62年前の新潟米軍飛行場拡張反対闘争を訪ねる 

62年前の新潟米軍飛行場拡張反対闘争を訪ねる 18・1・16
 1月9・10の両日、メールマガジン・オルタ編集長の加藤宣幸さんと二人、雪の新潟に出かけることにした。目的は、新潟県の野党共闘の世話役の一人である、新潟市議会議員の中山均さん(緑の党グリーンズジャパン共同代表)の話を聞くためである。9日の午後新潟市議会の控室にお訪ねした。新潟県の2016年7月の参院選の森ゆうこ氏の2700票差の勝利を契機として、市民と野党の共闘で、同年10月の米山知事の6万1,000差の勝利、そして2017年10月総選挙における6選挙区中4選挙区での市民と野党共闘の勝利の内実について、共闘の仕掛け人の一人であり、政策担当者としても活躍した山中さんの話をじっくり聞くことが出来た。
 1月10日午後には、今回の新潟行きの主目的である62年前の新潟米軍基地反対闘争に関連する話を聞いくために、かつて新潟県総評の事務局長を務めた風間作一郎さんにお会いした。62年前の新潟米軍基地反対闘争に関連する話を聞いた。風間さんは当時、全日通労組に所属していた。反対期成同盟の箱岩事務局長(県労協事務局長)は1956年8月15日急逝されたことは知っていた。砂川闘争の現場や、全国基地連等の集会で顔なじみだった保科事務局次長は、日農出身だったが、新潟闘争後は新潟県総評のオルグとなり、米軍拡張予定地内の女性と結婚、一児をもうけたが若くして交通事故で急死されたという
風間さんの話で面白かったのは、農民は米5合、労組員は50円の拠出によって購入された宣伝カー「平和号」の話だ。平和号は新潟の反対闘争の仲間を載せて、砂川現地に行ったり、第二回、第三回原水禁大会に参加した。ところが宣伝カーの運転は大型免許が必要となる。そこで全日通労働組合の風間さんが運転手を務めることになった。それがきっかけとなって、社会党の党員となり、今なお新潟社民党の党員として生き残っている。
 風間さんは1970年代、新潟県総評の事務局長となり、当時の新潟水俣病、そして新潟柏崎原発反対運動に直接かかわった。当時の新潟県総評の議長宮下幸治氏とは、かつて70年代の初めに私が公害問題研究会を発足させたころ『月刊労働問題』誌上で、公害問題と労働運動なるテーマで座談会をやったことがあった。宮下氏は全逓出身だったが、物腰の柔らかい頭のいい人だった。風間さんは彼と組んで、新潟水俣病や柏崎原発反対闘争の労組員カンパなどで苦楽を共にされた由である。とうてい1回の話だけでは無理だと思った。そこで春になれば、もう一度伺って話を聞くことにした。
 新潟県立図書館に行って、資料担当の方に、新潟飛行場反対闘争の資料検索をお願いした。当時は翌日開票があり、北村大勝を報じた新潟日報は21万票差の大見出しだった。しかし最終的には差は25万8,000票だったことが判明した。この大勝が支えとなり、新潟米軍飛行場拡張反対闘争は、野党の社会党や県労協、日農などが担いだ北村知事を先頭に、1955年の砂川闘争と同じ時期に始り、1958年3月、米軍の撤退により完全勝利を勝ち取った。
 しかし大きな課題が見つかった。その一つは、戦後の米軍基地反対闘争のなかで、県知事を先頭に一糸乱れず全県民的反対運動によって、完璧に米軍基地の拡張を阻止した唯一新潟の反対闘争の記録は県政史料のなかに残っていない。新潟県の県史における新潟米軍飛行場反対運動の抹殺はなにかという疑念をぬぐうことが出来ない。今年は新潟にときどき出かけて、老年の最後の仕事として新潟飛行場完全勝利の62年前の実相を追究してみたくなった。

懐かし哀し年賀状の友たち 

懐かし哀し年賀状の友たち 018・1・8
 数年前から年賀状をやめた。八十歳になったころだ。今後は義理や人情というものを捨てようと思ったからだ。年賀状を出さないでいると年々数は少なくなる。だんだん友人知己も亡くなったり、闘病中となったりで、今や年賀状の数は数十枚というところだ。その方々には寒中見舞いということにして、返事をゆっくり書くことにしている。一日に数枚づつくらい書いて出す。
 札幌の南忠夫君は同年輩の85歳だ。彼もそれなりに耳が遠くなったり体力は落ちたらしい。「連日の豪雪と体力の劣化には参りました。でも10月の総選挙では自民9、立憲民主8と互角の闘いを展開しました。憲法が完全実施されるまでは死んではならない。しかし限りある肉体です。千の風になって大空を飛び回る、こと一生懸命研究中です」
 北海道網走郡に独居する86歳の正木老よりは豪雪のなかで車も出せず、郵便配達の女性が来るとき人の顔をみられるそうだ。「来年米寿となります。すっかり老人になりました。諸欲減退の中、食欲だけ旺盛です。大根を干し、蜜柑、柿の皮を干し、久しぶりに沢庵を漬けました。麦飯に味噌汁、鰯の丸干し、佃煮に自家製の沢庵ポリポリが理想の朝飯です」この食欲では当分生きられると言っているみたいだ。
 宇治市の金澤良彦さんからは「元気に徘徊されて居ますか。当方元気に講演活動をしています」と賀状。金澤さん夫妻は四国歩き遍路二回、あまりのごみの多さに驚き、ごみ減量を訴えて鹿児島から北海道までごみ減量を訴え日本縦断を敢行した。そしてもう一度は独りで、今度は省エネを訴えて二回目の徒歩縦断を実行された。尊敬すべきご夫妻である。
 山形の新野祐子さんからは「まだ座敷童子さんとともに旅をしておられますか」とあり、以下の俳句が添えてあった。新野さんとは、かつて1990年代半ばの大規模林道反対運動で知り合った。かつて東京女子マラソンの初期に出場したこともあり、健脚である
 告げたきことついに投函粉雪降る かの世にもぶな林ある聖五月
 秋高し鳶は軌跡を光らせて 人と熊襲い襲われ桃源郷果つ
 1960年代以来の友人、横浜の村田晴雄さんからは例年の如く社会時評の短歌数首。
  人は普通国家を悪と思わぬがその幼さがあなたを殺す
  軍事、防衛、安保、外交、ひれ伏しつくす「美しいい国」
  交易で立国果たし誇りあり琉球王国基地を棄てる日
  70年間戦争だけはしていないこのことだけを言い遺して死ぬか
 古里岡山の旧友の多くはあの世に逝った。それでも小学校の同級生昇君からは毎年賀状が来る。齢85歳にしてなお田圃と畑を耕して生き抜いている。子どもの声ひとつない過疎の里で、黙々と生きてゐる。岡山市の親友田上秀夫からは、以下のような便りがきた。「和田博雄の句、生き死には 風邪にまかせて 風車 ではないが、最近つくづく独り生きてはいるが、長生きし過ぎたのではないか?自ら命を絶つ勇気もなく、だらだら生きてゐる。もはや旅に出る気も亡くなり、ジパング・クラブの会費も止めた」。何処の友も老いを自覚しつつ生きなければならぬ。
  梅古木なほも生きんと冬芽立 漫歩

テント日誌12月25日(月)抄録 経産省前テントひろば1807日後

テント日誌12月25日(月)抄録 経産省前テントひろば1807日後 17・12・27
 通産省前のテントは強制撤去されたが、今なおテント広場の座り込みは続いている。2012年、民主党野田政権の大飯原発再稼働に抗議して始まった座り込みは、通算1907日となった。これを運営している方々に敬意を表したい。以下は、12月25日のテント日誌の抄録である。
◆片足のない鳩も元気に生きている 12月23日(土)
 雲が殆どない青空。その色は国連旗の水色を想わせた。風もなく暖かくて昨日が冬至だったなんて。経産省の旗竿には日章旗がふたつ。Iさんが普段ならある経産省の旗がないと言う。この間の強風で飛ばされたのか? 例の片足の鳩が今日もいた。信じられないことに地面の上を素早く器用に走っていた。頑張ってきたものね。明日はもっと良くなるよ。
 ・・・・盛り上がった話し声で目が覚めた。最後の審判作成中のミケランジェロのように頭を真上にあげた状態で目が覚めた。いつの間にか眠っていたようだ。話に参加できなかったのが残念。正清御夫妻。大きなチョコ菓子を差し入れして下さり、皆で美味しく頂いた。きょうは家庭裁判に用事があり、私もお付き合いしたのです。最近の正清さんは足腰が弱って来ていて、朝起き上がるのも一苦労でその為かこの1ヶ月の間に二度も転倒して顔にけがをされ救急車で運ばれるという事もあった。いつまでもお元気にと願うばかりです。冷たい強風が吹いていたので陽射しがあるうちに帰られました。
◆12.27規制委緊急抗議行動
~東電柏崎刈羽原発の再稼働を認めるな~
日時:2017年12月27日(水)10時~13時(定例会議は10時半~12時)
場所:原子力規制委員会ビル(六本木ファーストビル)前 港区六本木1丁目9番9号)
東京メトロ南北線「六本木一丁目駅」から「泉ガーデンタワー」を経て徒歩4分 東京メトロ日比谷線「神谷町駅」徒歩8分
主催:再稼働阻止全国ネットワーク 及び 原子力規制委員会毎水曜昼休み抗議行動
その他:抗議・申入書を原子力規制委員会に提出します(10時過ぎ)
小雨決行(柏崎刈羽6,7号機設置変更許可が議題に上がらなければ中止)
 54基の既存原発の再稼働を推進してきた原子力規制委員会が、柏崎刈羽原発の設置変更許可(「合格」と報道されている)を年末の12月27日(水)の定例会議で認可すると報道されました。
 福島原発事故を起こした東電、イチエフの収束も廃炉への道も被害者賠償も見えない中で膨大な費用を国民に税金と託送料金で払わせている東電、免震重要棟の基準地震動未達を3年もひた隠しなど数々の不祥事を起こしている東電、トリチウム汚染水問題で漁連を怒らせた東電、こんな東電に原発再稼働を許すことはできません。
 経産省・エネ庁は「今だけ、金だけ、自分だけ」の大嘘つき! その六ヶ所村再処理工場の工場完成時期を延期24回目、「18年度上期」から3年先~いつまで騙し続ける「核燃料サイクル」? いつまで六ヶ所に押し付ける核のゴミ?~
(木村雅英 テントひろば)
◆日本原燃株式会社が再処理工場の完成を3年延期
 12月22日に日本原燃株式会社が再処理工場の完成を3年延期した。その一カ月前の11月24日、経産省前テントひろばの院内ヒアリング集会の折に資源エネルギー庁の担当が「六ヶ所再処理工場は2018年上期の竣工予定」と何度も何度も答えていたが、やはり嘘だったのだ。既に規制委の審査が止まっていたから当然だが。それにしても、今回の延期は何と24回目だそうだ。おまけに、MOX燃料加工施設の事業開始時期も「平成31年度」から「平成34年度」に3年延期した。既に、経済的にも技術的にも破綻している「核燃料サイクル」の実現は、中心施設の度重なる延期で一層困難になった。経産省・エネ庁は、猛省して事業者に再処理を義務付けることを止め、「核燃料サイクル」断念をできるだけ早急に発表するべきである。
●月末から正月までの行動予定
12月28日(木)5時~6時経産省前抗議行動(テントひろば)
定例の29日(金)の抗議行動は休み。
12月29日(金)の反原連の官邸前抗議行動は官邸前のみ
(6時30分)で、国会正門前は休み。
年末年始の経産省前テントひろばの行動
★経産省抗議行動
年末は仕事納めの28日(木)に抗議行動、29日(金)は休みます。
日時:2017年12月28日(木)17時~18時(29日は休み)
場所:経産省本館正門前
主催:経産省前テントひろば
年始は1月5日(金)から実施します。
★経産省前座込み行動
年末、年始も毎日経産省本館前で座込み抗議を実施しています。
平日:12時~17時(冬時間)
年末・年始・土曜・日曜・休日:12時~16時
○紅白歌合戦
12月31日(日)19時~24時
経産省本館前
ヴォーカル、合唱、合奏など
○年始餅つき
1月4日(木)(12時までに事務所で餅つきを行う)
経産省本館正門前(12時~14時)にて、餅各種、豚汁等を振る舞う。
ご近所(省庁)回り、経産省抗議初め

平成天皇と美知子妃の憲法認識と右翼の批判

平成天皇と美知子妃の憲法認識と右翼の批判 17・12・23
 今日は天皇誕生日だ。近年目立つのは自民党の右翼学者や日本会議に属する議員は、平成天皇や美知子妃の平和や憲法についての批判だ。昔なら不敬罪だが今は、憲法改正、天皇元首などを目指す右翼たちは公然と天皇批判をやっている。憲法問題についての天皇や皇后の発言が気に入らないらしい。2013年(平成25年)10月20日、皇后は、誕生日にあたってのコメントで五日市憲法草案に言及された。
ーあきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。―
 さらに同年12月18日、天皇が、やはり誕生日にあたってのコメントで「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」と述べられた。
◆右翼学者八木英次の天皇皇后の発言を護憲派と攻撃
 これに対してそっそく噛みついたのが八木秀次(麗澤大学経済学部教授。憲法学「日本教育再生機構」理事長、「新しい歴史教科書をつくる会」第3代会長)だ。
―美知子妃が10月20日、次いで天皇陛下が12月18日、 陛下が日本国憲法の価値観を高く評価されていることが窺える。 私がここで指摘しておきたいのは、両陛下のご発言が、安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねないことだ。なぜこのタイミングなのか。デリケートな問題であることを踏まえない宮内庁に危うさを覚える。憲法改正は対立のあるテーマだ。その一方の立場に立たれれば、もはや「国民統合の象徴」ではなくなってしまう。宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。 灰聞するところによれば、両陛下は安倍内閣や自民党の憲法に関する見解を誤解されているという。皇后陛下は「新聞紙上」で憲法論議に触れられると述べておられる。確かに一部の新聞は、あたかも戦争の準備をし、国民の自由を抑圧するためにこそ憲法改正を企図しているかのように書き立てている。これは「ためにする」議論であることは言うまでもない。自民党の改正草案が天皇を「元首」と規定していることに、象徴天皇を否定し、天皇が政治的実権を握るようになると誤解されているからだとの観測もあるが、「元首」は「対外的な国家の代表者」との意味で、現行憲法下の実情と何も変わらない。―
 八木秀次のみならず日本会議所属の国会議員や評論家なども同じように天皇皇后の護憲的発言を批判する。石原慎太郎元東京知事などもその一人だ。かつて「天皇に会った時、外人観光客のために皇居のライトアップを」などと要請。宮内庁が強く抗議した。また「天皇にはぜひ靖国参拝を」などとぬけぬけと言う。東条などの戦犯を合祀して以来、昭和天皇は靖国参拝を中止された。以降、現在の平成天皇も靖国参拝は中止されている。天皇に靖国親拝を要請するなら、戦犯合祀の現況を改善することが先決だ。天皇の靖国神社親拝は昭和天皇による1975年(昭和50年)11月21日が最後となっている。およそ40年余にわたって天皇親拝が中止されている。戦犯合祀という根本原因を糺さないで、天皇の靖国参拝を求めることこそ弾劾されるべきだ。

朝のラジオ体操と腹筋運動

朝のラジオ体操と腹筋運動 1・⒓・15
 今年の冬は寒いこともあって、このところ朝のラジオ体操を休みがちである。ひとつの理由は、11月の健康診断で、24時間心電図で調べたところ、10余年ぶりに狭心症の症状が現れた。そこで念のためにニトログリセリンを携帯するように医師から言われた。いわゆる発作が起きると使用する舌下錠だ。気のせいか、寒い夜中に心臓の脈が速くなって眠れなくなることがある。睡眠不足が一番悪いので朝寝坊する。体操よりも睡眠時間を取るということだ。ラジオ体操の先輩たちは、いつも四阿で準備体操として、腹筋運動を軽々とこなしている。徘徊も何度か挑戦したがどうにもならない。諦めの心境だった。
ところが最近のニュースで、腹筋運動は腰のためならないという学説が現れた。腹筋を鍛える運動としてよく知られる「上体起こし」。一般的に「腹筋運動」と呼ばれるこの動作を何度も繰り返すことが、腰痛の原因になるとして、やめさせる動きが、バスケットボール界などで広がってきているというのだ。日本バスケットボール協会は昨年から、指導者養成の場で上体起こしを「推奨できないトレーニング方法」として周知を進めている。全国を9地域に分けて選抜した小学生や指導者を集めた研修会や、年代別の日本代表の強化などで、専門のコーチが伝えている。
 協会が参考にしたのが、カナダ・ウォータールー大のスチュアート・マックギル名誉教授の研究だ。ひざを曲げた状態か、伸ばした状態かに関わらず、上体起こしで脊椎(せきつい)が圧迫される力は、米国立労働安全衛生研究所が定めた腰痛につながる基準値と同等だとする研究結果を発表した。何度も繰り返すことで、背骨の間の椎間板(ついかんばん)を痛めるという。一流選手に腰痛対策を指導してきた経験からも、「背骨の形状などによって個人差はあるが、力がかかった状態で腰を曲げ伸ばしするとヘルニアなどの障害が起きる。できるだけ背骨を摩耗しない方法で腹筋を鍛える方が腰痛のリスクは少ない」というのだ。
 ということは無理をしない。自分に合ったやり方で運動をする以外にないということになる。そういうことで、最近の寒い朝は、まず睡眠を優先して、しかる後、朝のコーヒー位を友人たちとつきあって、あとは豆腐屋に豆腐を買いに行って往復する。午後は飯田橋の安いスーパーも買い物に行くとか、お茶の水の明治大学図書館に地方紙を見に行くとかで約一万歩前後をゆっくり歩くことにしている。寒い間は無理をしないで平地をゆっくり歩こうと思う。

逆縁に泣く祖母や母親 逝く人たちのこと 17・⒓・10
 「老いるとは未知との出会い桐一葉」という句は、私の俳句の先生でもあった栃木市の富田昌宏さんの名句である。なるほど、たしかに人間は年を取るほどさまざまな出会いがある。生老病死のすべてを味わう年齢なのである。11月の下旬、一枚のハガキが来た。メール友達のユキミ姐さんからだ。彼女は現在、国際交流基金の仕事でスペインのブエノスアイレスに滞在している。それが国内からハガキを送ってきた。それを読んで愕然とした。中身は要旨以下のような文面だった。
 ー徘徊さんお元気ですか。いつもブログ読んでいます。いま私は一時緊急帰国中です。婿さんが11月6日、刈り入れ中の機械に巻き込まれ、即死しました。(36歳) 娘は4人の子供を残されました。明日、私はブエノスに戻ります。悲しいです。ー
 ユキミさんは、数年前ブエノスアイレスから帰国した。そしてわたしの親友だったマスノさんが主催するメールグループのメンバーとして参加した。彼女の娘さんは岩手県の農村の若者と結婚し教員をやっているそうだ。ユキミさんも4人の孫の面倒を見るために、一年の半分くらいは岩手県に行っていた。慰める言葉もない。
 昨年も同じような逆縁に泣く母親が居た、旧知のミヤザキさんだ。事務所を訪れた時、わっと泣き出した。わけを聞くと「今年の3月に39歳の一人娘が心不全で急死した」というのだ。元気に前日ゴルフをやって帰宅した。それが翌日車の運転中に心不全で急死したとか。これもショックだった。ミヤザキさんは、一人娘を亡くして夫と二人になった。そしてもう墓は作らないと決めた。娘の骨は海に散骨した。自分たちも将来は、同じように海に散骨してもらう決意だ。
 逆縁とは、仏の教えを素直に信じない(縁に背く)こと、またはそのような救い難い人をいう言葉だったが、転じて子が親より先に死ぬことを逆縁と言うようになった。先のシナ事変や太平洋戦争では、320万人の犠牲者が出たが、多くは戦争に駆り出された若者が死んだ。日本国中の親たちが逆縁に泣いた時代である。戦後72年の今日では、数少なくはなったが、幼子や成人した子供たちに先立たれて泣く親たちの悲しみは後を絶たない。
 この春から半年近く消息のない富山の親友がいた。二十歳代からの友人で奥さんも良く知っている。いくら携帯に電話しても留守電ばかりだ。そして自宅の固定電話もベルは鳴るがまったく反応がない。これは亡くなったのか病気なのかいずれかだろうと想像していた。12月半ばにその奥さんから電話があった。「主人は昨年の暮に脳梗塞で倒れ療養中です」と言う話である。電話に出なかったのは、脳こうそくで寝たきりで言葉も出せなくなった。一年間のリハビリでやっと片腕動くようになった。声も少し出せるようになったので電話した、というのだった。友人と話をした。「ああ、うう」くらいで意味不明だがやっと声を聴くことが出来た。来年の春には会いに行くから待っていて欲しいと言って電話を切った。雪が消えるころには富山の親友に会いに行こう。

さまざまな想いの12月開戦日 

さまざまな想いの12月開戦日 27・⒓・8
◆無条件降伏の敗戦を終戦とごまかし続けた 
今日12月8日は、戦後72年を経ても忘れがたい敗戦の年よりもさらに昔の1941年12月8日の太平洋戦争が始まった日だ。当時はこの日を大詔奉戴日と言った。当時の国民学校3年生の時に太平洋戦争が始まり、1955年8月15日の敗戦につながった。勝った、勝ったと言いながら、1957年6月のミッドウエー海戦の惨敗から一気に戦局は転換し、敗北の連鎖がはじまった。だが政府も陸海軍省も負けたとは一言も言わず、負けて後退すれば撤退という言葉でごまかした。
 そのうえ、負けたミッドウエー海戦をはじめてとして、あらゆる海戦や決戦を敗北とは言わず、赫々たる戦果を挙げたと誤魔化し続けた。大人たちは半ばわかっていただろうが、純真な小学生だった子供たちは勝利を信じていた。広島・長崎と続いたカドン、原爆の壮絶な破壊も敗戦まで明らかにされなかった。その極致が、1945年8月15日の天皇の決断によるポッダム宣言を受諾した無条件降伏さえ敗戦といわなかった。そして同年9月2日、米軍艦ミズリー号上での降伏文書調印後も、敗戦とは言わず終戦と言う言葉を使ってごまかした。
◆原発事故の冷温停止とアンダーコントロールという大嘘
 そのごまかしは今でも続いている。戦争中、敗北を撤退とごまかし、無条件降伏も終戦とと言う言葉でごまかした。そして今日現在では、あれだけの放射能汚染で日本全土のみならず世界全体に原発の恐怖をまき散らしたにもかかわらず、当時の民主党政権は福島第二原発の事故がまだ収まっていないのに「冷温停止状態」を宣言した。それをやったのは野田政権の細野環境相である。細野はそれに加えて福井大飯原発の再稼働を容認した。この二つの出来事が今日まで続く国会周辺を取り巻く脱原発運動の出発点となった。この民主党政権の背信に加えて、安倍自民党政権は、東京オリンピック誘致に際して、安倍首相が「アンダーコントロール」という大嘘をついて誘致に成功した。
 無条件降伏という全面的な敗戦も「終戦」と言う言葉でごまかした。第二の敗戦ともいうべき原発事故さえも「冷温停止」とか「アンダーコントロール」と言う言葉で世界中をごまかす。これを信じている日本人はどこか狂っていると言いたい。ごまかしの上に誘致された東京オリンピックなるものも、東京が最も暑い8月に実施されるというのだから二重の欺瞞である。酷暑のマラソンなどかつてやったためしはないし、想像するだにおそろしい。1964年に開催された東京オリンピックは10月開催であった。天候も安定し涼しい秋風の吹く季節だった。東京オリンピック反対の声が高まるのも当然だ。
 学者や評論家、あるいは作家や詩人俳人などでも、その作品の中に表現されている終戦あるいは敗戦という言葉によって私はその人間の本質を探ることが出来る気がしている。あの敗北を、意識的にせよ無意識にせよ、なんのてらいもなく、終戦といい続ける人々のことを私は尊敬する気になれない。
 
ようこそ!「老人はゆく」へ
「老人はゆく」へようこそ

徘徊老人

Author:徘徊老人
80歳の徘徊老人です。
趣味、杖を引いて歩くこと、
お四国歩き遍路、ごみひろい
路上公園などの観察、
キョロキョロ歩き
読書、眠り薬になること多し

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