に対しても、代執行や行政事件訴訟法に基づく執行停止などの対抗策が予想される。この日、翁長知事と3500人超の集会参加者は、辺野古新基地阻止へ「新たな闘いのステージ」を決意したのだ。その決意を全身で受けとめ、連帯の運動を強めよう。(「週刊・新社会」4/4号に投稿したものです)―

      (釈放され元気に辺野古集会に参加した山城博治事務局長)

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90代健康長寿の先達 清水美知子さん 17・4・3
 昨年も多くの先輩知己があの世に逝かれた。徘徊老人も84歳にして、ようやく生きるということの意味をより深く感ずるようになった。寝たきりで数年、あるいは十年以上病んで亡くなった方もいるし、ポックリと病むことなく逝った先輩もいる。だが仔細に観察してみると90代になると案外ぽっくりと逝く方が多い。願わくばポックリと逝くことを念願しつつ日々を送っている。
 一昨日、4月1日は、浦和に在住されている清水美知子さん96歳を、友人の初岡昌一郎氏と二人でお訪ねした。美知子さんの夫君は故清水慎三元信州大教授で、われわれと同郷の岡山県出身ということもあり、旧社会党青年部時代の1955年以降、1996年83歳でお亡くなりになるまで、ご指導をいただいた。夫人には、数年間ご無沙汰していたので、久しぶりにお会いしようと北浦和駅で待ち合わせた。タクシーで数分のところに美知子さんの自宅があり、清水さん亡き後、一人でお住まいである。息子の清水克朗さんが出迎えてくれた。彼は私たちが、祖師ヶ谷大蔵にあった清水さんのご自宅を始めて訪ねたころはまだ生まれておらず、翌年1956年に生まれた。
 初岡氏によると、清水さんはそのころは高価だったバナナをよく買って行かれたそうだ。バナナは栄養価が高いといわれていた。「清水先生、バナナがお好きですね」と彼が言うと「いや、これは息子に食べさせるんだよ」と言われたそうだ。その克郎くんも、もはや60歳で岩波書店の古参社員である。初岡氏も82歳だが、同郷の友人としては最も長生きして今なお健在である。一時は膝を痛めたこともあるが、今なお毎日歩いたり、プールに行ったりしている。
 清水美知子さんは、96歳で、毎日近所の老人通所介護施設のデーサービスに月曜から金曜まで通っていらっしゃる。最高齢だが体操をしたり、会話をしたりけっこう楽しいとおっしゃる。デーサービスを嫌がる高齢者も多いが、女性はけっこう楽しんでいる人が多いようだ。いま生き残っている先輩知己のなかで女性の最高齢者は清水美知子さんである。美知子さんは短歌も若い頃はじめられていて、帰りに短歌集「みぞそばの花」をサインして一冊いただいた。2011年の東北大地震の時は、部屋の荷物が落ちてきて胸骨骨折、その後も転んだり、けつまずいたりで数回の骨折をされたが乗り越えられた。いつも明るく愚痴を言わない。人の悪口など聞いたことがない。その屈託のない明るさが、健康長寿の秘訣かもしれぬと思う。お会いして学ぶべきところ多い健康長寿老人である。
 以下は生方たつゑ氏の指導による短歌教室の成果としての清水美知子歌集『みぞそばの花』の掲載歌である。
 みちのくおの旅 六月の晴れたる空に浮き出でて飯盛山の連峰白し
            秘話もちし飯盛山を訪ねきて若き隊士ら偲ぶひととき
 吉備路・後楽園 夫の生まれしふる里にきて胸熱し園より城を眺めつつゐて
            海紅豆の紅き花も咲きてをり瀬戸の見放くる山の斜面に 

ラジオ体操仲間全盲の近藤さんの俳句

ラジオ体操仲間全盲の近藤さんの俳句 17・3;27
 毎朝、ラジオ体操に白い杖をついてやって来るのは全盲の近藤さんである。徘徊と同じマンションの9階に奥さんと二人すんでいらっしゃる。知り合ったのは徘徊がラジオ体操に参加するより以前の、2010年5月半ばだった。あれからまる7年近い歳月が流れた。つい最近、近藤さんから「俳句を作ってみた」という話を聞いた。そこでぜひ見せて欲しいと頼んだ。すると以下のような、ひらかなで書いた俳句を見せてくださった。()内は徘徊が勝手に漢字を入れた俳句にしたが、なんといっても近藤さん自らが書いたひらかなの方が実感があって好ましい。
 かぜにのり さくらにおうや たやすもん
 (風に乗りさくら匂ふや田安門)
 つえついて らじおたいそう げんきでる
 (杖ついてラジオ体操元気出る)
 へんろみち たびびととおる こゑがして
 (へんろみち旅人通る声がして)
 どこでなく うぐひすのこゑ みみしみる
 (何処で鳴くうぐひすの声耳沁みる)
 わがみちに うぐひすのこゑ しょうがくせい
 (が道にうぐひすの声小学生)
 あさはやく にしにむかうは おへんろか
 (朝はやく西に向かうはお遍路か)

 近藤さんに盲目になったときの話を7年前に聞いた。近藤さんが緑内障を患ったのは63歳のときだった。医者からまもなく失明する可能性があると聞かされて、紙問屋の会社を人にゆずった。そして真っ先にヒマラヤ登山に出掛けた。ポーター10人を雇い、ヒマラヤの5500メートル地点まで歩いて登った。「テントは三つで、私と登山隊のリーダーが寝るテント、ポーターたちのテント、そしてトイレ用のテントだった。高山病にかかったりして大変だったが、いちばんやりたことだったから満足した」。その後近藤さんは四国歩き遍路にも挑戦した。あるとき、「春がきたといふことをなんで気づきますか」と問うた。「風が教えてくれます。うぐいすの声でも春がきたと知ります」と言った。うぐいすにも鳴き方の変化があるといふ。はじめは「ホウ」から「ホウ、ホウ」になり、段々声がのびてきて、一週間くらいで「ホウ、ホウ、ホウケキョ」と鳴くようにになる。以来7年間、これからは近藤さんと俳句を楽しもうと思う。
  春立つを風に聴くとや盲人  漫歩
      (写真 近藤さんの平かなの俳句 クリックして拡大)

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漫歩俳句遊び 3月、2月定例句会

漫歩俳句遊び 3月、2月定例句会 17・3・24
 3月の定例句会は3月1日、兼題 木瓜、白酒、席題 下駄箱、雛あられ 漫歩の提出句以下の7句 句友選句3句
   読書する女が一人春電車▽
   水温む朝のスープの冷め難く
   木瓜好きと人に言はせて老いの春
   じんなら魚の悲しみ想う犀星忌
   友逝くや夜のマンション冴え返る▽
   木瓜咲いて吾も茫々呆けの花
   下駄箱の乱れ正せと春の寺▽
 漫歩の選句7句 特選は ものの芽や恋する心忘れずに
   下駄箱に恋文出入り春おぼろ
   遠き日の淡きときめきお白酒
   雛飾る娘二人を嫁がせて
   野良猫のみやうと声する木瓜の花
   新入生の下駄箱探す涙顔
   栄光も挫折もなくて鳥帰る
   ものの芽や恋する心忘れずに 特選

 2月定例句会 兼題探梅・青木の実 席題 白鳥・靴 漫歩の提出句提出句以下の7句。
   探梅や秘すれば花と宣へり
   探梅や梅ほころびぬとローカル紙
   冬枯れの銀杏それぞれ孤独なり
   手袋の握手なにかが欠けてゐる ◎先生特選 ▽句友選句
   白鳥の掘ビル深く沈みけり
   靴音も軽く足早四温の日 〇先生選▽句友句友3
   木枯しに押されて老いの坂上がる〇先生選句
 漫歩選句
   特選 冬大木衛士の靴音直立す
   青木の実吾にも一つの夢在りぬ
   彼方にも夫婦の影や梅探る
   白鳥来みにくさひとつ忘れたり
   探梅や一花ほころぶ和菓子店
   凍空を軍用機また飛んで行く
   沈黙は金とふことば青木の実

矢崎泰久氏の短絡的発想 タバコ値上げは戦争への道か 17・3・23
 週刊間金曜日の2017年2月24日号に矢崎泰久氏の「話の特集」今日も元気だ煙草がうまい!と題するエッセイが載っている。そこに以下のような替え歌を披露している。―金鵄上がって十五銭 栄えある光三十銭 朝日は昇って四十五銭 (いまこそあがる煙草の値) 紀元は二千六百年 あゝ、一億の金は減るー。ここで矢崎氏が強調しているのは「当時の軍事費は煙草の値上げによって調達されている。誰もが唯々諾々と従った訳ではない。庶民は替え歌を作って抵抗を試みたのである」と述べている。 そしてさらに「今、また煙草の値上げが取りざたされている。安倍内閣は戦争への道を突き進んでいる。歴史はその事を証明しようとしている」と述べている。
 たばこの値上げに抗議するのは自由だが、それが戦争への道につながる、というのはいささか短絡的ではないか。煙草愛好者のなかでは、なんとかやめたいと思いつつも吸っている方が多い。すでに喫煙率は20%台へと戦後最低にまで落ち込んでいる。受動喫煙による死亡者数は年間約1万5000人と推定される。一年間の交通事故死数約4000人をはるかに上回る。さらに3年後のオリンピックを控えて、国際的にも各国が実施した建物内や屋外における受動喫煙を防ぐための対策は喫緊の課題だ。中国やアルゼンチンなどのオリンピック主催国すら実行した屋外、屋内における対策を日本も同じレベルでやりましょう、ということだ。この点に関しては厚生省の対応はまともである。これに反対しているのは東京都議会の自民党を中心とするたばこ業界と飲食店の意向を受けた政治集団だ。国会議員も自民党と民進党のたばこ業界からのパーティ券などで世話になった議員集団であることは誰の眼にも明らかになっているのだ。
 ましてや、矢崎氏の言う「当時の軍事費は煙草の値上げによって調達された」というのはいささか言い過ぎではないか。日本における租税の歴史では1899年(明治32年)には、酒造税が税収に占める割合がトップに立った(28%)。また、消費税や課税等を合せた広義の消費税は、1907年には過半数を占めるまでになった。すなわち、明治年間を通じた税収の変化は、地租優位から間接税優位の時代への移行によったものである。煙草税導入もその一部部分ではあったがたばこ税のみで戦費調達がなされたわけではない。矢崎氏だけではないが、喫煙派の学者や評論家の一部には、自由にタバコが吸えないことに苛立ちを覚える傾向がある。そして彼らに共通しているのは、左右を問わずその苛立ちや怒りを感情的にぶつけたくなる。しかし、表向きはそれを論理的に解説したいということで何かと屁理屈をつけるのだ。その好例が矢崎氏のように「タバコ値上げは安倍内閣の戦争への道に通じる」とか「禁煙ファシズム」などという極論に到達するのである。(酒税の課税額は2009年度約1兆4千億円、煙草は2009年度で約6千億円)
 煙草依存症の特徴は、きわめて感情的にタバコが吸えないことに反発するところがある。私の親父もヘビースモーカーだった。晩年「もういい加減に煙草を止めたらどうか」と言ったとたん、日ごろ温厚な親父がカッとなって叫んだ。「タバコを止めるくらいなら死んで方がましだ」。以後私はタバコ吸いに絶対たばこをやめろなどと言わない。戦後の煙草のない時代に山野のヨモギなどで紙巻煙草をつくらせて吸い続けた人生なのだ。親父もヘビースモーカーのわが師江田三郎も肺ガンであっという間にあの世に逝った。好きなものを飲んで吸ってあの世に逝くのは自由だ。せめて吸わない妻や子供を巻き添えにする受動喫煙だけは避ける工夫をしていただきたいだけなのだ。
ようこそ!「老人はゆく」へ
「老人はゆく」へようこそ

徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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